今朝、とても印象的なリアルな夢を見たので、すぐに記録をした。ただ夢というのは起きた直後から砂が指の間から零れ落ちる様にみるみる忘れてしまうので記録してる途中で記憶を「補完」しながら書かざるをえなくなる。だから記録が終わってみると「ちょっと違う気がするな」という程にストーリーが改変されていることも多々ある。
ただ、書いているうちに知らず知らず改変したことにも、それはそれで無意識のメッセージとして意味があるかもしれないから個人的にはむしろ積極的に思うがままに書くようにしている。
さて、皆さんは40年にもわたり、夢の記録をしたという鎌倉時代の明恵上人をご存知であろうか?
ユング心理学者、故河合隼雄氏は著書「明恵 夢を生きる」の中でこんなことを言っている。
『生涯にわたって夢の記録を書き続けることは、思いのほか心的エネルギーを必要とすることなのである。うそと思う方があれば、自ら試みられるとその困難さが分かるであろう。(中略)夢というものは、覚醒時の意識とは簡単につながるものではないので、それを覚えていることは思いのほか難しいことなのである。夜、夢を見たと思っても起きたときに忘却してしまう人が多いのはこのためである。(中略)時には、夢を非常に克明に覚えていて、記録もどんどん書いているという人もある。このような場合は、無意識の力が強すぎて意識的な制御を超えている場合があり危険が伴うこともある。このような場合は結局それが長続きすることが少ない。あるいはその夢の内容に病的な要素が強く示唆されこともある。明恵の夢にはそのような点がほとんど認められない。このような点から考えると、明恵があの時代に、夢の記録を書き続けたという事実は、彼の強靭な精神力が計り知れぬものであることを示していると言わねばならない。世界の精神史においてさえも稀有な、と先に述べたことは誇張でもなんでもないのである。』
つまり夢の記録をするということは、結構大変な作業であり並みの精神力では続けることは難しいということ。
明恵のように夢の記録を続けることが果たして仏教の修行になるかは別として、個人的には自分を知るためにも「印象的だ」と思った夢は記録しておいて「あれこれ」分析するのは自分にプラスになると思ってやるようにしている。
……といことで、今朝の夢を記そうと思いましたが、長くなりそうなのでまた後日(笑)
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