「修験道」の行者、つまり「山伏」が明治維新以前には17万人もいたという記事を見ました。
http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen24.htm
記事によると、当時の日本の人口は現在の1/4程。だから17万人という数を現在の人口に換算すると60数万人もの修験行者がいたことになります。
ちなみに現在の仏教全体でのお坊さんの数は40万人前後とか。だから感覚的には現代のお坊さんの数より山伏の方が多かった時代があったということですね。
それが感覚的に分かる「事実」として、我々が知る山々のほとんど全てが「山岳信仰」として礼拝の対象であったということでしょうか。
それは何も有名な山々に限らず、地方の所謂里山に至るまで、必ずと言っていいほど「拝まれていた」痕跡をみることができます。
私が住む仙台市で一番「目立つ」「有名な」山に「泉ヶ岳」という美しい山があります。
標高1175メートルの山で、全国区では無名の山である泉ヶ岳にしてもむろん山岳信仰の歴史がしっかり残されています。
また、この泉ヶ岳とは別に、私が住む仙台市からもよく見える「里山」に「七ツ森」があります。
上記ページの写真を見ていただくと感じていただけると思いますが、遠目には七つの山が連なっていてとても独特な雰囲気を醸し出しています。
こんな雰囲気がある山なら当然「信仰」の対象になるのは納得ができますね。
事実この「七ツ森」は地元では「信仰の山」として割と有名で、この7つの山の山頂にはそれぞれ「薬師如来」が祀られています。この7つの薬師如来を1日で詣でることを七薬師掛けといって、かつては旧暦の4月8日に、大森薬師如来祭礼に合わせて行われていたそうです。「〇〇掛け」というネーミングがいかにも修験ですね。
さて、薬師如来といえば「薬師三尊像」や「十二神将」などの「三」「十二」という数字は馴染みがありますが「七」という数字はどうでしょう?
実はたまたま7つの山があるから「七薬師」としてのではなく(確認はしていませんが)「七仏薬師」からきているものと思われます。
「七仏薬師」とは……以下ウィキペディア
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。
善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい)
金色宝光妙行成就王如来(こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい)
無憂最勝吉祥王如来(むうさいしょうきちじょうおうにょらい)
法海雲雷音如来(ほうかいうんらいおんにょらい)
法海勝慧遊戯神通如来(ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい)
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)
別のページの説明もご参考までに
という事で、地元の里山を少し調べるだけで、これだけ「信仰」に触れることができます。
是非皆さんも地元の「里山」の歴史を少し調べてみてください。
きっとどんな小さな里山もかつては「山岳信仰」だったことにびっくりすると思います。もしかすると、いつもお参りしていた神社が実はその山の「里宮」だったなんて発見があるかもしれないし、また実際にそんな情報をもってそれらの山々に登って見れば、きっと山岳信仰の息吹を感じることができること間違いなしです!(^^)
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