今日、仙台市泉区にある散歩コース「水の森」に立ち寄った。比較的大きな貯水池に沿った散歩コースは高低差のある雑木林で良い散歩コースとして整備されている。
しかし、そんな「のどかな散歩コース」の途中に「叢塚(くさむらづか)」と書かれた碑がある。仏教者の端くれである性で、こういった碑にはどうしても目がいってしまう。
「叢」という字は「そう」と発音することは知っていたが「くさむら」という意味だとは知らなかった。
「くさむらの塚」の「くさむら」が意味するところがよく分からなったので(つまりこの碑が何の目的で建てられたか分からなかったので)、碑を前にしてスマホを開いて調べてみる。
すると『叢塚は飢饉を生き延びた当時の人々が、有縁無縁の餓死者の成仏を願って建てたもの』という説明文を見つけた。
そしてその塚の多くが仙台にあることに何とも言えない心苦しさを感じた。
さらには、私の目の前にある「塚」の「由来」を見て思わず絶句した。
『「この地は明治十五年夏に大流行したコレラにより死んだ人達の死体焼場跡である。火葬死体数二七六とあり、残骨と灰で築かれた塚の上に立てられたのがこの供養碑である。昭和五十一年三月三十一日 仙台市教育委員会 財団法人宮城県文化財保護協会」』
下のリンクのページを読むと、明治15年のコレラ感染者が仙台で920人を超し、410人の方が亡くなったとあります。つまり感染者の半数近くが亡なるという恐ろしい現実があったのだ。そしてこの塚にはその410人のうち、276人の方がまさにこの「叢塚」のある」この地で火葬されたということ。
以前、大正時代にパンデミックを起こした「スペイン風邪」に関する話題を記事にしたことがあった。
「英雄たちの選択」というBSテレビ番組での特集を取り上げて、「パンデミックは歴史に学ぶべきことあり」という話をした。
今のコロナ渦よりはるかに深刻なパンデミックを日本では既に何度も経験してきているという事実。その事実にもっと我々は関心を持つべきだと改めて痛感した。以前の記事で書いたように、今こそ、その歴史から学ぶべきであると。
長閑な散歩コースにひっそりと目立たないようにある「叢塚」。それが現代に訴えかける「意味」があまりに大きすぎると感じた。
記事が参考になったら
クリック↓お願いします!