例え低い山でも、最近よく「山に入る」ということは、化他行を始めたことと無関係ではない。
「山に入れば祈祷の力になる」
修験の行者は、それを経験的に「知っている」からこそ、山に入るという話はよく聞くのだ。
経験値として私がそれを「実感する」というレベルにはまだないが、人さまの祈願を叶えるための努力として、まだまだ経験の足りない私ができる努力の一つでもあると思っている。
ということで……
昨日の高尾山に続き、今日は神奈川県の伊勢原市にある大山へ「低山修行」に行ってきた。
ja.wikipedia.org 実は昨日の記事でも、高尾山からの眺望で富士山の南側にその姿を捉えていたことを書き「いつか行ってみたい」と書いたが、思い立ったが吉日。その「いつか」を「今日」とした。
実はこの大山。八王子に来てからとても気になっていた山だった。
理由は、私が通勤に利用する駅から見える富士山の真横に位置していていつも富士山を探す目印にしていた山だった。
独峰でかつピラミッド型の美しい形だったので「一体あの山は?」と気になり調べたら「大山」ということが分かった。
だから、最近の低山修行で近場の低山に登っては「大山」の位置を確認する程に「なんとなく」注目していた。
かみさんと二人で、猫の餌の時間である16時に自宅に戻ることが条件になる「低山修行」なので、その条件をクリヤーするのは中々難しい。
大山は、八王子から車で1時間で麓に到着する。
この「大山」は、本格的な修行者からすると「邪道」と思われてしまいそうだが、ケーブルカーで中腹にある阿夫利神社下社までまで行けるのでそれを利用する。すると3時間程度で山頂⇔阿夫利神社を往復できるので、朝7時に出発すれば無理なく4時には戻れるのだ。
調べれば、江戸時代相当に民間の山岳信仰の聖地として隆盛を極めていたそうな。それを伺える「講」がケーブルカーに向かう道すがら未だ残っている。きっとここには沢山の御師がいたに違いないことが伺えた。
この大山、山岳信仰の歴史としてはおそらく縄文時代まで遡るようだ。
『本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、摂社の奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社にタカオカミを祀る。ただし、これらは明治になってから神仏分離の際に祀られるようになったものであり、江戸期以前の神仏習合時代には、本社には本来の祭神である石尊大権現(山頂で霊石が祀られていたことからこう呼ばれた)が祀られていた。また摂社では、奥社に大天狗、前社に小天狗が祀られていた(ウィキペディア)』
かつて宮城にもあった縄文時代からの信仰の痕跡の記事を書いたことがあったが、おそらくそれに類する形態だと思われる。
つまり「大岩」が祀神だ。
大岩が「石尊大権現」でこの山のご本尊……というより山そのものですね。そして天狗の存在。歴史あるガチの山岳信仰です。
私も俄然興味がわき少し知らべてみると……やっぱり、この地はかつて八菅修験道として全国でも有数の修験の聖地であった。
『この地を拠点とした八菅修験は、正応4年(1291年)に熊野長床衆が峯入り修行をした巨大な碑伝(八菅神社蔵)が残り、天文21年(1552年)には、京都の聖護院門跡の道増がこの地に入峯した記録が残る。貞享4年(1687年)には聖護院末の本山派修験となった。中世には八菅山の神は「八菅山大権現」として祀られた。近世に至り、八菅山七社権現となり[3]、熊野権現を中心に、蔵王、箱根、男山八幡、山王、白山、伊豆走湯の七社権現を祀り、別当寺の光勝寺のもとに、本坊24坊、脇坊22坊が奉仕する修験者の一山組織をなし、修験集落として栄えた(ウィキペディア「八菅神社」より)
以下、参考ページ
さて、実際の「大山」修行……昨日同様に、とても寒かった。
しかし、その分、眺望は「素晴らしい」の一言だった。
山頂からの大迫力な「富士浅間大権現さま」↓
南西には相模湾。太陽が反射している場所が「海」です。
方角的に奥秩父方面↓……それにしても綺麗な空
標高は1251.7M。昨日の高尾山の二倍の標高ですね。寒い訳だ……
山頂にある阿夫利神社 上院
また、訪れたい霊山です。
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