准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

女尊「ターラー」とは?その①

 先に予告していました准胝仏母のお経である『仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』に出てくる尊格の解説をしていこうと思います。

 第一弾は「多羅菩薩」です。

 まずは多羅菩薩(ターラー女神、ターラ菩薩等の呼び名が一般的)の事が良く理解できる文章を引用します。

『ある時、観音様が全ての衆生を救い尽くして、これからブッダの世界に行こうとしたときに、後方の遠くの方で微かに鳴き声が聞こえました。何かと思い振り返ると、遥か彼方に未だ救われることなく「助けてください」と苦しみの声を発する衆生が大勢いたのでした。「あぁ、可哀そうに」とその衆生を思って流された涙が「ターラ菩薩」に変化したといわれています。(中略)ターラ菩薩は慈悲の目で全ての衆生を見て(※観音様でも見逃してしまった衆生を見つけ出して)、救いの手を差し伸べる愛溢れる女性の菩薩です(慈悲の光彩 林久義著(星雲社)より引用)※は私が入れた注釈です。

 ところで……

 皆さんが仏教の「女尊」といってまず思い浮かべる尊格はなんでしょう?

 想像するに「弁才天」が大多数、「吉祥天」「鬼子母神」がそれに続くと想像しますがどうでしょう?

 もしかすると「観音さま」という人もいるかもしれませんが、厳密に言えばインド、チベットでは観音は明確な男性。ただ中国、日本では観音は「女性的」な属性を多く含んでいるので「性別はない」という解釈が一般的なのでしょうか。

 もちろん私は女尊と言えばご本尊の「准胝仏母」をまず思い浮かべますが、一般信者の方には馴染みが薄いのはご存知の通りです。なぜ「仏母」ってあまり日本で知られていないんでしょうか?そんな答えも今日の記事にヒントがあるかもしれません。

 さて、では日本ではなく世界に目を向けるとどうか?

 これは日本以外の大乗仏教国では即答されることを想像します。

人気の女尊と言えばぶっちぎりで「ターラー」ということになります。つまり多羅菩薩です。

 『仏説七倶胝仏母心大准提陀羅尼経』に出てくるけど、多羅菩薩なんてマイナーな仏さま知らないよ……なんて思っていたあなた!大間違いですよ!(笑)

参考引用↓

「インド、チベットはもとよりネパール、そして東南アジア諸国で最も信仰を集め、絶大に人気を誇った女神」

「(チベットで)菩薩における観音が、男尊としては突出して人気を博したが、ターラーの人気はそれに匹敵する。男尊ならば観音、女尊ならターラーというすみわけがされているように見える。(中略)ターラーのチベット名は「ドルマ」で「救済者」を意味するが、その名前は一般の女性の名前としても好まれた。ターラーはそれだけ人々に親しまれた仏なのだろう」(仏教の女神たち 森雅秀著(春秋社)より引用)

 じゃあ、なんで日本ではあまり知られていないのだ?という疑問が当然湧いてきます。
 それは中国ではターラーが流行らなかったため。ご存知の通り日本の仏教は中国経由。当然日本でもその影響をもろに受けて多羅菩薩は認知されないことになったということになります。

 もちろん「まったく伝わっていない」という訳ではなく、幾つかの漢訳経典に登場するし、また有名なところでは胎蔵曼荼羅の蓮華院のお姿と、十巻抄という図像集に「多羅菩薩」としてちゃんと「お姿」が確認できます(この辺は次回に解説します)。

 さて、そのターラーとは一体どんな尊格なのか?

 その淵源は所説あるようですが、冒頭の引用と重複しますが、典拠としては以下ものがあります。

①観音の瞳から放たれた光明から出現した(大方広曼殊室利経)
②観音の瞳から落ちた涙がたまって池となり、そこに咲いた蓮華の花の中から生まれた(「マニカンプン」※チベットの歴史書

 どちらも観音の「瞳」から生まれているが、ターラーという言葉は一般名詞では「瞳」を意味します。いかなる衆生でもでも「見落とさない」という意味合いが強く付加されているのがよく分かりますね。むろんそんな菩薩さまであれば衆生が大いに頼りにしたくなるのも頷けます。

 また、今まで見てきたように「観音の瞳」とあるように「観音」との関係性が強烈に示唆されています。

このことは上で少し触れた「胎蔵曼荼羅」の聖観音を中心とする蓮華院にターラー(多羅菩薩)が名を列ねること。また、チベットのタンカに目をやるとターラーが観音の脇侍となっているのをよく見かることからもよく分かります。

 ただしです……

 こんなにも人気のターラーですが、冒頭で書いたように日本で女尊と言えば弁才天、吉祥天、鬼子母神です。ではこの三尊に共通しているのはなんでしょう?

 そうですね。みな「天部尊」です。つまり日本で明確に「女尊」として存在するのは「天部尊」がほとんどで、例えば日本では女性的に表現される観音をはじめとする多くの「菩薩」は明確に女性として表現されることはありません。
 これに対して「ターラ菩薩は観音様と同様に、菩薩の十地では如来地の位としてブッダに等しい菩薩です。つまり天部尊ではありません。
 しいて言えば准胝仏母、仏眼仏母などの「仏母」という女性の尊格は日本でも見かけますが、どうしてかどれもとてもマイナーな尊格です。
 仏教の歴史を紐解けば、 インドのヒンドゥー教がシヴァ、ビシュヌといった男尊中心だったものが次第にドゥルガー、カーリーといった女尊が台頭し、ついにはシヴァ、ビシュヌの人気を凌駕するようになります。そんな時期(グプタ朝からパーラー朝)に仏教も大衆のそんなニーズに大いに影響を受けて「女尊信仰」を取り入れていったことは想像に難くありません。

 上述したようにそのような女尊信仰は日本には伝搬してこなかったため、その中心にいたターラーも日本で積極的に信仰されることはほぼなかったということのようです。

もしかすると如来、菩薩の性を曖昧に表現する日本の仏教において天部尊ではない女尊が受け入れにくかったというようなことがあったのかもしれません(これは私の勝手な想像です)。

 ……ということで世界的には観音さまと肩を並べる程に人気の多羅菩薩を概説しましたが、次回もう少しこの多羅菩薩に関して突っ込んだ話をしたいと思います。

 今日のところはここまで。

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