「密集、密接、密閉」を意味する「三密」という言葉が、今や日本を飛び越えて世界にまで波及するまでになった。
このような「三密」という言葉の広がりに、微妙な気持ちになっているのが密教の行者だと思う。
言うまでもないが密教の世界で「三密」と言えば、「身密・手に諸尊の印契(印相)を結ぶ」、「口密(語密)・口に真言を読誦する」、「意密・意(こころ)に曼荼羅の諸尊を観想する」のことですね。
きっとこの先、密教で「三密」の説明をする場面では「あのコロナの三密のことではないですよ」なんてことを付け足さなければならないのでしょう。
さて、最近私は大学時代に割と熱心に学んでいた中国武術の「型(套路)」を運動不足解消にとやるようにしている。運動不足解消といういかにも「おっさん」な理由がなんともカッコ悪いのだが(笑)
そうして鍛錬していて、今更気づいたのが中国武術というのは、上述した三密の「身・口・意」のうちすくなくとも「身・意」は強烈に意識して鍛錬しているなあ、ということ。
前にも話題にしているので下記記事も参考にしてください。
中国武術が他の武術・格闘技と決定的に違うのは「気」というものが鍛錬の中心にあること。
例えば突いたり(パンチをしたり)、蹴ったりする姿は、例えばキックボクシングと同じ見えても中国武術の場合はその動作に「身・意」の一致が必ず存在する。それは上述した「気」の存在があるからこそである。
中国武術の「型」を行う場合にはただ身体を動かしている訳ではなく、その身体の動きに合わせて必ず身体の「内部」で気が動いていることをイメージしなければならない。例えば拳(こぶし)で相手を殴った場合、その拳に「気」を「乗せる」必要があるということ。ではその拳に気を乗せるにはどうしたらいいのか?というとそれはイメージ力が大いに関係してくる。つまり身体の動き(身)と気のイメージ(意)が一致しなければならないということなんです。
この「身」「意」の一致は(密教のそれとは全く同じではないと思うが)中国武術では基礎の段階でクリヤーしなければならない必須の技術ということになる。
中国武術に「口」は流石にないかというと、上述した「身体」と「気のイメージ」と併せて「雷声」という「声」を一致させるという技もある。ちなみにこの「雷声」は一見すると「エイ!」という気合と同じように聞こえるが意識的に「声」を出すのではなく「自然に出る」ことが本義とされる。
ということで、私の中では中国武術の鍛錬は運動不足解消以上に密教の修行にもプラスになるのではと密かに(密だけに?!)期待しているのだ。
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