荼枳尼天の験は「速い」と聞く。
なぜか?
『その狐は金翅鳥が翼をひと「はばたき」で一千里飛ぶが如く疾走する(其狐疾走如金翅鳥一翼翔一千里)
「刀自女経」に依る荼枳尼天が乗る白狐の描写である。
狐の走力を「金翅鳥」に例えるのは不思議な感じがするが、とにかくとてつもなく「速い」というのが分かる。
さあ、ここからは「想像力」を働かせましょう。
なぜ荼枳尼天はそんなに急ぐ必要があるのでしょうか?
私はそれは荼枳尼天という神さまが「はやく助けたい」という想いが殊更強いのだと想像します。
荼枳尼天は「天部尊」という尊格の中においてもどこか「人に近しい神さま」という印象がある。……まあ私の思い込みかもしれないが!?
また神さまをつかまえてそんな言い方をすするのはとても失礼だと思いうがどこか「人間臭さ」を強く感じる神さまに思えてならない。
だから必死にお願いする「衆生」を見つければ、我先に白狐にまたがり「現場に駆け付ける」というイメージが思い浮かんでくる。
荼枳尼天は数万の眷属を引き連れると聞く。でもそんな大勢の眷属の後から悠々と来るイメージではない。むしろ眷属が追いつかない程に先陣を切って突っ走っていく姿が想像されてしまう。
そう思えば「速い」ということは「いち早く助けたい」ということであり、だとすればそれだけ「衆生想い」の「優しい」神さまだということだと思うのだ。
荼枳尼天には「怖い」というイメージが付きまとう。でも敵弾の正面を自ら先頭をきって突破するような鬼のように怖い大将は、だいたい部下想いの優しい大将と相場が決まっている。
今にして思えば冷や汗ものだが、昔のブログで「荼枳尼天は部下想いのレディースのリーダーのよう」と形容したことがあったが……実は当たらずも遠からじという気が今でもしている!?(冷汗)
自作の「荼枳尼天」は以前にも記事にした通り「刀自女経」という荼枳尼天のお経の記述を忠実再現したもの。説明文は刀自女経からの引用です。
ただ、その「お経」では表現されない上述したイメージをこのお像に盛り込んだ。
例えば、白狐さまが小さすぎて「重そう」にしている荼枳尼天像をたまに見かけますが個人的には「これは速く走れなそう」と思ってしまうので思い切って白狐のサイズを大きくしました。参考サイズは実はもののけ姫のサンがまたがる山犬です(笑)。最初大きすぎるか?とも思いましたがお経の表記も「大白狐」となっているし、いまではこの大きさがむしろ普通に思えています!?
また、「より速く走れる」という意味で白狐のポーズも特徴を持たせました。これは3秒で100kmに到達するという驚異の加速力はフェラーリを超えるという地上最速チーターのトップスピードの画像を大いに参考にしました。(狐はイヌ科でチーターはネコ科じゃん!なんて野暮なツッコミはしないでね?狐は猫の特徴を多く持つと言われているし。狐が持つ目が猫目だったり大きな尻尾でバランスととりながら走ったりは猫の特徴)
つまり極めて個人的な「イメージ」を盛り込んでしまっていますが、「儀軌」に忠実に作るのは最低ラインとするなら、その先では「拝む人」のイメージを乗せることも意味があるという気がしている。
その方が「拝む側」としては「感応」しやすいと思うから。
どうやっても通常の神仏のイメージは「大きすぎて」人間がアクセスするには存在が大きすぎるのは言わずもがな。
そんな時、自分なりのイメージは持っていた方がアクセスしやすいのではと想像する。
まあ、そうは言ってもろくに信仰もしない適当なイメージでは当然ダメ。
私は少なくとも「守護神」として信仰し、毎日上述の「刀自女経」を読み、真言を唱え最終的にたどり着いたイメージを書いています。
神仏からの「声」をイメージとして捉えらたいなら「まずは信仰」が先で、「よく礼拝して」がいいと思う。
私の場合は「自分で作る」という方向でご縁を頂きましたが、もしかするとその強い信仰でその神仏に近づくためのイメージをいただけるかもしれません。
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