准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

「麒麟」は「神仏」であって「セルフ」である

 NHK大河ドラマ麒麟がくる」、ついに来週の日曜日が最終回です。

 このドラマでは「麒麟」についてこんな解釈をしている

 『中国の歴史書史記』では、王が仁(徳の一つ)のある治世を行い、穏やかな世になったとき、その王のところに現れる霊獣が麒麟

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 主人公の明智光秀は歴史的事実としては「穏やかな世」を作った人物ではない。織田信長という主君を裏切って政変を起こし、秀吉によって即成敗されてしまうという動乱の渦中にいた人物の象徴と言ってもいい。

 だから「なんで光秀が麒麟?」というのが解せなかった。

 しかし、ここにきてうっすらその謎が解かれつつある。まだ最終回を見なければ分からないが、光秀が「麒麟」を呼び、「家康に託す」という演出になりそうですね。

 まあそれは最終回のお楽しみという事で。

 さて、ここからは私独自の「心理学的」解釈を展開していこうと思います。超、個人的な独断と偏見満載でいきます(笑)

 私はこのドラマの中ですでに麒麟は登場していると見ました。そしてその登場に仕方があまりに「心理学的」というか、もっと言ってしまえば「神仏的」というか……

 光秀は同じ夢に魘(うな)されてました。「夢」というエピソードですから、もう心理学の出番ですよ。

 これは深層心理学的に言えば「行くべき方向が間違っているから軌道修正せよ」という強いメッセージと解釈します。毎日同じ夢ですからね。相当です。そうやって強引に軌道修正を促す存在を心理学では「セルフ(自己)」とよび、我々は(すべてではないが)時に「神仏」と呼びますね。「修正」に気づけなければ何度も何度も「それを分からせるために」それこそ同じ夢を見せたり「いろんな出来事」が現実世界に用意されて(布置されて)いきます。

 そしてこのドラマでは「セルフ(自己)」「神仏」という言葉を使う代わりに「麒麟」とよんだ。だから私はあの光秀の夢は「麒麟」に見せられているんだなと解釈しました。

 そして現実世界でも、それを分からせるために様々な「布置」が出来上がっていきます。その一つが帰蝶の口から発せられた斎藤道三の言葉。

 「父なら信長さまに毒を盛る」

 凄いセリフですね。帰蝶は信長の正妻ですから。

 ちなみにこのドラマでの帰蝶は信長の「名プロデューサ」役になっていてネット記事でも「帰蝶P(Pはプロデューサのこと)」とふざけて?表記されることが多い。最初は「P」ってなんだよ?ミスタイプか?と思ってましたけどプロデューサのことだったんですね(笑)

news.goo.ne.jp

 そして最後が有名なエピソードである宴の席での信長から光秀への理不尽なパワハラ。ここで印象的だったのが、光秀の「夢」と現実の身体がリンクするところ。あの「手刀」を信長に向けて放ってしまうところです(ネット記事では「光秀チョップ」ともう名前がついていた:笑)。

mantan-web.jp

 心理学的に言えば「自我」と「セルフ(自己)」がついにピタリをあってしまったということ。つまりあの瞬間に「本能寺の変」に向かう光秀の心が確定したその瞬間だったという演出でしたね。

 つまり私の解釈では帰蝶のセリフも、信長のパワハラもすべて「麒麟」によって「布置」された避けようもない「出来事」だったという解釈です。

 我ながら、なかなかいい解釈だと思っていますが、どうでしょう?(笑)

 それにしても光秀がだんだん精神的に追い込まれていく長谷川さんの鬼気迫る演技が凄かったですね。

 来週の最終回が今から楽しみです。

 

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