准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

幻覚は現実よりもリアルに視える、という話

 幻覚の話をしましょう(^^)

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 まず脳科学の図書「脳のなかの幽霊」に登場する、ラリー氏と、著者のラマチャンドラン博士の会話の引用です。

 なかなか面白い会話です。

『「入院していたころは、色がもっとずっとあざやかでした」とラリーは言った。「そのころはどんなものが見えたんですか?」「動物や車や船などです。犬やら象やら、いろいろと」「いまでもそういうものが見えるんですか?」「ええ、そうなんです。いまもこの部屋のなかに見えています」「いまこうして、話をしている最中にですか?」「そうですとも!」
 私はがぜん興味をもった。「ラリー。ふだん幻覚が見えるときは、部屋のなかにあるものの上にかぶさることが多いと言ってましたね。でもいまあなたは、私を見ています。いま、私に何かがかぶさって見えているのではないのでしょう?」「先生を見ているときは、先生の膝に猿が座っています」「猿ですって?」「ええ、膝の上に」
 私は彼が冗談を言っているのかと思った。「どうして幻覚だとわかるのか教えてください」「それはわかりません。でも、猿を膝にのせている教授というのは、あまり考えられませんから。だから本当じゃないだろうと思ったんです」。ラリーは楽しそうににっこりした。「でも、とてもいきいきして本物に見えますよ」。ラリーがそのまま話を続けたのは、私がひどく驚いた顔つきをしていたからにちがいない。(中略)「それから幻覚にはおかしなことがあって、本物よりよく見えることが多いんです。色が明るくて強くて、異常に鮮明だし、実際に本物より本物らしく見えるんです。わかりますか?」』

 さて驚きの「幻視」に関する記述ですが(笑)、きっと我々多くの人が、この幻視に関して「誤解」していることがいくつかあるようです。まず一つ目は「幻覚」「幻視」というと精神疾患、特に統合失調症やドラッグ中毒患者に限ってみるものと思っています。しかし今紹介したラリー氏はそのどちらでもありません。彼の精神は全くの正常ですが「視覚障害がある患者」なんです。そしてこのラリー氏のような幻覚症状のことを「シャルル・ボネ・シンドローム」と呼ぶそうです。これについてラマチャンドラン博士の説明を紹介します。

『(シャルル・ボネ・シンドロームは)世界中にごくごくふつうにみられ、緑内障白内障黄斑変性、糖尿病性網膜症などで視力の弱くなった人たちが何百万人も、この障害になっている。(中略)だが、おかしなことに、ほとんどの医師はこの障害のことを知らない。一つには、こうした症状がある人は気が変になったと思われるのをおそれて、そのことを言いたがらないらだろう(脳のなかの幽霊 V・S・ラマチャンドラン著 角川書店)』

 多くの人は、「幻覚」という言葉を聞くと上述したように統合失調症やドラッグ中毒などの「精神疾患」という想像をすると思います。漫画やドラマでも「幻覚が見える」とか場合によっては、我々ともなじみのある?「霊が見える」と主張する人を精神病院に引っ張られていくという描写は鉄板のテンプレートですよね?

 他のブログでもこのシャルル・ボネ・シンドロームを解説したページがあったので一部引用します。

『(「シャルル・ボネ症候群」という目の病気は)「視覚システムの何かの要素が適切に作用しなくなった時、補おうとする脳の働きで独自に像が作られる」という現象である。実在しない映像と自覚があるのが、精神疾患との明確な違い。高齢の低視力者の10~40%に起きている可能性があるが、それを他人に訴える人は1%以下といわれる。「おかしくなったと思われる」のを恐れて誰にも打ち明けない人が多いとみられている。「期間に個人差はあるが、いずれ消えるものであり、日常生活に支障がなければ特に治療の必要はない」という。「精神疾患ではないと自覚することが最良の治療法」だそうだ。』

※このページから引用しました↓

www.hidakashimpo.co.jp

 この病気は視覚に一部欠損があると、脳はその欠損部分を欠損したままにぜず映像を補完してしまうようですね。ただその映像の補完の仕方が、全く無関係な映像であることが殆どのようです(例えば上述の猿のように)。

 ここで我々が覚えておくべきポイントは「脳は正常でも、現実と(場合によっては現実以上に)リアルな映像を脳は勝手に作れるということ」ですね。

 脳はそれくらいのポテンシャルを持っている。だから例えば瞑想、禅といった所謂「変性意識状態」ともなれば、脳の視覚野の働きが遮断されてリアルな映像が出現するなんてことは当然起こり得るということだと思われます。

 ただ私が言いたいのは「瞑想の時に見える映像は所詮幻覚ってことだろう」というネガティブな話では全くありません。

 むしろ「無意識の情報(もしかするとそれは神仏からのメッセージかもしれない)」を脳はリアルに映像変換してくれる優れものなんだとポジティブに思ってみてはどうでしょう?という提案です。

 また、この本を読む前の私は「幻覚」というと「ぼんやり見える」「視えた気がする」程度の曖昧なものだという認識していましたが、このシャルル・ボネ・シンドロームを知ってからは、無意識のメッセージ(場合によっては神仏からのメッセージ)が映像化するときは「はっきり視える」を期待するようになりました。

 まあ、残念ながら私はそんなにはっきり、そんなリアルな映像を見たことがまだありませんがね(笑)

 また仏教では、言わずもがなですが瞑想、禅で見るようなリアルな映像は「魔境」といって注意すべき存在とします。その「魔境」で自我肥大を起こし「仏に会った」なんて勘違いを起こさないための一つの「智慧」として「脳はこの程度の映像は作れるぞ」という情報をひとつ持っておくことは決して邪魔にはならないと思いました(^^)

 

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