本日、本道場「准胝院」に師僧が内弟子のSさんと共に参拝に来てくださった。
道場では師を中心に皆で勤行いただいた。
ただ、その勤行が終わった直後、急に師が回向壇の方を見ながら、
「あなた最近、精霊供養やったの?」
という。
最初何のことか分からずに「???」となったが、さらに師が「霊魂がこの道場に集まってるんだけど?」と続け、さらには先に見ていた回向壇の前まで進むと「うん、ここに立つとフラフラするほどだ」とも。
一瞬「ええ??」と驚いたが(そして、となりにいたかみさんが口をあんぐりあけていた……)……
「でもどうも、その霊は皆満足しているようだ」
という師の言葉を聞いて少し安心した。
思い当たるのは、「精霊供養」の次第を使った「施餓鬼」だ。
かつて「精霊供養」をした時、他の行と違い7日で結果を出すことの「厳しさ」を記事にしたことがあった。
そしてその原因の一つに、他の行のように例えば二十一座、百座と自行をするわけではないので、記事にあるようにその行(この場合「精霊供養」が)自分のものになっていないという感触を感じていた。
だから以来、精霊供養の行を「自分のもの」とするために、事がるごとに「精霊供養」の次第で「施餓鬼」を行っていた。
それはこの「精霊供養」が丁寧な施餓鬼の作法だと師僧から説明されていたからだ(以下の記事参照)
先に「先祖供養の問い合わせがまとめてきた」という事を書いたが、「なるほど、これも原因の一つかもしれない」と思ったりもした。
そして改めて、「真摯に法と向き合う」ことの大切さを再認識させていただいたエピソードとなった。
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