先の三千仏礼拝の記事を読まれた方で、「准胝仏母さまを拝むとキツイ目にあわされそうで怖い」というご質問をされた方がいた。
これは私の記事が誤解を生んでしまったことに反省すると共にこの件に対する私なりの回答をしておきたいと思います。
皆が心配したのは「准胝さまを拝む」→「滅罪が進む」→その反動で「きついこと」が起こる、ということだと思います。
この考え方自体は間違ってはいないと思いますが、「滅罪の反動」の度合いが、「信者」の立場と「行者」の立場では全然違うという話です。
准胝さまの真言の意味は「修行者」を「励め!励め!」と鼓舞する言葉ですから、仏弟子としての成長を促すという「験」はど真ん中にあります。
だから時に「仏弟子は鍛えられる」という解釈をするのは間違いではありませんが、例えるならダイエット目的でボクシングジムに通う女性と、プロボクサー志望の生徒への指導が同じはずがないのと同じと解釈しましょう。
お札を頂いて、それを祭壇へお祀りし毎日、お勤めする。
最初のスタートはここからだと思います。
この段階では例えば私が経験したような三千仏礼拝のようなことは起きえませんのでご安心を。
私のように修行が進むたびに体調不良になり、人間関係が壊れ、それが家族、ペットにまで波及して……なんてことになるのは「プロの行者志望」だからこそです。プロボクサー志望ならスパーリングで時にボコボコにされるのと同じです!?
だって、幸せになるために信仰したのに、皆そんな目に合ったら誰も准胝さまを信仰しなくなる(笑)
ただ、「将来得度したい」「行者になりたい」という想いがあるなら、もしかすると導かれるように少しづつ「キツイ」事が起きるかもしれません。それを「お導き」と感じるか、悪しきこととして遠ざけてしまうのか?
その判断を間違えないように、そのアンテナはしっかり立てておく必要はあると思います。
准胝仏母さまは「仏の母」ですから、「仏弟子」を生み出すことがその根幹にありま。だから准胝さまを信仰している時点で「既に」導かれている「途上にある」という可能性は大いにあります。
准胝さまの真言を唱えれば、同時に准胝さまがあたなに「励め!」と鼓舞している。まずはその意識を持っておくといいと思います(^^)
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