「今日は何をやってもダメだな」「今日はついていないな」
と思う日がある。行動全てが裏目にでる。
でもこの時、注意しなければならないのはダメな理由が「時のせい」ではないということ。「ダメ結果」を起こしているのはほかの誰でもなく「自分」であること。
「性格的なことが原因」
「能力のことが原因」
「経験値がたりないのが原因」
色々理由はあれどそれは全部自分の「足りないこと」が必ず引き金になっている。
それを思考停止して「今日はついていない」の一言でかたずけてはいけないと思う。
むしろ「ああ、こんなに自分の欠点が知れて、今日はいい日だな」と思えれば、それだけ学びの多い日となる。
『碧巌録』の『日日是好日』を持ち出すまでもないでしょうか(^^)
『「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている(ウィキペディア)』
ただ、実はこんな日はメンタルが沈みやすいですね。だからこの時に前にも記事にしたように、「振り子を振りすぎない」ことは意識したいところです。
悪いことが続くと「自己肯定感」が下がる原因にもなる。だからやもすると「俺ってこんなダメな人間なんだ」と塞ぎこむことになりかねない。この記事でも書いた通り、自分は万能ではないのだから沢山ミスるのは誰でも当たり前と知る事。そして「何もできない」人間なんていない事を思い出せるようにしておくこと。感情がネガティブに支配されても自己を全否定してしまうのは理論的に間違っているから。
「そんなことは分かってるけどできないものだろう?」
「思考と感情の分離は難しいのだ!」
色々聞こえてきそうです……
対応するための方法は色々ありそうですが、難しい話はさておき「そこはご本尊さま」に頼ってしまうのはどうでしょう?
私の工夫は至極簡単ですが、効果は抜群です。
私は行者になってからも、ホントにひどく落ち込んで浮上できないときは壇の前に座っては「なんとかしてください」とご本尊の前で泣き事を言います。それからその気持ちをひきずったまま行に入ることさらあります。
すると行が終わるころには「いつもの自分」に戻っていて「ご本尊さま早速ありがとうございます」なんてことに大抵なってしまいます。
なぜこんなに簡単なのか?私が単純だから?
そうかもしれません!(笑)
そうかもしれませんが、あえて理由を見つけるならば、私はご本尊は「悪いようになさるはずがない」という刷り込み(熏習)がさすがに強固にできているからだと思います。私にとってはあたりまえすぎる信仰。
ご本尊は全て分かっているのだから、強がることに意味はない。むろん私はそのことを心の底から了解しています。だからホントにキツイ時は自然と「泣き言」が出てしまう訳です。
だからと言って、毎回助けてくれる訳でもなくて「自分で何とかしろ」ということが圧倒的に多かったりするのですが(笑)
でもホントにヤバい時は間違いなくなんとかしてくれます……ねえ、皆もそうでしょ?
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