「母の癌が完全に消えました」
というメールをいただいた。
……と、言っても私が当病平癒の祈願をした訳ではないんですが……
言うならば、それが起きたのはこの方の「日頃からの」信仰心の賜物だと思います。
「なぜそんな奇跡が起きたのか?」
その奇跡の背景には、むろん「医学的な成功」がしっかり存在すると思います。
ただ、多くの人は、その「医学的な成功」を引き寄せられない。特に「癌」のような重い病気の場合には。
今回は、「信仰」というものを考える上でもとても参考になるお話と思いましたので、許可をいただき概要を記事にさせていただきます。
私はこのメールを読んだ時の感想は「凄い!」と思うより「さもありなん(そうだろうな)」と思いました。
例えば……
この方は、寺社で参拝するときは、まず必ずごみ拾い、草むしりをして(時に半日がかり)用意したお供えをして、さらにご自身で準備されたその神仏向けの勤行をして帰られることをずっと続けています。普通真似できません。
また、ご自宅での日々の勤行もご自身で工夫されて熱心にされているようです。
もちろん「母の癌を治癒したい」という強い想いはあったと思いますが、重要なのは「日常からの信仰のベースがしっかりあった」ことだと思います。
だから、例えば……
この方に准胝佛母で祈願させていただいた際に(上述とは別です)、准胝佛母の在家勤行要典をお渡ししたのだが、以後毎日お勤めしていると嬉しいお言葉もいただいた。信者様には全員お配りしているのでご覧になった方は多いと思いますが、この要典、割とボリュームがあるので全部行うにはかなりの時間がかかります。
こんなお話をすると「私はそんな長時間お勤めしていないからダメだ」と言われる方がいますが、そこが本質ではありません。ポイントは「時間」ではなく「日常」だと思っています。
例えばよくあるパターンとして(私も経験あり……)、一時とても熱心に何時間も拝んでいたのが、ある時すっかり熱が醒めて惰性でいい加減な勤行を続けている……とか。
このブログでも「継続」の難しさという話題で何度か記事にしていますね。
「常に」神仏の存在を意識できるか否か。そのために『自分の場合』何が必要か?を考えるといいと思います。他人と比べてもあまりしょうがありません。
それが毎日の時間をかけた勤行かもしれないし、お宮を定期的に参拝することかもしれないし、お守りを肌身離さず持ってことあるごとに神仏を思うことかもしれないし。
その人なりの「日常」「常に」「日頃」に神仏を意識できること。それを目指してほしいと思います。
すると時に冒頭に書いたような「奇跡」を引き寄せる「土台」ができるように思います。
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