得度して間もないころ、荼吉尼天をお迎えするにあたり師僧より「荼吉尼天尊・稲荷大明神礼拝次第」をいただきこの次第書にある「刀自女経」をよくお唱えするよういわれひたすらこの経を拝んでいたことがある。
私がお迎えするお像の「お姿」が高松稲荷ゆえ法華経のいくつかの品も合わせてお唱えするのがよいとも。私は「荼吉尼天尊・稲荷大明神礼拝次第」に主だった法華経の品を加えて自分様に次第書を作って勤行していた。
この「刀自女経」には荼吉尼天のお姿や特徴を説明するくだりがある。そのお姿は少し一般的な荼吉尼天にはない特徴がいくつか書かれている。
皆さんもそうだと思うが、お経の「お姿」のくだりを毎日読誦していると自然そのお姿のイメージが頭の中に定着してくる。だから「刀自女経」を空で唱えられる程にお唱えした私は荼吉尼天というとこの少し特徴的な「刀自女経」の荼吉尼天の姿を思い浮かべてしまうようになっていた。
さて、先日、(おそらく)荼吉尼天と思われる破損したお像を手にした。顔・胴体・何かを跨いでいる脚しかないそのお像は元がどんなお姿だったかこのお像からは分からない。ではどんなお姿で復元するか?と少し悩んだ。
しかし私の中に一番強烈にある「刀自女経」のお姿しか選択肢はないように思われた。お像や仏画でもちろん多く荼吉尼天のお姿を目にすることがあるが、私が知る正式に典拠のあるお像のお姿は実は「刀自女経」しかない。
お恥ずかしながらあれだけ読誦していた「刀自女経」は最近の行に圧されてお唱えすることがなくなっていた。だからこれを機にもう一度、使っていなかった次第書を引っ張り出して毎日「刀自女経」をお唱えすることにした。
しっかり自分の中でイメージを持って作業に掛かろうと思う。かつてあれだけお唱えしていた「刀自女経」のお姿。
いまようやくご縁ができたと思いたい……
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