「焔摩天」はわが道場では准胝佛母のご眷属として「延命」を司るご尊格として何度も紹介しています。
本道場の「焔摩天」↓
では以下の写真を見て「感じたこと」を思い浮かべてください。
この絵を見て冒頭で話した焔摩天を思い浮かべた人はいますか?
……例えば、姿そのものも上の写真の焔摩天にどことなく似ている感じがするし、手に持つ「帳面」から「閻魔帳」を思い出したり、その「帳面」は少し詳しい人なら十王思想の『秦広王は倶生神の報告に基づいて、亡者を取り調べ、その内容を帳面に記録し、その帳面は、初江王、宋帝王、五官王と引き継がれ、閻魔大王へと渡る』なんて説明を思い出すかもしれない。
実は私も尊星王菩薩像を製作するにあたり、多くの尊星王菩薩、妙見菩薩像を見ていく中でこの像は、特に「焔摩天」との接点を強く感じました。
ただ「焔摩天の関係」をひとまず横に置いておいたとしても、確かに星が運命をつかさどるなら「帳面を持つ」イコール「運命を書き換える」というのはイメージしやすい。だからそれを「お像」で表現するアイデアはとても秀逸だとも思う。
むろんその意味も強く示されたのだと思うが、もう一方で「尊星王と焔摩天」の接点の話をしたいと思います。
ところで、先の大河ドラマ鎌倉殿の13人で「壇ノ浦の戦い」のシーンでしたね。だから図らずも「水天宮」に関わりの深い有名な「入水」のシーンがありました。
水天宮の「水天」は天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を主祭神として、壇ノ浦の戦いで「入水した」安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)、二位の尼(平時子)を祀る神社であることがほぼほぼらしい。
しかし我々の中では、「水天」といえば、水の尊格であり十二天で西の守護をする「水天」のこと。
特に護摩の加行で一門で必須の修行となる「火消三昧」では、この水天さまに大変お世話になるからなおのこと。
さて、なぜここで急に「水天の話?」と思われた方もいると思う。その理由は星のご尊格である尊星王菩薩、妙見菩薩は「水天の姿」を模して作られるとされるから話題にしたということです。
むろんぴったり同じではないが、水天の特徴を色濃く残した妙見菩薩は非常に多い。
その観点から上で紹介した「焔摩天」を想起する尊星王のお姿は、水天の影響なのか?という視点で探っていくと……一見、水天と焔摩天は関係がありそうに見えないが……その接点が見えてくる文章に多く出会くわすことになったので紹介したいと思います。
曰く(赤字は私の感想)
①ヴェーダの神々のうち、インドラに次ぐのは、ヴァルナである。ヴァルナも天空神の一つであり、シナの仏教では「水天」と呼ばれ、水や龍と結び付けられている。
尊星王が龍に乗る姿は、水天の影響ですね
②『リグ・ヴェーダ』などでは、ヴァルナは雷神インドラ、火神アグニとともに重要な位置に置かれ、天空神、司法神(=契約と正義の神)、水神などの属性をもっていた。
ヴェーダの時代には、最上に近しい神であり、「水」以外の属性を多く持ち合わせていたのが分かる。特に「司法神」の性質が焔摩天との繋がりが見えてくる
③ヴァルナの本質は、天則(リタ)の保護者として、宇宙一切の秩序を保持する神である。ヴァルナは、天則に背く者を厳しく罰するが、悔い改める者には慈しみを与えるという両面を持つ。ヴァルナが保護する天則(リタ)とは、自然界の秩序・理法であり、これに沿って天体は正しく運行し、昼夜・歳月は時に従って循環する。リタは人間界に発現して倫理・道徳の法則となり、真理・規律・正義を意味する。
そもそも水天に「星の神=尊星王そのもの」としての性質があったのが分かる
④世界のすべての事象に目を配り、厳正に裁いた。その厳しさゆえに恐れる者もいた。
この描写は閻魔大王そのものですね。
⑤時代が下がるとヴァルナ神の役目は他の神々に分散されてゆきます。と同時に、ヴァルナ神の地位も相対的に下がっていった。あまりに万能すぎるので他の存在の影が薄くなるので役割が分担されたとも。後には死者を裁くヤマ神に司法神としての地位を奪われる
ドンピシャリ「死者を裁くヤマ=焔摩天」に司法神としての地位を奪われるという描写を見つけました。
ということで、上で紹介した尊星王の持物が焔摩天を想起するというのは「さもありなん」ということが分かった。
で、結論は、私が作成する尊星王菩薩の姿。
むろん、当道場で関係が深い焔摩天の性質を色濃く感じさせる「形式」にするのがいいかな?という結論。
実はこの姿は、先日も少し紹介した三井曼荼羅や三室戸寺の姿でもあるのでこの姿にすることがむしろふさわしいと思うのだ。
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