瞑想の話です。
まずいくつかの例を示します。
①子どもが泣き止まないので、「キレて」しまって怒鳴り散らして後で罪悪感に苛まれる。
②会社のプレゼンテーションで緊張のあまり、声が震えて満足に話すことができなかった。
③遠足の前日、明日は早いから早く寝たいのにあれこれ考えすぎてなかなか寝付けない。
この3つの例で共通することがありますが、分かりますか?
瞑想の勉強をしている人は割と気付きます。
答は全ての例で「まきこまれている」ということ。
「???」
とはてなマークが並んだ人が多いと思います(笑)
それぞれ「何に」まきこまれたかというと……
①感情に巻き込まれた
②身体の生理現象に巻き込まれた
③思考に巻き込まれた
ということになります。
ここまでの説明でいまいち「ぼんやり」してしまう理由はきっと「一体、何が(誰が)巻き込まれているの?」という話だと思います。
この答えは明白です。
巻き込まれるのは「あなた」以外にはいません。まあ主語を自分にすれば巻き込まれるのは「わたし」です。
さて、冒頭に今日は「瞑想の話だ」と言いましたが、瞑想がめざすひとつのゴールがあります(全てのゴールとはいわないが)。
それは「巻き込まれなくなること」です。
「巻き込まれる」という現象を、例えば心理学の世界では「同一化してしまう」という言い方をします。
上記例でいえば①感情と同一化してしまう②身体症状と同一化してしまう③思考と同一化してしまう……そんな感じです。
くどいようですがこの場合同一化してしまっているのは「わたし」です。
同一化ということは、ひらたくいえば「くっついてしまっている」という状況ですね。
①②③はどれも「好ましくない状況」ですから、このような好ましくない状況を回避するには私とくっついてしまった①感情や②身体の症状や③思考を「わたし」からひきはなしてやればいいとなります。
「瞑想」のテクニックを解説する参考書には、この部分が「哲学的」に解説するものもあるので難解なことのように感じてしまうことがあるようだ。
例えば……
「わたしとはこの世界において唯一無二、何者によっても汚されない、犯されない永遠不滅の存在だからそのことを悟れば全ての苦は消え去る」
みたいな感じ(笑)
我々凡人はまずもっとライトに考えましょう。
私は脳科学的に捉えてしまうのは現代的で効果的と思っている。
曰く
①の感情の場合
「私」と言う感覚を作り出しているのは脳の「前頭前野」だから、感情(喜怒哀楽)を司る大脳辺縁系とは「違う」ので個々の回路を遮断すればよい
②の身体症状の場合
緊張というのはあくまで「身体の反応」で、交感神経が高ぶっているという「生理的反応」でしかないので、もちろんそれは「わたし」ではない
③の思考の場合
思考を司るのは「わたし」のいる前頭前野だが、「わたし」そのものを司る部位と思考を司る部位は「違う」ので、その回路を遮断すればいい
ポイントは不都合を感じている「わたし」は実はわたしそのものが困っているのではなく「他のなにか」が不都合を起こしているという事実をまずは知る事です。
このような「まきこまれている」状態を回避するテクニックが「瞑想」となります。
さて「わたし」と「不都合な事」をひきはがすには「瞑想」で何をすればいいのか?という具体的な話をします。
キーワードを一つ提示するなら「気づけ!」です。
「???」
とまたはてなマークが浮かんでいることと思いますが、言いたいことは簡単な事です。
「巻き込まれている」場合には、その「巻き込まれている」ことに気付けていません。だからまずは「あ、今巻き込まれているな」と気づけるかどうか、です。
これがスタート。
言い方を替えれば、巻き込まれている自分を観察している客観的な自分を出現させることができるかどうか?です。「気づき」を発揮できるにはその手前に「客観的な自分」の出現が不可欠になりますから。
「巻き込まれているわたし」を客観的に「観察している自分」が出現することを、少し難しく言うと「メタポジションを確保する」なんて言い方をします。「メタポジション」とは「第三者的な客観的な立場でみる立ち位置」と訳されます。
この「気づき」がないかぎり、上述の「巻き込まれている対象」曰く「感情」「身体症状」「思考」を「わたし」からひき剥がすのは困難です。
だからまずは「気付く」訓練をします。瞑想の本でやたらと「気づけ」「気づけ」と言うのは、つまりそういうことです。少し前の記事で「ショート瞑想」に関する話題を書きましたが、これを繰り返していると「まきこまれた」というシチュエーションで即座にショート瞑想をする「癖」を身に付けることができるようになります。
この「条件付け」が「メタポジション」を出現させるトリガーになります。
だから皆さんもまずは「短い瞑想」を「日常の中で」実践することを繰り返してください。
ここをクリヤーしないと先に進めません。やり方はまずは呼吸の数を数える「数息観」でOKです。
「あ、巻き込まれた→呼吸数える」の繰り返しです。
上述した①②③はそれぞれ「ひきはがす」ことの難易度は異なります。①の感情で「怒り」の場合は上手くすれば「あ、感情に巻き込まれた」と気付いた瞬間「ひきはがし」が完了していることも多くあります。客観的な自分が出現しているのに怒り続けることは難しいからね(笑)
②や③をひき剥がすにはやや修練が必要になります。②、③とそれぞれやり方、テクニックも違ってきます。ただいずれにしても「わたし」と「それ以外のなにか」をひきはがすというやりかたそのものは変わりません。
そんな話はおいおいしていきたいと思います。
さて、最後に上述のことが分かってくると「霊障」にも対抗できる可能性がでてくる……という「ネタ」を投下して皆の興味を掻き立てて終わりたいと思います(笑)
「霊障」によって「悪さ」をされたとしましょう。例えば仮に霊の仕業で「身体がだるい」なら「だるい」という「身体症状」と「わたし」をひきはがせばいい……となるし、霊の仕業で「イライラする」のならその「感情」を「わたし」からひき剥がせばいいし、霊の仕業で「誤った判断」をして事故に遭遇するなら「判断(思考)」を「わたし」からひきはがして正しい思考を「わたし」に引き戻せばいい……etc
霊障があるないという議論は置いておいて、仮に霊が関与できるのは「感情」「身体」「思考」など人間の感覚器官を通してという「制限」を受けるはずなので、それらはすべて「瞑想」によってひきはがせる領域ですから、対抗できるというのが理屈になります。
まあ「言うは易し」ですがね。
いずれにしても「わたし」が「まきこまれない」ということで人生が生きやすいものになるのは事実。だからまず皆さんができること=日常のショート瞑想をひたすら繰り返しましょう!
★ご相談はこちらから★
記事が面白かったら
クリック↓お願いします!