卵が先か?鶏が先か?という話。
今朝、「龍の形をした雲」を見た。
(イメージ画像)
一般的に語られるレベルの深層心理学の解釈ならば、私が龍の雲を「無意識に探していたから」それを見つけることができた……とするだろうか。
その解釈も悪くない。
また、これなら無意識のことを少しでも勉強している人なら誰でも納得できる話だ。
しかし、全く違った(といよりはもっと踏み込んだ)解釈をする変わり者の心理学者がいる。
このブログではよく登場するアーノルド・ミンデルだ。
どんな風に変わった解釈をするかと言えば……
彼ならきっとこう言うだろう。
「龍の雲が私に向かってシグナルを出したから、私がそれに気づくことができた」
主体は「私」ではなく「雲側」にある、というのだ。
雲は例えそれが「龍」の形に見えても、物理的な存在に違いはない。その物理的な存在である「雲」が、人間にシグナルなんて送るモノか!と普通は思う。
偶然雲の形をした物理的存在てある「雲」が「龍」という意味を持つことができるのは、「私」という主体に「龍」という記憶があるからに他ならない。この偶然を引き起こすのはあくまで「人間側」のはずだ。
人間が「龍の形」を知っているからこそ、無機質な雲に「龍」という存在を感じることができるのだ。
しかし、ミンデルはそうは言わない。
なぜか?
それは彼がマサチューセッツ工科大学で物理学を学び量子物理学に詳しいことと無関係ではない。
最近では「量子もつれ」と言う名で、量子は時空を超えて同時に干渉しあう説明される。
例えばこんな説明だ。
『ミクロの世界を正しく説明するうえで欠かせない量子力学に、「量子もつれ」と呼ばれる現象がある。量子もつれとは、2つの粒子が強い相互関係にある状態であり、粒子のスピン、運動量などの状態をまるで「コインの裏表」のように共有する運命共同体のような状態を指す。
例えば、一方の粒子を観測したときのスピンが上向きであれば、もう一方は瞬時に下向きになる。このような量子もつれにある2粒子間の状態は、どれほどの距離──たとえ銀河の端から端という途方もない隔たりがあろうが、維持されるのだという。この同期の速度が光の速度を超えるという、まるで空間など存在していないかのような非局所性から、偉大な物理学者アルバート・アインシュタインが、かつて「不気味な遠隔作用」と呼んだほどだ。』
引用リンク
「時空を超える」と言われても文系の私はピンとこない。
この理屈が正しいとか、正しくないとかは。文系の私は正直どうでもいい。
ただ、心理学者としてとても、ユニークで、リスペクトするミンデルが言うのだからただの似非科学ではないように思う。
だから、私はミンデルの言うことを「日常」に落とし込んで「活用」することにしたい。
この説明で我々が「持ち帰って」「日常使える知識」とするには、きっとこうだろう。
皆さまも上記の難しい理屈は、置いておいても以下のことは意識して実践してほしい。
「そのシグナル(気付き)に注意を払う」「そのシグナルを見逃さない」「そのシグナルに気付いたときに(今回の場合は龍の雲を見た時に)」その雲がなんのシグナルを「私に」送ったのかを想像力豊かに想いを巡らせてみる。
そのシグナルを私が確かに捉えたのならば、きっと私にとって意味があることだと思うことにする。
そうすれば、その時巡らせた想像に、今必要なヒントがあるかもしれない。
日常の「気づき」の質を上げるとでもいいましょうか。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!!」
と叫ぶ少女の教育番組があったが、まあそんな感じだ(笑)
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