在家信者時代に「在家星祭」の行を只管やっていた時期があります。
現在は、ここに毎年拝受する家族全員の「星供」のお札をお祀りし、その名残で今でも供物には「ナツメ」を必ず加えてをお供えしています。
さて、冒頭の話を読んで……
「え?在家信者が行できるの?」
と思われた方がいると思いますが、私が当時行っていた「星祭」は在家でもできるもので師僧が以下の図書で紹介されていたものです。
在家の信者でも、毎日の勤行では満足できず「行がしたい」と思う人は少なからずいると思います……まさに私がそうでしたから。
言わずもがなですが「密教」ならば「行がしたい」と言っても勝手に始めることは叶わず「伝授」が必要になります。そして行者を目指して「伝授」してもらうにも超えるべき段階が多くあってそう簡単に「伝授」までたどり着けるものではありません。
「ではなんでこの行は在家信者なのにできるの?」
という疑問が当然出てくるわけですが、その答えはこの行の典拠が密教経典ではなく、中期大乗仏教経典である「金光明最勝王経」だからです。
「金光明最勝王経」と言えば、『聖武天皇は『金光明最勝王経』を写経して全国に配布し、また、741年(天平13年)には全国に国分寺を建立し、金光明四天王護国之寺と称された(ウィキペディア)』ことで有名ですね。
このお経は上述の通り『インド中期大乗仏教』のお経なので「密教経典ではない」ということなるのですが、内容的には成立時期が「密教成立時期=後期大乗仏教」に近しく、内容もすでに密教的要素を多分に含んでいるお経として知られています。
事実チベットでのこのお経は「密教経典」に含まれているようです(下記引用参照)。
「『最勝王経』は、高野山金剛峯寺において現在も毎年旧暦六月十・十一日に厳修されている「御最勝講」で論義される基本的経典であるが、チベットでも密教経典として扱われるので、密教と不可分の関係をもっているといえよう。(『金光明最勝王経』重顕空性品に見る空性論と実践論 古坂紘一より引用)」
さて、上で紹介した「在家星祭」の行は、短いながらも緻密な作法になっており初行者の私から見て「ほとんど密教だな」と思えてしまいます。なんと本尊の略式開眼法まで解説されていますからね(驚)。ちなみに上の写真の中央にある尊星王菩薩の仏画は、当時本の通りに略式開眼を自分で行いました。
また本尊の仏画は『仏画工房 楽詩舎』の白画に色を付けてもらったものです。
これです↓。
当時、「星」に対する信仰が、いまいちピンと来ておりませんでしたが、この行をほぼ毎日2座、半年くらい(おそらく数百座)続けたので、「在家の行」と言えども「星」に対するご縁は多く頂けたものと信じています。
「在家星祭」……冒頭でお話ししました通り「行がしたい」と前向きに考えている方にはお勧めです。
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