過去の記事で『「日常」が疎かになって自身が乱れるときっと自分も、周りも悪しきことが起きる』という記事を書いた。
これは心理学者ユングが好んで用いた「レインメーカー」のエピソードを交えての考察だった。
興味のある方は下記記事を見てほしい。
さて、上述した「周りにも悪しきことが起きる」の「周り」とは自身に置き換えるとどうだろうか?
私の場合「家族」がそれにあたるかもしれない。
誤解してほしくないのは周りの人間が私の日常如何でコントロールされているという意味ではない。平たく言えばお互いが無意識に強い影響を受けるというニュアンスだ。
だから時に「相手を振り回す側」になることもあれば「相手から振り回される側」になることもあろうと思う。
ただ一つ行者になって思うことは、「行」によって無意識に強く働きかける性ゆえ、家族への影響はおそらく一般の方より大きく出る傾向がある気がする。
このことを踏まえて上で紹介した記事での「学び」は、密教行者なら密教の行を通じて「周り」に「悪い影響」を及ぼさずに「いい影響」を及ぼすような「日常の修行が大切だ」と結論付けた。たとえそれが記事で紹介したレインメーカーまでの達者でなくともだ。
ここ最近。思い当たる節がある。
私は肩の負傷から手術に至り、おそらく日常の行に「乱れ」が起きたのかもしれない。
だから私が肩の負傷をしているタイミングで家族の一人にトラブルが起きた。
もちろんそのトラブルを直接的に解決する努力は必要だが、それ以外に「私自身の日常の行を整える」ということをより意識する必要があると感じた。
今朝、こんなことがあった。
私は煌々と輝く蛍光灯の光が眩しくて目を開けた。
一瞬、自分がどこで寝ているのか気付けないでいた。
それは目の前の風景が「寝室」ではないからだった。
むくりと身体を起こして目の前の風景を見ると、見慣れた仏像が目に映り、私が寝ていたのが「本堂」であることに気付いた。
私は未だ状況が全く理解できない。
時計を見ればAM4時。つまりいつもなら寝室で寝ている時間だ。
「なぜ本堂で寝ているのだ?」
それが解せない。全く記憶がないのだ。
ちなみに私の寝室は2F。本堂は1F。トイレに起きて寝ぼけて部屋を間違えるなんてことは万が一つにもない。またお酒も吞まないので、酔ってということもない。
昨晩の記憶を探る。
確かに私はいつも通り、夜拝を終えて、床に就いた。寝入りばなどうも気分がすぐれないことをうっすら覚えている。
現実的には「寝ぼけて」という話になろうかと思うが、ここまで記憶が飛ぶなんてことは過去に一度もない。まさか寝ながらテレポートした訳でもないだろうし(笑)
私は「おや?」とある記憶にたどり着く。そういえば……つい最近同じ話を聞いたばかりだ。そう、家族が同じことを経験している。それをそのまま私が経験した、とすると妙に納得できた。
過去に家族の「心理的症状」が私にリンクしたことが何度かある。
その意味することは何か?
私はこう解釈した。
「私の行が不十分で、私の元を離れ閉まっていた家族の問題が、ここにきて私の影響下に戻ってきた」
この解釈が合っている保証はない。
でも私がやるべきことは決まっている。
日常の行を十分にやるだけだ。
私にこれ以上のことはできない。
しかし、これで十分だとも思う。忘れてはならないのは、私がやっていることは本尊への橋渡しだけだ。
その先のことは本尊に任せるしかない。
あらためてそのことを噛みしめるエピソードだった。
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