「ゼロか百か」
若かったころ(実は私にもあったんですよ?若いころが……)、時に万能感で「俺ってすごい!」と思っていたかと思うと、ちょっとしたことで「俺って何をやってもだめだ」とどん底まで落ち込む。
そんなことがよくあった。
つまり心の振り子が端から端までいつも振り切ってしまって中間がない。つまりゼロか百か。選択肢が見えなくなってるんですよね。いわゆる視野狭窄を起こしている。
しかし、それから数十年も経つと「自分の能力」というものが概ね分かってくる。何でもかんでもできる訳がないし、かといって得意なものが全くないこともない。
最近では、振り子は左右に振り切ることなく正しく振れるようになったのかな、と思う。
だからかつてのように「万能感」に溺れることもないし(そんな自分は何でもできる天才ではないことを知っている)、かといって「全てダメ」という理由でどん底まで落ち込む必要がないことも分かった……まあ、些細な事で落ち込むことは未だに日常茶飯事だが(苦笑)
「自信」と「慢心」は表裏一体。
だから「万能感」までいかずとも自分の能力を過大評価して自信過剰になってしまうリスクはある。
ただ、人生を前向きに生きていくため、自分の長所についてはまず「自分で気づいて」「「自分で認めてあげる」ということを特に意識しないと、途端に生きづらくなるように思う。
特にこの現代において「生きにくい」と感じている人の多くは「能力がない」ことよりも(そんな人はいない)「自己肯定感が低いだけ」なのは間違いない事実だと思う。
「ストロングポイント(長所)は誰にでもある」
皆そんなことは知っているはずなのに、なぜか「自分」にはそれが該当しないと思ってしまっている人が意外に多い。
問題はそのストロングポイントに気づけないと自分は無能と思ってしまって、自己肯定感が下がってしまうという、そのことが問題なのだと思う。振り子がゼロ側に振り切れてしまっていて、それに気づけない。
幸いにも、自分の長所に気づけた人はおそらく私なんかに言われないでも積極的に「その長所」を発揮できる「行動」を起こしていることと思う。
私は場合では、割と「言葉」を使うのが得意なのでこんな風に「ブログ」を書いたり、仕事では積極的に「スピーチ」をする機会を増やしたり。
この歳になってつくづく思う事……「何でも出来る」なんて幻想は捨てる。しかし「何も出来ない」なんて幻想も捨てる。
そんなことより早く自分のストロングポイントに気づく。そして行動する。
今どきの言葉を使えば「選択と集中」というありふれたビジネス用語になってしまうが、仏教的には鎌倉仏教の「選択 (せんちゃく )と専修 (せんじゅ)」かな(ちょっと違うか?!)
また、我々のような年長者が振り子を左右に振りまくって「生きにくさ」を感じている若者に出合ったなら「その人の長所」を教えてあげることだと思っている。そして場合によっては「短所」にも気づかせてあげて「短所を伸ばす」のか「長所で勝負するか」という選択肢があることを教えてあげる。
私の周りには若い営業マンが多くいて、一緒に仕事をする機会も多い。でも話をすると有名大学出身で本来頭もよくて優秀なはずなのに「営業向きでない」という理由で、「できないやつ」というレッテルをはられていく姿を何度も見てきた。だから私はそん若者を見たらお節介でも本人に「別の道」を選択するようにアドヴァイスするようにしている。
自分の息子と同じ年頃だからほっておけないというのもあるんだけど(笑)
だから皆さん(特に若い方々……読者にいるのかな?)「何でも出来る」なんて幻想は捨てる。しかし「何も出来ない」なんて幻想も捨てる。
これが、今日のおっさんからのお節介なアドヴァイスです(^^)
記事が参考になったら
クリック↓お願いします!