地道に密教修行

天台寺門宗の祈祷寺院にて密教の修行しております「亮和(りょうな)」と申します。修行、信仰を通じて感じたことなどを綴っていきます。※過去(本格的な修行前)に「地道に観音信仰」というブログを運営しておりました。どうぞ気楽にコメントいただけると嬉しいです!

准胝尊特集⑤准胝尊と龍神の関係

 准胝尊特集再開です。

 今日は五回目。ここまで来たら読者の方全員、准胝尊に詳しくなってもらおうと思いますので覚悟してください。まだまだこれでも「初級編」ですからね(^^)

 さて、今日は准胝尊の「ご眷属」のお話をしていきたいと思います。准胝尊のお像を見た時に他の仏像にはない大きな特徴がありますね。

 ご存知ですか?

 それは蓮華座の下でに二体の「龍神龍王)」が、その蓮華座を支えているお姿です。

 この龍神の姿は「龍そのもの」の場合もあるし「中国の官人」のような姿の場合もあります。

 この龍王こそが、准胝尊のご眷属、難陀龍王跋難陀龍王という龍王(兄弟)です。

http://www.rinnou.net/nehanzu/1_kaisetsu/1-1_jinbutsu/nanda.html

 八大龍王の主要メンバーですから龍神がお好きな方は当然ご存知かと思います。

 では実際に我が家の本堂でお祀りしている仏画で確認してみましょう。

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 これは中国製のタンカです。これは私が今のお寺に入信して最初に開眼していただいた准胝尊です。絵柄と色合いはいかにも後期密教テイストですが、十八臂であることと龍神が蓮華座の下に二体いるという特徴はしっかり踏襲されています。

 

さてもう一つ。

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 これは十六善神図のお軸です。「え?なんで十六善神図に准胝さんがいるの?」と思った方いますよね?そうなですよ。実は十六善神図のお軸中央に准胝仏母が鎮座しているという珍しいお軸なんです。

 このお軸がオークションで出品されているのを師僧が見つけて、准胝行者を目指す私にわざわざ連絡いただき教えてもらったんです。

 ちょうど般若理趣分の読誦百座の行を初めて間もないころのタイミングでしたので「これは間違いなくご縁だ!」と思い落札しました。

 さて、その軸に描かれているお像は、蓮華座を支えているのは龍ではなく官人の姿ですね。実は日本では圧倒的にこの「官人」が龍を身体に巻き付けた「龍神」の姿が多いようです。

 日本で見ることができる仏像や仏画に表現される准胝尊のお姿に関しては、ほとんど「ゆらぎ」がなくほぼほぼ形は同じであることが分かっています。それらのお像は「佛説七倶胝佛母准提大明陀羅尼経」の儀軌をかなり正確に踏襲できているとうことのようです。

 ただ、この龍神の姿については、この儀軌によると中国の官人のような姿をしているとはどこにも書いていないんですね。

 じゃあ、なんで龍の姿ではなくて、官人の姿なのか?

 これについては空海が伝えた「善女龍王」の影響という説があります。

 

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善女龍王は善「女」龍王と表記するときは女神の姿ですが、次第に善「如」龍王と表記されるパターンも出てきて、この場合中国の官人の姿で描かれるようになったそうです。

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 こう見ると確かにイメージ的には同じですね。そう言えば准胝観音の総本山「醍醐寺」の守護神「青龍権現」は「善女龍王」と同体との説もありますね。ただ善女龍王は上述の難陀龍王と対戦経験のある(つまり仲が悪い?)娑羯羅龍王の第三王女(『法華経提婆達多品に説かれる「龍女成仏」の話で知られる八歳の龍女)とされるから、そんな簡単な話ではないかもしれません!?(詳しい方、教えてください!!)

 

 ちょっと話が脱線したましたが、本題に入ります。

難陀龍王跋難陀龍王が准胝尊の眷属ということは分かりましたが、その淵源はなんなのか?を深堀したいと思います。どうして准胝尊が龍を従えているか興味がありますよね?

 ただ結論を先に行ってしまうと、その理由をインドのチュンダー女神まで遡ってしまうとその理由は「信仰的意味」よりも「モチーフの流行」に左右された可能性が高いということが分かってきました。

一応それを紹介してみます。

 尊格の中にはインドで信仰されていた時の姿と、日本で信仰されている姿が随分変わってしまった尊格は多くありますが(一番極端なのは大黒天でしょうか)、准胝尊はどうなのでしょうか?

 前の記事にも少し書きましたが、准胝尊の元になった尊格「チュンダー女神」のお姿としては二つの系統が存在ます。一つはインド~中国~日本へ伝来した十八臂のお姿(典拠「「佛説七倶胝佛母准提大明陀羅尼経」」)……つまり日本でなじみのある十八臂のお姿です。もう一つがインドで主流となった四臂のお姿です(典拠「サーダナマーラー」)。

 准胝尊のインド時代の十八臂のお姿、見たくないですか?見たいですよね。

以下の画像がそうです。

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ニューデリー国立博物館 引用「仏教の女神たち」森雅秀著(春秋社)より)

 私はこれ見てかなりびっくりしました。だって日本に伝わった儀軌とほぼ同じお姿をしているからです。

 しっかり蓮華の下で支えている姿もありますし、上の写真で紹介した仏画に描かれていた本尊の上にいる「浄居天使」もいます。さらに本尊の前で香炉を持つ持誦者までいて完璧です。

 つまり日本に伝わった准胝尊はインド時代のチュンダー女神オリジナルをかなり正確に踏襲しているということが分かります。

 細かいことを言うと、中国で多く見られる准胝尊の中央の印は「甲冑印」をしているものがほとんで、日本の醍醐寺系のお像は転法輪印をしています。私も実はこれは「どっちがオリジナルなんだ?」と気になっていたのですが、どうやら日本に流通した醍醐寺系の形がオリジナルに近いことがこれで判明しました。「甲冑印」をするようになったのはおそらく宋代以降の中国からのようです(機会があれば別途この記事は詳しく書きます)。

 さて、出土したお像にはしっかり「龍神」と思われるお像がしっかり表現されています。しかし当時の記述に二大龍王の話がどうも見つからないらしいのです。お像があるのに典拠がないってどういうことなでしょう?

 仏教学者の森雅秀氏は、「インド密教の仏たち」の中で、その根拠は釈迦の仏伝図にある「舎衛城の神変」の影響を指摘しています。

 以下のリンクからPDFで「舎衛城の神変」の文献がダウンロードできます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/30/2/30_2_657/_article/-char/ja/

 「舎衛城の神変」では難陀龍王跋難陀龍王が活躍します。その神変を素直にモチーフとした釈迦像が存在して、それはチュンダー女神のお像そっくりに蓮華の下で二大龍王が左右に配置されているようです。しかもこの時の釈迦は転法輪印を結んでいる。ここポイントですよね。するとその釈迦の姿に、残りの十六臂を左右対称に配置すると確かにシュンダー女神そのものになる。この時代、この「舎衛城の神変」のモチーフを取り入れた像が多く作られたそうなので、この釈迦の神変のエピソードをチュンダーが取り入れたという話は説得力があるようです。

 皆さんはどう思われますか?

 ただ、このブログでは何度も書いているように「淵源はこうだった」としても、准胝尊が龍王と結びついてから長い時を経て、現在に至るという事を考えれば、「その後どう信仰されたか」ということこそ重要なんだと思います。だから我々としては徐々に後世に確立していった准胝尊眷属としての難陀龍王跋難陀龍王の信仰を大事にしていくことこそ重要なことなんだと思います。

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