おみくじに関する一つの捉え方を話してみようと思います。
先日の高幡不動の記事に対して、コメント欄で「おみくじ」に関する体験談をいただきました。ありがとうございます。
その「返事」は以下のように致しました。
「おみくじに関する体験談、興味深く拝見しました。おみくじの吉凶は、その人の「その時」の「心の方向性」に対する一つの答えと考えます。だとすれば例えば凶が出たなら「さて、何が間違っている?」と考察する「きっかけ」をもらえた、と捉えてそれは大切な「験」ととらえることもできるのでは?と考えています」。
おみくじの「肝」は「その時」ということが重要かな、と思う。だから「時」が変わればその「答え」も変わってくる。例えほんの数分のずれでも、結果は変わる。
それは「心」が一瞬たりともそこにとどまっていないと考えればそれは「あたりまえ」ともいえる。
さて……
おそらく殆どの方が、おみくじを引いたことがあると思います。
それぐらい日本の文化にがっちりと定着しているおみくじですが、その元をたどれば、元三大師であることはご存じの方も多いと思います。
参考リンク
参考リンクにある比叡山 延暦寺 横川 元三大師堂での「おみくじ」については、個人的にお願いしたことはないのですが、人気番組ブラタモリでアシスタントの林理沙さんが体験された場面を見て驚いた。そのあまりに的確な「答えに」当の林理沙さんが絶句していたのをよく覚えている。
そこで映し出されていた「おみくじ」は一般的に認知されている「手軽なおみくじ」とはまるで違う、それは厳かに修される「法」であった。
みなさんが「お気軽」に引くおみくじでもその淵源に「その姿」があることは、知識として知っておきたい。だから参考リンクは是非熟読してほしいと思います。その「おみくじ」の力は、実は皆が思うほど「軽く」はない。
冒頭で書いたようにおみくじの「肝」は「その時」の「心のありかた」だと思っている。だから「凶」が出れば、その時の心の方向性で「何が悪い?」という「反省」があってしかるべき。
それを「修正」するきっかけとしなければそれは意味がないと思う。ただおみくじの「吉凶」という結果に一喜一憂したのではせっかくいただいた仏さまからのメッセージを無駄にしてしまうかもしれない。大吉であれ大凶であれその結果がでたということは最大の「験」である、と捉える。
そしてその「験」を生かすも殺すも実は「自分次第である」と知るべきです。とすれば「おみくじ」をきっかけに始める修行もあるとも言えます。
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