准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

破戒について准胝さまが言いそうな事?

『准胝の真言には八万諸聖教あらゆる真言をもおさめいるるなり。余尊の真言のごとくにあらずして、在家の人、魚肉を食し、妻子帯とも准胝を祈るに「諸願成就せずということなし」と経文明らかに説けり(参考文献:準堤念誦霊験記 如実(亮海)著)』

 以前も紹介したことがある「仏教説話集(二)」に収められてる「江戸時代中期に書かれた「準堤念誦霊験記」の一節。

ryona.hatenadiary.jp

 「戒律」は、仏教を勉強すると「時代によって」「解釈によって」一概には「その正解」にたどり着くのは難しいと思う。

 だからまずは「自分が信仰するお寺」から授かる(指導される)戒を実践すると決めるのがよいと思う。

 さて「肉を食らい、妻帯する」……現代の日本の僧侶ではむしろ多数派かもしれない。今日は、これについて「良い、悪い」の話をしたい訳ではなく、冒頭の文章の「真意」を自分なりに(あくまで個人的解釈)をしてみようと思う。

 その人にとっての(たとえばその人が授かった、その人が守ると決めた)「戒」は、破ったならば「罪」を受けると当然考える。

 そうした時に、こう言われてしまったらどうだろう。

「戒を破ったな!ハイ終了!」

 いやいや、それは勘弁してください!……ではないですか?

 もしかすると准胝さまなら、こんな風に言うのかもしれないと考える。

「さあ、あなたはその罪をどうするの?放置するの?いやいやそうじゃなくて信心して、修行してその罪を滅しなさい」

以前にも話題にした「滅罪」だ。

そして……

「あなたが罪を滅したいなら、お手伝いしてあげましょう」とも。

そんな風に「信仰」を、「修行」を促して、後押ししてくれる仏さま、それが准胝というお方……というのが冒頭の文章の真意であると思う。

 だとすれば「破戒もOKさ!!」「戒をじゃんじゃん破ってもいいんだぜ!」という態度にはなり得なくて、仕方なしに破ってしまう(破らざるを得ない)戒なら准胝さまを祈ることで、なんとか滅罪が叶う、と解釈するべきだと思う。

「破戒OK!」

という態度で罪を量産しても、滅罪というプロセスが追いつかない限り「プラス」には転じないと考えれば、やはり「戒は極力破らない」がいいに決まっている。

 経験的にも思うのは「滅罪」のプロセスは祈れば一瞬でまっさらに解消する程、虫のいい話ではないと思うのだ。

 人によっては、その滅罪の過程で「痛み」を伴うこともあるかもしれない。

 個人的には准胝さまの前に座ればまず浮かぶのが「罪を滅するための智慧をください」という想いだ。准胝さまを祈れば祈る程、それが自分の心に刷り込まれていく。

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 だから准胝さまの前に座った瞬間から「滅罪」が発動すると思えるようになってくる。これは前回記事にした「ひたすら拝む」という過程でそうなったのだが、人それぞれの「信心」でそういった経験は誰でも可能であると思うのだ。

 皆さまも准胝さまに向き合ってそんな経験ができれば、きっとプラスに向かう「基盤」ができる。そう願っています。

 

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