本山の修験修行に参加すると、毎回サポートに入ってくれるAさんという不思議な方がいる。「不思議な」と形容するのは大変失礼だとも思うのだが、私にとっては「いろいろ凄すぎて不思議だ」という極めてポジティブな意味です。
例えば自転車だけで世界一周をしてみたり、サンダルでお遍路を歩ききったり、大峯奥駈道は数日で毎年何度も走破しるようですし、はたまた素晴らしいお像を作る仏師だったり……得度はしていないのだが、修験のことを一次資料(古文書)をあたって調べるほどの本格的な研究もされていたり……とにかく不思議なくらい凄い人です。
ある時、そのAさんが調べている修験についていろいろ教えてもらう機会がありました。その時に伺った内容は日本の山岳宗教の歴史について。普通我々の認識では修験道は開祖「役行者」によってはじまった宗教だと認識しています。しかしAさんが言うにはもちろん「修験道」という形を整えたのは「役行者」だが、役行者が現れるはるか以前から山岳を神として信仰する習慣が日本にはあったといいます。
役行者は600~700年くらいの方ですから修験道の歴史は千数百年前からと考えれば十分に長い歴史と感じます。しかしAさんに言わせれば信仰の歴史は「桁が違う」とおっしゃっていたことに驚いた記憶があります。桁が違うということはつまり1万年以上もまえという話となりますから縄文時代でしょうか。
古代人は「巨石」だったり「巨木」を聖なるものとして恐れ敬った。役行者は新たな場所を聖地として選んだのではなく、古代から、それこそ「万年」も人々に敬われていた「そのような場所」を修験の聖地としたはずだと言います。
Aさんは修験が起こった「関西」だけに限ったことではなく日本全国で山岳信仰はされていたはずで特に「東北」にはとても興味があると仰っていました。
そして私はほどなくしてAさんの話が「たしかにその通りだ」ということを目の当たりにします。
宮城の地で、その痕跡に偶然出会ったのです。
前に「七薬師掛け」という修行が残る里山があると紹介したことがありました。
その山を訪れたときに、この山々の「里宮」になっている神社がまさに「その痕跡」であることを知りました。
石神山精神社(いわがみやまずみじんじゃ)といいます。
その名前からすでに「石」がご神体であることがうかがえます。
この神社、確かに社はありますが、ご神体が境内の最奥にある巨岩であったととは間違いありません。
この巨岩はいつから礼拝の対象になっていたのか?
この地域のことを知らべてみると、縄文時代の集落が点在していたことがうかがえます。
であるとするならばすでにその当時にこの巨岩を見て、恐れ敬う人がいたに違いありません。
私のような現代社会に毒された凡人ですら、この巨岩の前に立てば理屈抜きに「聖なるもの」を感じます。いわんや古代人をや。
今日は、小雨が降っていましたが「ふと」この神社に行きたくてかみさんとふらりと参詣に行きました。自宅から車で30分程度かかるのでそこそこ距離はあります。
車を降りると、降っていた雨がやみ少し日が差してきました。
「ああ、タイミングがいい」
そう思いながら鳥居をくぐり細い石段をのぼります。
毎度思うのだが、ここの「空気感」は特別です。
少し大げさかもしれないが「玉置神社」に近い空気感がそこに漂っています。
そして本殿の裏手に回ると樹齢千年を越えるご神木と巨岩が目に入ればその聖なる雰囲気に誰もが圧倒されるはずです。
もともとそれだけのパワーがある場所であるはずだし、万年も祀られている歴史の力もあるのだと思う。
聞けば「岩を神として祀られている神社の中では一番古いとされている」そうです。社としても宮城で最も古いといわれているとか。しかし、仙台の隣町にあるこの小さな神社をを知る宮城県人はあまり多くないと思います。まさに知る人ぞ知る。
私はこの神社とのご縁をいただけたことにただただ感謝しています。だったこんなにも神聖な空気感を味わえる訳ですから。本人曰く「玉置神社なみ」ですし(笑)
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