地道に密教修行

天台寺門宗の祈祷寺院にて密教の修行しております「亮和(りょうな)」と申します。修行、信仰を通じて感じたことなどを綴っていきます。※過去(本格的な修行前)に「地道に観音信仰」というブログを運営しておりました。どうぞ気楽にコメントいただけると嬉しいです!

持物にみる「剣」と「刀」の違い

「左手持如意宝珠、右手把大刀」

 先日、少し話題にした荼枳尼天のお経「刀自女経」の一節。

  如意宝珠を持し大刀を把むと読める。

だから 手元にある破損した荼枳尼天のお像を「刀自女経」のお姿に修繕する際に、結構悩んでいる。

 理由は右手に持つのは「剣」ではなく「刀」になっているから。「書き間違え?」かもしれないし、「刀」も「剣」も区別していない、という線もある。

「刀も剣も似たようなもんだろ?」

ですか?

……果たしてそうだろうか?

 手元に「諸宗仏像図彙」という江戸時代の「仏像事典」がある。これは有名な書物なのでご存知の方も多いと思うが、なんと800もの図像が紹介されている。

 この「諸宗仏像図彙」の掲載されている「刀」と「剣」を持つ神仏を注意深く見ていくと幾つかのことに気づいたので列記してみる。


①仏(如来)・菩薩は「剣」を持つことああっても「刀」は持たない。範囲を「明王」まで 広げても「刀」を持つのは「六字明王」というかなり特殊な明王様だけである(六字明王については過去に記事にしましたね)
②天部になると「剣」「刀」をもつ尊格が共に存在する
③「剣」の場合、その剣は必ず「三鈷剣」の形状をしていて、普通の「剣」を持つことはない。
④③とは逆に「刀」の場合は普通の「刀」であって「三鈷刀」というものは存在しない。

 ここから考察できるのは「剣」は三鈷剣=宝剣(利剣)というより宗教的「法具」としての意味が多く付されており、「刀」はより武具としての性質を強くのこのしている。ゆえに仏・菩薩は「剣」しか持たない(あくまで私の考察です)。

 ちなみに、戦闘用の用途としての「刀(カタナ)」と「剣(ツルギ)」との違いは皆さんご存知であろうか?

 私は特に刀剣に詳しい訳ではないが、武術的な観点でなら「刀」は「斬る」ことに優れ、「剣」は「突く」ことに優れるということはよく聞かれる。

 日本武術は「日本刀」を使うので、「突き」もあるが「斬る」という動作が多い。これに比して「剣」を多用する西洋では「突き」の動作が多く、それはフェンシングの技が突きに特化しているのと無関係ではないと想像する。

 さて、荼枳尼天の持物の話に戻るが、日本の荼枳尼天が「弁才天」の容姿に影響を受けている(派生してる)ことは周知のととだと思うが、ではその弁才天が「刀」と「剣」のどちらを持っているか改めて確認しるとまた新たな問題にぶち当たった。

 二つの八臂弁才天の図像を紹介する。この弁才天、持物(手に持つ法具など)が随分違う。

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参照引用:「諸宗仏像図彙」㈱賢美閣 復刻版

 向かって右のお像の方が、皆さんもなじみがあると弁才天で、左の弁才天は金光明最勝王経で説かれる弁才天のお姿。時代的には左の金光明最勝王経の形が古い。

 「刀」「剣」の持物に注目すると、なんと方や「刀」で方や「剣」であるのだ。具体的には「金光明最勝王経」の弁才天は「刀」、通常の八臂弁才天は「剣」を持つ。

 冒頭に戻るが「刀自女経」の記載は「大刀」である。弁才天には「刀」も「剣」を持つ容姿が存在する。

 さてどうしてものか?

 ちなみに「お経のタイトル」にある「刀自」だから「刀」という訳ではおそらくないようで、「刀自」とは『女性に対する古風な尊称。現代でも旧家の女性に対して使われる。古代の后妃(こうひ)の称号の一つである夫人(ぶにん)も和訓はオホトジである』とあるように刀とはどうも関係がなさそうだ。

 先に紹介した弁才天の持物を再度確認すると「如意宝珠」を持っているのは通常の八臂弁才天。だから「剣」「如意宝珠」という「組み合わせ」とうい観点でみるとやはり「刀」を持つ弁才天はなく後世に登場した通常に弁才天のように「剣」であることが正しいように思える。

 そこであらためて「宝珠」「剣」という組み合わせて、仏教の教義にあたると例えば「宝剣」「宝珠」を持つ虚空蔵菩薩では虚空蔵菩薩が右手に持つ剣は、悟りを求める菩薩の徳目のうち智慧の資糧、左手に持つ宝珠は、悟りを求める菩薩の徳目のうち福徳の資糧に対応するとされる(「両界曼荼羅の仏たち」田中公明著(春秋社)」とある。 

 これを「祈願」という場面に落とし込んで解釈すると宝珠のもつ「福徳」の力で私利私欲に走りがちなところを「剣」による「智慧」の力で制御する……なんて解釈もできそうである。

 とすると「宝珠」を持つ荼枳尼天は、天部とはいえ上述したように天部が武具として持つ「刀」より、仏・菩薩が「智慧の象徴」としてもつ「剣」を持つ方が正解という気がする。

 事実、「刀」を持つ荼枳尼天像を見たことはないので「剣」にするのが限りなく正解な気がしています。

……ということで少し話が「マニアック」になってしまいましたが、「剣」「刀」一つとっても調べると知らないことだらけであることを痛感する。

 「剣」「刀」という一見小さな違い。されどその違いは案外深いのかもしれない。

 皆さんも今後仏像を見るときにはその違いに注意してみることをお勧めします(^^)

 

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