准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

丹田とは?②「気を丹田に沈める」ために必要な事

 丹田シリーズを「気」という話題であらためて書こうと思ったのだが、これを書くに当たって読者との「共通了解」が必要になってきます。

 それは「気」をいうものの存在をどう捉えるか?という問題です。

 「気」という言葉ほど、便利な言葉はなく先日も話題にした武道・格闘技でも多用される言葉で、おそらく「スピリチャル」に関心のある方も結構便利にこの言葉を使っているのを見聞きします。

 ただ、この「気」というものの「存在」が、科学的に証明され、定義された概念ではないからその言葉を使う人たちの間でこの「気」について様々な解釈が存在します。

 だから私がこの記事の中で使う「気」については「私の認識はどうなのか?」をいう話を先にしておおかないと色々誤解が生じてしまう懸念があります。私が使う「気」という言葉は私が中国武術を長年鍛錬する中で獲得した「感覚」なので、私が修練で後天的に獲得した「感覚」です。故に必ずしも巷で語られる「気」という言葉と同じものを意味するとは限らないということを先にお断りしておきます。

 では始めます。

 ①気は「身体」の中を巡る物理的な感覚としてはっきりに感じることができるものである(曖昧なものではないということ)
 ②気の感覚は「身体の動き」によって体内を移動させることができるものである。
 ③気は「意識」の力でも、身体の内部を移動させることができる
 ④「気」の動きは「呼吸」よって感覚を増幅させることができる。
 ⑤「気」の感覚は身体の外でも「粘り気がある感触」として感じることができる。
 ⑥鍛錬を積むと「気」が身体の外へ白い糸のように放出しているのを(主に手)「視る」ことができる(幻覚かどうかの判断は不明)。

 私が感じることができる「気」というものの「性質」は大体こんな感じです。

 上述したように科学的に証明されていない以上、これは私の主観的な感覚でしかありません。ただ私が体験する「気」の感覚は決して「曖昧模糊」ではなくて、かなりはっきりと「物理的感覚」に近い程にはっきりと感じることができる性質のものです。

 以上の説明で「なんか怪しいな」と感じた方はこの先は読んでも、得る情報はないと思いますのでブラウザバックしてもらった方がいいと思います。

 では、ここから先はとりあえず私が上述した「気の感覚」をある程度「了解した」上で読み進めてください。

 さて、一昨日の「日本武道」という話の中では丹田は「下腹にあるもの」として話をすすめていましたが、これが中国武術になると下腹の一か所ではなく三か所になります。その三か所とは曰く「上丹田(眉間の間)」「中丹田(胸の中央)」「下丹田(下腹部)」です。それぞれの場所は以下の図を見てもらうの早いと思います。

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 このイラストには中丹田、下丹田の間に「丹田」とは別に「中院」というツボの明記もありますが、中国武術にとってはこの「中院」も他の丹田同様にとても重要な箇所なので敢えて記載しておきました。

 さて中国武術では「丹田は三か所ある」とはいったものの、それでも一番重要なのが下腹部の「下丹田」であることは日本武道と変わりありません。

 実際に中国武術でも「気」を重んじる太極拳形意拳八卦掌といった所謂「内家拳」と呼ばれる武術は「気沈丹田」といって気が「下丹田(下腹部)」に落とせなければ話になりません。

 

 だからこれらの「内家拳」が最初にならう「型」は気の鍛錬をメインに据えたものになっていて複雑な攻防技術よりはひたすら「気を練る」という意味合いの「型」に重きをおきます。ちなにみ私が習っていた八極拳も最初は太極拳のようにゆったりと動きながら気のコントロール(それも気沈丹田)を完成させることを目的とした型をひたすらやります。


 少し前置きが長くなりましたが、ここから本題です。

 ではその気を下丹田に沈める(気沈丹田)をするために必要な要素は何なのか?ということですが、実はこれに関しては前回解説した日本武道同様に「姿勢」がとても重要な要素になります。

 ただ日本武道と大きく違うのは「姿勢」だけではそれは実現せずに「呼吸」と「動き」がこれに加わります。

 ではまず「気沈丹田」に必要な姿勢を確認してみます。事細かな注意事項がいくつも存在します。最終的にはこれがすべて実現されて初めて「気沈丹田」が行える「土壌」ができます。

 丁度、全て詳細に説明しているページがあったんでリンクを張っておきます。

www.e-funai.com

 ここで特に強調しておかなければならないのが説明にある「含胸抜背」と「尾閭中正」の二つです。なぜ強調しなければならないかというと、この姿勢を実現すると前回説明した日本武道と「まるで正反対の姿勢」になるからです。

 この二つに関してはピンとこないと思いますので図解します。

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前回の日本武道では「胸は張って」「腰は突き出して」となりますが、中国武術の「含胸抜背」は「胸を丸めて」、「尾閭中正」では「腰を引っ込める」という動作になります。

 つまり日本武道が「丹田」に対して物理的な重心を落とそうとしたのに対して、中国武術が「落とそう」としてたのは「重心」ではなく「気」という違いからくる姿勢の違いということになります。

 あまり文章で細かく話してもなかなか伝わるものではないと思いますので、ひとつだけ重要なポイントを述べると、上で少し触れたように気を身体の中で動かすとき「呼吸を使う」という話をしました。

 実はこの「含胸抜背」と「尾閭中正」の姿勢をとると横隔膜の動きがほぼ制限されず一番「腹式呼吸がやりやすい」という姿勢なんです(前回の記事で少し触れましたが日本武道の姿勢は腹式呼吸がやりにくい)。

 つまり下丹田のある下腹部に呼吸によってもっとも「腹圧」を掛けやすい姿勢であることがポイントになります。

 だから腹式呼吸を常に動作の中で意識できるので自然と意識が下腹部に集中して気も下丹田に集まりやすくなるという理屈になります。

 もちろん「気沈丹田」するためのはこれ以外の要素(例えば動作等)が複合的に絡み合ってきますが「姿勢」と「呼吸」がその中心にあることは間違いがないので「姿勢をしっかり正確にとる」ことと「腹式呼吸で常に下丹田に意識を置く」という2点を最低限キープしながら動作することが最初の一歩になってきます。


 あえw?ちょっとマニアックに話がいきすぎましたか?……

 ちょっと突っ走りすぎたので丹田シリーズ②はこのあたりでやめておきましょう(^^;

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