昨日は、「初午」でした。
※参考リンク
私は「荼枳尼天」を守護神として礼拝している。言わずもがな、仏教での「稲荷神」は荼枳尼天だ。
信者時代には「荼枳尼天」の礼拝次第を自分用に作って毎日欠かさずお勤めしていた。
※表紙が劣化して既にタイトルも見えませんが、写真左の次第が自作の「荼枳尼天」の勤行次第です。
しかし、最近は他にやるべき修法が多く恥ずかしながら日中はサラリーマン勤めという時間的制約から「荼枳尼天さまだけ」を拝む機会は減っていた。
2月に入ってからは、星祭二十一座まで「一日二座」と決めて修法しているが、「初午」のタイミングに合わせ、昨日は星祭の合間を縫って「般若理趣分」にて「荼枳尼天」を供養させていただいた。
当道場の荼枳尼天は、冒頭の写真以外に「最上稲荷系」と「豊川稲荷系」をお祀りしている。ちなみにどちらのお像も「密教系」で開眼していただいているお像です。
※最上稲荷系……右手に「鎌」、左手に「藁束」を担ぐのが特徴
※豊川稲荷系……右手に「藁束」、左手に宝珠を持つのが特徴
密教系は右手に「宝剣」、左手に「宝珠」を持つが、我が家の荼枳尼天は四臂で、さらに「金輪」と「宝棒」を持っています。
ちなみにうちの隠れ「守護神」のみいこ(笑)
昔はよく「なぜ荼枳尼天を拝んでるの?」と聞かれた。荼枳尼天、稲荷神というと「増益」の功徳をイメージされる方が多いから、その心は「そんなにお金が欲しいの?」というニュアンスを含んだ問いかけだったようにも思う。
ただここの読者の方はすでにご理解いただけてると思うが私が荼枳尼天をよく拝んだ理由は「増益」とは違った「想い」からきています。
昔の記事に詳細を記していますのでご参考まで。
昨日「供養」を終えて、久々に本腰据えて荼枳尼天に向き合い「ああ、またかつてのようにちゃんとこの神さまと向き合わないとな」を痛感しました。
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