准胝仏母のことをいろいろ調べるうちに、とんでもない記事に出くわしてしまった。
それはタイトルにある通り、八臂弁才天が実は前の記事でも登場したヒンドゥーの女神「ドゥルガー神だ」という記事である。昨日に続きまたドゥルガーの登場です。
タイトルを見て「そんなバカな!!」と思った人は多いと思います。
今回参考にした記事は、よくある想像に想像を重ねた妄想に近い仮説ではなくて、学者の先生が論拠をしっかり提示しており信憑性の高い内容と感じました。
さて、この記事に関しては何度かご紹介したこの本に詳しく面白く書かれていますので、是非一読することをお勧めします。
今回はこの本に書かれている要点を私なりにまとめて紹介したいと思います。
まず弁才天は、日本においては大人気の女神さまですね。七福神の一人として優雅に琵琶を待つ姿をイメージされる方が殆どだと思います。
ただ日本での弁才天は、上記のような琵琶を持つお姿以外にも存在します。
厳密には4種類に分類されていますので、念のため記しておきます。
①『大日経』に基づく胎蔵曼荼羅に描かれている二臂で琵琶を持つ像
②『金光明最勝王経』に説かれる八臂像
③頭に宇賀神を載せた八臂の宇賀弁才天
④頭部が三匹の蛇である天川弁才天
先ほど記した七福神での弁才天は①のタイプで、多くの人はこの琵琶を持ったお姿をイメージされると思います。
しかし少し仏教の信仰に触れたことがある人は、③の宇賀弁才天を思い浮かべる人も多いと思います(リンク↓)。
おそらく我々がお寺、神社でお見かけする弁才天のほとんどは①か③のどちらかだと思います。
しかし今日話題にするのは②『金光明最勝王経』に説かれる八臂像になります。これは八臂という意味では③に近いのですが、歴史的に見るとまず日本に入ってきた弁才天が②のタイプでそれが日本の神様として変化したのが③のタイプですから③の宇賀弁才天変化するまえのオリジナルタイプと思ってもらえれば当たらずも遠からずだと思います。
画像探しましたが、ここのページの白画がそうですね
ちなみに私がお世話になっている金翅鳥院の弁才天が③の宇賀弁才天なんですが持物が①の『金光明最勝王経』タイプになっているとても珍しいお像です。私も初めて拝見したときはびっくりしました。
(金翅鳥院のブログ記事リンク)
しかも多くの宇賀弁才天って結構「肝っ玉かあさん」風のどっしりされたお方が多いのですが、このお像はブログをご覧になっていただくと分かる通り可憐な少女のようにとても美しいお姿です。残念ながら秘仏のため平素は拝見できませんが、年に一度の弁才天さまの例祭の時には開帳されます。
(金翅鳥院のブログ記事リンク)
さて、本題に入ります。
日本で最初に弁才天の存在を知らしめたのが上述した『金光明最勝王経』というお経です。奈良時代は鎮護国家を説くお経として日本仏教では特に重視されました。聖武天皇の「国分寺建立の詔」よって全国に建立された皆さんも知る国分寺(国分僧寺)の正式名称は「金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」です。
話の核心に迫ります。『金光明最勝王経』には弁才天を讃嘆する文(讃嘆文)が登場します。この讃嘆文は文献学的に調べると実は「2つの異なった経典」を繋ぎ合わせて出来ていることが分かっているようです(『金光明経』からだんだん分厚くなって『金光明最勝王経』になったのはご存知と思いますが、つまりこのお経は付けたし付けたしでボリューミーになったお経です)。
上に紹介した図書の中では二つの内容を「新たな讃嘆」と「もとからの讃嘆」と分けて解説されています。「もとからの讃嘆」は、美しい女神のイメージが語られる箇所となります。
例えば「容色は最も優れ、顔の愛らしい天女」「肢体は見事に飾られ、眼は広く、福徳に輝き、智慧の美徳でよそおわれ、色とりどりにいとも美しい」「最上の無垢なる者」「蓮華のように輝く者」「眼美しき者」「不可思議な美徳で飾られた者」「月にたとえられる者」「知恵の蔵ある者」など一般的な弁才天、すなわち優美な天女の姿で埋め尽くされる内容です。
ところが、これにつづく「新たな讃嘆」でそのイメージが一変します。「母となって世界を生み出し、勇猛にして、つねに大いなる精進を実践している。戦争においては必ず勝ち、美しさと醜さを兼ね備えて、その目は彼女を見る者を怖気けさせる」「この女神は山の奥深く険しいところ、洞窟、川辺、あるいは叢林の中に住する。孔雀の羽で幢旗を作り、いつも世界を守っている。獅子、虎、狼に常に囲まれ、牛、羊、鶏も近くにいる。大きな鈴鐸を握って大音声を出して、ヴィンドゥヤさんの人たちもその響きを聞く」「手には三叉戟を持って、髪は丸く結い上げ、左右はつねに太陽と月の旗を持つ。ヴァースデヴァの妹として姿を現し、戦闘があるのを見て、いつも心に憐れみをもつ。「牧牛歓喜女」となって現れ、天と戦うときはつねに勝利をおさめる」「偉大なバラモンの教えや呪術にことごとく通じている」「もろもろの天女たちが集会するときは必ず姿を現し、もろもろの龍神や夜叉の集団の中では、その上首となって調伏する」
いやいや、ここまで掌返したように「前半」と「後半」の印象が違うのにはメチャクチャ違和感を感じると思います。
そしてこの後半部分の印象。ドゥルガー女神のことを詳しく知る人が見れば、すでに「まんまドゥルガーのとこじゃない?!」というほどにドゥルガー以外にありえないと言う説明になっています。
それもそのはずです。つまりこの後半部分は、ヒンドゥーの文献をほぼそのまま転用したという事がすでに明らかになっているからです。もとの文献は「マハーバーラタ」の「ドゥルガー賛歌」とその補遺文献である「ハリヴァンシャ」の第四七章「聖なる賛歌」です。
ここの詳しい転用部分の説明については本書を読んで確認いただければと思います。
私はこれを読んで「マジか!!」とかなり驚きました。
最後にこの本の著書、森雅秀氏の言葉でこの記事を閉めたいと思います。
「単に、ヒンドゥー教の影響を受けたとか、その要素が入り込んでいるというくらいなら、他の仏教の仏でもめずらしくないが、ここでは、ドゥルガーがその名を伏せながら、そっくりそのまま弁才天のポジションを占めていることになる。『金光明最勝王経』はすでに奈良時代に日本に伝わり、その後の日本仏教に大きな影響を与えたことは、本章で述べた通りであるが、仏教の仏として千年以上、信仰されてきた弁才天が実はドゥルガーだったのである(仏教の女神たち 森雅秀著 春秋社)より引用」
ただこのブログではなんども書いているように「信仰」と「学問」は分けて考える必要があるというのが私の持論です。つまり学術的には弁才天がドゥルガーだったとしても信仰の上では弁才天は弁才天に違いはないということです。そこは勘違いされないようお願い致します。
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