准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

赤毛のアンと密教の観想

 私は比較的「アニメ」を見る方ですが、特にジブリ作品は「マニア」と言ってもいいくらいに精通している自信があります(笑)

 ジブリアニメの監督と言えば当然「宮崎駿監督」の名前が真っ先に上がりますが、もう一人宮崎駿の「盟友」と言われる名監督がいます。ご存知ですか?残念ながらもうお亡くなりになりましたが、あの名作「火垂るの墓」を作った高畑勲監督です。

ja.wikipedia.org

 ジブリアニメの興行的には、実はあまり高畑監督の映画アニメって「玄人向き過ぎて」成功はしていないのですが、実はTVアニメでは皆が知る有名作品の監督をしています。

曰く……

アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」「赤毛のアン」etc……

 所謂「世界名作劇場」の人気作品の多くは高畑勲監督が手掛けていたんですね。上に挙げたTVアニメ作品に宮崎駿がスタッフとしてクレジットされているもの有名な話です。

 さて……そろそろ本題です。近頃NHKで「アンという名の少女」という海外ドラマが再放送されています。

www.nhk.jp

 これは所謂「赤毛のアン」なのですが、実はかみさんが原作も含めた「赤毛のアン」の結構なフリークなんで、私もそれに付き合せれてこのドラマを一緒にみていました。

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(※フリーイラストです)

 ご想像の通りなのですが?その流れでかみさんも「久しぶりにアニメもみたい」となって上述した「世界名作劇場」の高畑勲監督「赤毛のアン」を毎日夕食後に見るのが最近の日課になってしまったという訳です……

 ジブリアニメが好きな私としては、なかなかどうして、この高畑監督の赤毛のアンが面白いのです。だから最近は私も結構楽しんでみているのですが、そこで「密教修行者としての私」的に「はっ」とする場面に出くわしてので、ちょっと紹介したいと思います。

 言わずもがなですが、アンという少女は孤児で、否応なしに辛い環境で育っています。アンはその辛い現実を乗り越える「術(すべ)」としてたぐいまれなる「想像力」(そしてそれは妄想力でもある)でその辛い環境をポジティブにとらえ乗り切ってきたというバックボーンがあります。

 だから厳しい状況に接しても常に前向きな想像力(妄想の力)で乗り切っていくためのポジティブで素敵な言葉が沢山物語に出てきます。そんな言葉の数々がアンの大きな魅力の一つであることは間違いないと思います。

 そして私がが今回「はっ」した場面もアンがそんな「想像力」を発揮する割と有名な場面です。

  ではその部分のセリフを全部紹介しますので、私がどこに「はっ」としたのか当ててみてください!

(アニメ「赤毛のアン」第13話「アン、学校に行く」より引用)

(友人の)ダイアナ「ほらみて、あのくぼ地にね、春になると一面にスミレの花が咲くのよ!」

アン「そんなに?」

ダイアナ「足の踏み場に困るくらいよ!」

アン「ふーん……わー!ダイアナ、だったら、だったらダイアナ?あのくぼ地をスミレの谷と呼ぶことにしない?」

ダイアナ「スミレの谷?」

アン「そうよ!そうすれば花が咲いていないときだってまるで一面のスミレが目に浮かぶようじゃない?」

ダイアナ「そうね、すてきね。でもあそこ谷じゃないわよ?」

アン「あら?だって名前が綺麗な方がいいでしょ?それに谷だって想像すればいいわ」。

 さて、どうでしょ?何か感じましたか?

 映像的には小さなくぼ地(谷ではない)にスミレもまだ咲いていないのに、アンが想像力で一面に咲き誇るスミレの上でダイアナと踊る姿をありありと想像する場面が流れます。

 私が「はっ」としたのは、最後の二人のセリフです。ダイアナは現実的に「くぼ地」は「谷ではない」ことを指摘します(野暮ですね:(笑))しかし、アンは「そう名付けてしまえば、その映像が目に浮かぶじゃない?」という提案をしている訳です。

 これは密教の「観想」というイメージによって神仏を供養する「方法」に、多くのヒントを与えるように思いました。

 イメージ力というのは、時に言葉なく映像を必死に作り出すよう思われがちです。しかし実は(アンが言うように)言葉の先導によって映像が後から自動的に出てくるという発想に「これは確かにそうだ」と感心してしまいました。

 確かに我々は「観想」の時にただ黙っておらず「ある文言」を口にします。だた映像を想像するだけでなく、またただその「文言」を機械的に言うだけではなく「言葉」の先導によって「映像」がよりありありとイメージしやすくなる。

 この場面では「くぼ地」をただ「谷」と一言、言い変えるだけでそれが出来てしまうことにちょっと感動しました。

「当たり前」かもしれませんが、「言葉」の力を改めて感じるエピソードとして私はこれはとても「目からうろこ」の体験でした。

 時にアニメでもこんな大きなヒントをもらうこともあるんだなと思ったのでした(^^)

 

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