昨日の夢の記録について、少し考察したいと思います。まずいきなり夢を壊してしまって申し訳ございませんが(夢だけに?)、夢に出てきた光景というのは「見ず知らずの場所」ではなく、あきらかに夢の元になった現実の場所が存在して、もっと言えばなぜあのような内容の夢を見たのかの理由も概ね自分で分かっています。
私は本格的な仏教修行に入る前から熱心な「観音信者」で、現住の東北にあるおおよその観音霊場は参拝しつくしていました。
以前も話題にしましたが、具体的には東北にあって、整備されている以下の観音三十三霊場をご縁に多くの観音霊場を妻と巡らせていただきました。
・東北三十三観音
・仙台三十三観音
・最上三十三観音
これだけでも130か所ですし、これ以外にも多くの観音霊場に足を伸ばしました。
夢に出てきた場所は、きっとこの観音霊場のどこかです。候補が多すぎて特定できませんが(笑)
東北にある観音霊場は、歴史ある霊場と違い探すのにも一苦労するような山奥の小さなお堂という場所も結構ある。決まって、そのようなお堂は「無人」で、時に隙間からお堂を除くと埃だらけ、最悪な場合観音さまが破損している、転がっているなんてところもありました。
私はそのたびに「なんだかなあ」と悲しい気分になりました。破損したお像を見るとついつい手を出したくなる悪癖?もこのころの経験が影響してるのかもしれません!?
だからこのような「放置されている」霊場を後にするたびに、「ご眷属さん」が「なんとかしてよ」と言っているような気がして、後ろ髪惹かれた経験が何度もありました。だから昨日の夢もそんなその時経験した「ご眷属さま」の訴えを若い女性が代弁していたと思えば「そうだろうな」と思う。
だからと言って、あくまで夢なのでどこかの霊場のご眷属が私の夢にリアルに出てきたという話ではもちろんないと思いますよ(可能性ゼロではないと思いますが!?(笑))
また余談ですが、手入れがされていないのは必ずしも「無人」のお堂ばかりではなく、立派なお寺に移設された小さな観音堂でも同様な状況になっているのを目にします。本堂や庫裡はとても立派なのにその移設された古い観音堂だけ放置され、何か月も入った形跡がない状態になっている。
今となっては同じ僧侶として「あかんだろ」とつくづく思う(生意気いうようで申し訳ないが)。
関連記事も参考にしてください↓
記事が参考になったら
クリック↓お願いします!