「観音さまは変化(へんげ)する」
この話は皆どこかで聞いたことがあると思いますが、結構この話題に関しては「もやっ」としている人が多いように思います。
理由は「観音経(観世音菩薩普門品)」では確かに、観音が三十三の姿に変化して「仏の教えを説く」と書いてあります。
観音さまが色々な姿になる=変化(へんげ)する論拠は間違いなくこの観音経です。
ではなんで皆「もやっ」としてしまうか?
それはたぶん「六観音」のメンバーである「変化観音」達がいるからではないでしょうか?
実は私もはじめて観音経を読んだときに「おや?観音さまが変化するって変化観音になる訳じゃないんだ?」とかなり違和感を感じました。つまり観音経の内容は、当時考えていた観音の「変化」ではなかったのです。
「観音さまは変化する」と聞いて、私のように十一面観音、如意輪観音、千手観音……といった仏像でよく見かける六観音のようなお姿を想像した人は多いと思います。
実は混乱の原因になっているであろう?六観音。この論拠は観音経の三十三身とは「出所」が違います。
少し仏教に詳しい方はご存知の通り、これらの六観音は六道輪廻の「六」と結びついており、この六観音思想の元になったのは中国の天台知智顗(ちぎ)の『摩訶止観』が初出とされます。
日本おいては真言宗の仁海が制定した六観音(十一面、千手、如意輪、馬頭、准胝、聖)が定着しましたが、実はそれより前に私が所属する天台寺門宗の宗祖である智証大師円珍の著作でも先に六観音が記されています(以外に知らない人が多いと思います)。
残念ながら円珍の六観音は普及せず仁海が制定した六観音が日本に定着することになります。ちなみに天台宗が六観音を真言の六観音に「寄せた」時に准胝だけを仏母として観音と認めず不空羂索を入れたことは以前の記事でも書いた通りです。
ちなみに円珍が著した六観音は大悲、大勢至、多羅、毘倶胝、白処、馬頭の六尊です。今の我々からするとあまりなじみない尊格が並んでいますね。
確かに胎蔵曼荼羅の蓮華部(簡単に言うと観音ファミリーの部屋)にいるメンバーですが、観音そのものは馬頭くらいでしょうか。他は大勢至は勢至菩薩、多羅菩薩はチベットで人気の女尊ターラー、毘倶胝も観音の眷属である女尊。白処は白衣観音ですが、もとは女尊。これらのメンバーは男尊である観音というには微妙な感じがしますね……
さて仁海が示した六観音に話を戻します。このメンバーは法華経の三十三身とは違う「変化」をしていますが、なんでこれらのメンバーが「真言宗=密教」で制定されたのかがポイントだと思います。
つまり六観音に見られる変化観音はほとんど初期密教で説かれた「陀羅尼経典」を基礎におく観音だということです。准胝尊の話でも准胝がもともと陀羅尼から生まれたという話をしました。事実、奈良時代に将来された経典の多くが観音を中心とした陀羅尼経典だった事が知られています。
陀羅尼経典という初期密教では、つまるところ現世利益を説く経典ということになるのでそれが当時の権力者に「うけた」というのは納得のいく話です。だからこそ陀羅尼経典から引っ張ってきた変化観音が注目され普及していく事がよく分かります。
今まではぼんやり「観音の変化」と捉えていたたかが多かったと思いますが?まずは法華経の三十三身と六観音という変化観音は実はちょっとニュアンスが違うということをまずは押さえておくのがいいと思います(^^)
また機会がありましたらもう少し突っ込んだ話をしたいと思います。
今日のところはここまで(^^)
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