最近の「低山修行」に付き合わされているかみさんが、「そろそろ山用のウェアが欲しいんだけど?」ということで、先日は日の出町の「イオンモール」にあるMont-bellを覗いたが……まあ、高い(笑)。関東の低山とはいえ真冬に登るんだから品質重視で!というのは分かる!
「でも色々見てみよう」
と苦し紛れにMont-bellでの買い物は保留して、今日は割と近所にある「ワークマンプラス」に立ち寄った。
女性ターゲットに先鋭的な商品をヒットさせているワークマンプラスは確かにかつてのワークマンとは一味違った品ぞろえだったが、何と言ってもリーズナブルなのがよい。……ただ結局かみさんの気に入ったものが見つからなかったですけど(笑)
さて、店を出て駐車場にとめた車のエンジンをかけると、いつものように表示されるカーナビの地図をみて「おや?」となる。
その地図の中に「御嶽神社」の文字が目に留まりました。
「ちょっと寄っていい?」
とかみさんの了解を貰い……急勾配の狭い路地を進んだ。あまりの勾配と道の狭さに閉口したが、なんとか境内にたどり着いた。
朱色のつよい鳥居。
三ケ日を過ぎて、近隣の方々の初詣の「痕跡」が残ってはいたが、誰も境内にはいなかった。車でかなりの急勾配を登ったことでその境内は小さいながらも「山の上」という立地なのが「御岳=蔵王権現」の霊場であることを伺わせた。
神社の縁起を見れば御祭神は日本武尊、中筒男命とあるが社殿にはしっかり蔵王権現の文字があった。
ご神木はかつての台風で倒れてしまっているが、市の天然記念物だそう。
太陽を背に、パワフルな「空気」を演出する木々
ここは八王子市の「下柚木(しもゆぎ)」という場所だが、ネット検索していると「しもゆぎだより」という充実した地域情報サイトを見つけた。
そこには詳しい八王子の歴史……それもなんと奥多摩の山々が生まれる古代からの歴史が書かれているのが壮大過ぎる(笑)
その「しもゆぎだより」で面白い話を見つけたので全文引用します。
『古い由木への散歩道 御嶽ご老人』
下柚木村殿ヶ谷戸の御嶽の宮は、村の鎮守さまじゃが、古く室町期の創建で、蔵王権現として、修験者の道場でもあった。修験者の長に、よわい百歳を超えられた、「御嶽ご老人」と呼ばれる行者がおられたそうじゃ。
ご老人は仙術にすぐれ、さまざま、人々の願いをかなえてくださったという。
農事では、種えらび、作付けや取り入れの時期、また、旅の無事、子育てや病気、失せ物、天気などなど、一切、お礼を受けとらんかったという。
「わしは、無一物が似合うのう・・・・・・」といって笑っておられた。
里人が、戸惑っておると、「ならば、修行の行者たちへ施してくだされ」と、若い修験者たちに気を配っておられたという。
ご老人が亡くなられたのは、さらに数十年後のことで、正確なお年を知る者はおらんかったそうじゃ。
(新編八王子風土記稿第35回より)
http://simoyugi.web.fc2.com/22-02/news4.html
ちゃんと「蔵王権現」となってますから廃仏毀釈以前は明らかに蔵王権現の霊場だったことが分かります。
社殿の前には立派な狛犬様がいましがた、社殿の隣には壊れたお像が。稲荷神社も合祀されていたのでお狐さまか、お犬さまかお像からは判断できませんでしたが、私は「お犬さまでしょ」かみさんは「いやお狐さまでしょ」と意見が割れました。さて、どちらでしょう!?
手水舎は天保年間のもの。古いですね。
このブログを書くために近隣の「御嶽神社」を検索すると予想以上に多くの「御嶽神社」がヒットした。
地図は京王線では高尾山口から高幡不動辺りまでカバーしている地図なのでそれなりに広い範囲ですが、この地図内に御嶽神社が20か所もあります。
上述した武蔵御嶽神社からもそれほど離れていない立地だからなのだろうか?
我ながら、私の目は節穴でしたね。修験者の端くれとしてこれは不覚でした。
今まで見逃していたものが、少し意識が変わるだけで「新たな発見」があるものだと改めて思いました。
これからは近隣の御嶽神社を巡るという楽しみが増えました。
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