私は気を付けていても誤字脱が多く、読者の皆様にご不便をお掛けてしていることと思います。
そんな「誤字脱字王」の私が輪をかけて「誤字しまくっている」という記事を数日前に上げて、後で自分で読み返して唖然とした。
気づかれた方も多いと思います。
この記事です。
一応、すでに誤字脱字は修正しましたが(残っていたらすいません:汗)、正直この記事を読み返して、私は別の意味で「ぞっ」としました。
この記事を読んでもらえば分かりますが、内容は「その場所は確かに気持ちのいい風景だが、それを受け取れない自分がいる」「何かがおかしい」という趣旨になっています。
つまりこの記事を書いていた時にはそのおかしい状態を「引きづったまま」で、記事を書いていたという事実に気づいたんです。確かに、あの記事の乱れ様は誤字脱字王でも(汗)、普通ではない。
たかが誤字脱字、されど誤字脱字。気になった私は今日、もう一度「その場所」に行くことにした。
ただ、「同じ場所」でも少し気になっていた「写真に写っていた山」に登ることにした。その山は「津久井城」という山城のあった「城山」という山だ(↓)。
今日、その登山口につくと抜けるような青空に気分は上がる。
今日は前回と違い風景だけでなく自分の気持ちもそれほど悪くない。
標高は400mにも満たない低い山だが、幾つかの登山ルートがある。妻の意見を尊重し(押し切られともいう)最短のルートを選択した。
太陽の自己主張が凄かった。
あるところで「異変」に気づいた。最短ルールゆえに「15分」で見えてくるはずの標識がない。咄嗟に「道を間違えたな」と思った。しかし今歩く道も整備されており別の正規登山ルートであることには違いく、大きな不安はなかったが……少しだけ「ザワザワ」とした負の感触に支配されそうになる。しかしそこは丁寧に振り切った。
「15分」のはずが「40分」歩いてようやく「標識」が現れ、どう道を間違えたか判明した。
「へえ、この先に飯縄神社があるんだ」
妻がそんなことを言う。
「え?どういうこと?」
前にも妻が「飯縄権現」の標識を私より先に見つけたこともあり↓
「またか?」と思ったら……確かに標識にはそう書いてある。
なるほど。ここで「道を間違えた」のは必然だったと合点がいく。
結局予定していたより90分以上多く歩くことなり、また急峻な鎖場もある難所を通過することも余儀なくされ、疲労困憊なところでようやく飯縄神社に到着した。
この神社の縁起はまだよく調べてはいないが湖を挟んで見える高尾山との関係も見え隠れするし、前回偶然の邂逅となった普門寺の飯綱権現ともそう離れてはいない。少なくともこの地域に飯縄信仰が根付いたいたのは間違いないのだろう。
山頂からの津久井湖。その向こうに見えるのは方向的に高尾山だと思うが……あってるだろうか!?
ここからは私の妄想的解釈。
「登山」と思って入った「城山」だったが、道を間違え「飯縄神社」を目指すことで「登山」が「修行」の様相を帯びてきた。
少なくとも私の意識はそう変わった。
だから、そこから目の前に急峻な難所が現れ身体には予定外の疲労を「受ける」という結果になった。この「疲労」はきっと「飯縄さま」の計らいで「修行させていただいた」と、とると自分の中で合点がいく。だからだろうか、確かに登り切った山頂での風景は「心地よい」ものしかなかった。
前回「この山の麓」で感じた「やな感じ」は、2日前の飯縄山の行を経て、今日の「飯縄神社への山岳修行」で解決に至った……それですべてが腑に落ちた。
今日の成果は「脱字」をヒントにこの山への登山(修行)を思いついたこと。その背後に飯縄山の行をしたことも無関係ではなかったことに気づけたこと。
小さなヒントを逃さないことの重要性を感じると共に、その背後には神仏の導きがあるに違いないことを今日も確信し、自然と感謝の念でいっぱいになる。
これが自身の信仰の姿なのだと改めて思った。
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