修行をしているとあの尊格は「厳しい」とか「やさしい」という話を聞くことがある。
例えば一門では「十一面観音」はとても厳しいとされ、天部尊(特に実類)は修行途中の弟子でも簡単にお祀りすることは許されない……というようなことが実際の話としてはある。
私はまだ多くの尊格に対峙したことはないので、個人的にそんな評価ができる立場にあるとは思っていない。
それでも、ただ一つだけ「きっとそうだろうな」と思うことがある。
それは……
『(あくまで)私にとって』准胝仏母さまは『とても厳しい』ということ。きっとそれは尊格としての准胝さまが厳しいというよりも准胝さまが私の「本尊」だからだろと思っている。
准胝仏母は「仏部」にいる尊格なので、本来ならば……例えば天部尊よりは厳しくはないだろうし「仏母」という「母」の属性を持つ尊格ゆえの「やさしさ」だってあるはずだ。おそらく「信者」として信仰する分にはとてもやさしい尊格なんだと思う。
行者が、自分にとっての生涯の「ご本尊」と決めた尊格は、決して行者を甘やかしてはくれない。多分そうだと思う。
「ご本尊なんだから、いつでも助けてくれる?」
とんでもない!!私は頼れば頼るほど、むしろ厳しい環境にどんどん放り込まれた。しかも結構ギリギリまで追い詰められる。精神的にボロボロになるまで。
私が行者になるために足りないことが多いから、そんな試練をあえて与えてくれている。そう言った意味で私はそうまでして鍛えてもらわないと「ダメダメ」という可能性が高いのか(笑)
「いや、本尊が厳しいなんて感じたことがないな」
と言う方は、きっと厳しくされなくても成長できる方か……
もしかすると「そもそも相手にされていない」のどちらかかも。
私はこういった厳しい目にあうことは、「試されてるんだろう」と思うことにしている。すると「行動を変えねば」という成長に力点を置ける。
「でも、厳しいばかりでなにがいいの?」
人間は確かに弱い生き物だから、厳しいばかりでは耐えられない。
でもね……どういう訳かいつもギリギリのところで最悪のことにはならないんだよね。だから長い目で俯瞰してみると人生はずっと上向いている。だからこそ私は本尊に絶対的な信用が芽生えた。
ご本尊である准胝さまは私にとって最後まで厳しい存在だと思っている。きっとご本尊が優しく頭をなでてくれるのは、死ぬ間際の死の床でなんだろうと思う。
だから私は最後に「がんばったね」とご本尊から言ってもらえるまで本尊の試練に耐えいこうと思っている。
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