「那智の瀧が見たい」
私の加行中に、具合を悪くしていたかみさんがそんな事を言い出した。
かみさんは歴史散歩が割と好きなので「京都、奈良に行きたい」なら分かるのだが「那智の瀧」というチョイスに違和感を感じた。
しかし私は、昨日「那智の瀧」の鳥居の前に立ち「飛瀧」の文字を見た時「なるほど、そういうことか!」と全ての合点がいった。
瀧という字は、水に龍であることはご存知の通りです。
私は先日の加行では「龍神」をお呼びして「水」をコントロールする法を授かり、その法ができるかできないかがこの行の合否を決める重要な「意味」を持っていました。
また行中、護摩の火を通じてお姿を現したのも「龍」でした。
だから私はこう解釈しました。
「お礼詣りに来なさい」
そんな龍神のメッセージに違いないと。
仙台から大阪を経由して、那智にたどり着くには正直「海外」へ行くよりも時間もコストもかかります。でも今回のことは「そこまでしてでも」という意味があるものと思いました。
「行きたい」「行こう」と二つ返事で、翌日に出発するなんて簡単なことではありません。
でも私の中では「神仏のメッセージと思ったのなら」いち早く行動するべきという行動原理を軸に据えています。密教修行者であるならこの軸をブラしてしまうと多くのメッセージを見逃してしまうと思っています。
「いかに神仏のメッセージに気づいて、すぐに行動できるか」
このような私の行動原理は、一般の方からすると「なんか誇大妄想が過ぎてちょっとついていけない」と思われると思います。
それはそうですよ(笑)私は所謂「一般的な」行動原理よりも、「宗教的な」行動原理で動くと「選択」しているのですから……
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