「加行」と呼ばれる初行では完全に「娑婆世界」、つまり「日常生活」から隔離された状態でただただ神仏と向き合うという修行をする。「日常生活から隔離される」という意味では現代社会に住む我々は、それを「厳しさ」として経験することになる。
私は一か月前に行った「加行」はまさにそう言った修行であった。しかし今は「補修」として自宅で毎日「加行」を続けている。
この場合、当然だが「日常生活から離れて」ということは不可能で、仕事に行き家族や知人とのコミュニケーションもありという中で修行になる。
これは日常生活から離れないでいいから「楽」という面はあるにはあるのかもしれない。しかし、日常生活に接しているからこそ「厳しい」面が実は多くあるのだ。
昨日から今日にかけてそれをまさに経験する。
昨日、仕事上でちょっとしたトラブルがあった。私はその件で、精神的にかき乱された。具体的にはそのトラブルを思い出すたびに「怒り」の感情に捕らわれてイライラが止まらなかった。
「怒り」にもいろいろあると思うが、多くの場合そこには「怒り」を向ける「人」が存在する。今回の私の場合がまさにそうだった。
だから知らず知らずに「怒り」を心の中で「その人」にぶつけてしまう。
そして、このような状況で「修行」を行うことになるのだ。
なんとも恐ろしいのは本来「神仏」と対話するはずの場面で、そのトラブルの張本人の「その人」に対する怒りの感情を「このやろう」とばかりに吐き出している自分に気づきゾッとした。
こんな経験をすると日常から離れての修行では決して経験できない「厳しさ」「難しさ」がそこに存在することを痛感する。
そして自分の未熟さをいやと言うほどに突き付けられる。
激しく怒り、そしてそれを制御もできず、さんざんな行をして「自己嫌悪」で泣きたくなった。
……今朝、行を終えて、暗い顔でリビングに戻ると、私に気づいた猫がお気に入りのマットの上で「きょとん」と私を見た。
その姿が愛らしく、落ち込んでいた自分なのに「ふと」ほほ笑んでしまった。
今朝は少しだけ猫に救われ、そのタイミングでそこにいてくれた猫に感謝した。そして、これも「日常」だからこそだとも思った。
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