准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

補陀落渡海と即身仏

 先に「熊野へ参詣した」という記事を書きました。

ryona.hatenadiary.jp

 この時に、かみさんが「どうしても立ち寄りたい」と主張したところに「補陀落山寺」がありました。

ja.wikipedia.org

 少し前の記事「鑑真和上」の中で、かみさんは井上靖の「天平の甍」を読んでいたために鑑真の話に詳しかったという行(くだり)を記した。それと同じように実は「補陀落山寺」に行きたいと主張した理由も「井上靖」の「補陀落渡海記」の影響のようでした。

 

 「天平の甍」にしても「補陀落渡海記」にしても「悲劇」を扱うストーリーが好きすぎるかみさんに一抹の不安を感じつつも(^^;、今日はそれは深追いしません(笑)

 

 さて仏教徒の方はご存知の方が多いと思いますが、念のため「補陀落渡海」について教科書(という名のウィキペディア)で確認してみましょう。

 『補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、自発的な捨身を行って民衆を先導する捨身行の形態である。

(中略)

 この行為の基本的な形態は、南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、そのまま沖に出るというものである。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。ただし江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体(補陀洛山寺の住職の事例が知られている)を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化する。

 最も有名なものは紀伊和歌山県)の那智勝浦における補陀落渡海で、『熊野年代記』によると、868年から1722年の間に20回実施されたという。この他、足摺岬室戸岬那珂湊などでも補陀落渡海が行われたとの記録がある。

(中略)

 仏教では西方の阿弥陀浄土と同様、南方にも浄土があるとされ、補陀落(補陀洛、普陀落、普陀洛とも書く)と呼ばれた。その原語は、チベット・ラサのポタラ宮の名の由来に共通する、古代サンスクリット語の「ポータラカ」である。補陀落華厳経によれば、観自在菩薩(観音菩薩)の浄土である。

 浄土信仰が民間でも盛んとなった平安後期から、民衆を浄土へ先導するためとして渡海が多く行われるようになった。渡海は概ね黒潮が洗う本州の南岸地域で行われた。特に南紀・熊野一帯は、それより以前から密教の聖地、さらに遡って記紀の神話も伝わる重層的な信仰の場である。『日本書紀』神代巻上で「少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適(いでま)しぬ」という他界との繋がりがみえる。黒潮は地球規模でも強い海流の1つであり、この流れに漂流するとかなりの確率でそのまま日本列島の東側の太平洋に流されていき、戻ってくることがない』

ja.wikipedia.org


 現代に生きる私にはなかなか理解が及ばないというのが正直な感想です。

「捨身行」ということについては、個人的には仙台に住んでいるということから、全国的に見ても山形の庄内地方に圧倒的に多く残っている「即身仏」を思い出します。私は仙台に赴任して以来、山形の多くの寺院に足を運びましたがその中でこの「即身仏」を礼拝する機会も何度かありました。

ja.wikipedia.org

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 江戸時代の飢饉、疫病の流行……特に東北という土地は「飢饉」により被害は甚大だったはずです。そのような抜き差しならない状況において「民衆を救うために」という僧侶の強い想いで「捨身行」を選択したという事実。現代人がとても真似のできることではなくとも補陀落渡海のように「理解が及ばない」ということはなく、そんな上人の心の内を思えば胸に去来するものは多くある。

 さて、井上靖の「補陀落渡海記」には金光坊(実在の人物)の最後の言葉が「漢文」で出てくるそうなのだがかみさんから「仏教徒なら読めるでしょ?」と言われて見せられた。

 ご存知の方も多いと思いますが!?私は漢文が苦手で加行で「補習」がついた人間です。

 それでも「苦手だから」と言えずその「漢文」を見てみる。

 するとこう書いてあります。

蓬莱身(宮)裡十二樓 唯心浄土己心弥陀
求観音者 不心補陀 求補陀者 不心海

 この言葉が補陀落渡海に対して「前向きの言葉」なのか「否定の言葉」なのかは読者に任されているようで、かみさんも「どちらか」は悩ましい部分だったようです。

 ということで「漢文」よりも「ネット」の得意は私は(汗)ネットを駆使してこれについて解説しているページを見つけましたのでそれを記したいと思います。

『蓬莱宮には十二の楼閣(熊野十二社)があり,〔ここでは〕唯心(ゆいしん)の浄土,己心(こしん)の弥陀こそ第一としている。〔ここにおればよいものを,それにも関わらず〕観音様の浄土である補陀落山を求める者には,その心に補陀がなく(浄土もない),補陀を求める者には,その心に海がない(弥陀もない,航海の途中で死んでしまうことを考えようともしない)。〔そのような者が海を渡って補陀落山に行く意味も資格もない〕』

 なるほど、これが正しいとすると明らかに「補陀落渡海」に対しては「批判的」な意見ですね。

 ただこの「漢文」は井上靖の創作のようなので、つまりこれは「井上靖」の意見という事になるのでしょうか……

 

 先に私は「理解が及ばない」と書きましたが、これを機会に「補陀落渡海記」を読んで少し理解を深めて改めてこの問題を考えてみようと思いました。

 

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