数年前、転勤族の私は「岩手県」の営業を2年ほど担当していたことがある。
岩手県って実は「四国」より広い面積があるので、それはそれは移動が大変だった。南は平泉で有名は一関市から北は青森ほど近い二戸、軽米地区まで時には吹雪にあおられながらもよく車で長距離移動したのを思い出す。
そんな岩手県ですが、盛岡から東北自動車を北上し、スキーの聖地「安比高原」を過ぎると「浄法寺」というあまり下車する車もないインターチェンジがある。
昨日はそのことを久しぶりに思い出した。
それは瀬戸内寂聴さんの訃報を聞いたから。
私はこのインターチェンジの近くにお得意様があったのでたまに立ち寄ったりしたのだが、ここのインターを降ると「あるお寺」の駐車場に隣接する蕎麦屋に入るのが楽しみでもあった。雪深い地域なので冬季は休業するのだが……
そう、このお蕎麦屋が門前にあるお寺こそ瀬戸内寂聴さんが住職となり復興に大いに貢献した「天台寺」だ。
廃仏毀釈や霊木伐採事件で荒廃が進んだこの寺、在職中にこの天台寺を東北有数の有名寺院に押し上げたのは瀬戸内寂聴さんの功績に間違いない。
瀬戸内さんがこのお寺の境内で大勢の方に囲まれ説法する姿は、よくメディアでも紹介されたいたのでご覧になった方も多いと思う。
私は岩手県に赴任していた時に何度か参拝に訪れているが、いまだに瀬戸内寂聴さんのグッズが寺務所が売られるほどにこのお寺の瀬戸内寂聴さん人気は凄い。
上述した瀬戸内寂聴の説法の場面。
たくさんの参拝者が瀬戸内寂聴さんの話を聞いて涙している姿をを見れば思うこともたくさんある。
その内容に賛否があるのは承知している。
ただ、そんな批判もものともせず、あそこまで説法せしめてしまう瀬戸内氏の姿には色々感じるものがある。
かみさんは私に対して辛辣なコメントをすることに関して、右に出るものはいないのだが、私がかつて瀬戸内さんの説法を見て「でもね~瀬戸内寂聴さんが話す内容ってさあ~」なんていうものなら、間髪入れずに「発信力のないあなたが何を言っても意味ないから」とバッサリ言われてしまった。
まったく返す言葉はない。
「間違ったことを語ってはいけない」
発信する以上はそこに最大の注意を置くことはもちろんだ。
ただ、それが過ぎて発信することを恐れて、沈黙してしまったらどんなに優れた「話」を自分の中でこしらえても、「ないことと同じ」なのだ。
だから私もまだまだよちよち歩きの行者にもかかわらず、勇気をもって発言をする努力をしている。私にとってはこれも大切な修行なのだ
だから今日も「あなたなんてこの世の仏教の世界にとっていてもいなくても同じでしょ?」とかみさんに突っ込まれながら、必死に、勇気を出して発言する。
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