「家の宗派と違うのですが大丈夫ですか?」
割と多い質問だ。
そんな質問の中で
「家族がいい顔しないんです」
というケースと
「ご先祖様がいい顔されないのでは?」と心配されるという2つのケースがある。
後者の質問は特に先祖供養を依頼される方が心配される内容だ。
前者の「家族問題」に関する回答は、師僧の記事にある通り「個人の信仰」ということで説明をさせていただく。
また、必要に応じて同じ日本の仏教宗派でも教義的に近しいものと、そうでないものの説明をして家の宗派と競合することはないことを説明することもある。
では「ご先祖様がいい顔しない」についてはどうか?
人によっては「この世にいない人の顔色を心配してどうする?」と一笑に付すかもしれない。
ただ、私はそうは思わない。
故人のことをリアルに感じているからこそ、そう感じられていると思うからだ。
ここで現代人が勘違いしてはいけないポイントがあると思う。
それは時代が遡れば遡る程、宗教がより身近なもので、より信仰心が強いものだったということ。きっとその感覚は現代人はなかなか判り難いものだと思う。
そう考えれば今、目の前にいる「いい顔しない家族」以上に「他の宗派」を真剣に信仰していたご先祖様は「他の宗派はけしからん!」と言うかもしれないと想像しても全くおかしなことではないと思う。
以前、厨子に開眼された日蓮宗の僧侶のお名前が入った最上稲荷形式の荼枳尼天を、師僧に密教式に開眼していただいたことがある。その際に、「開眼者の意念が残ることがある」というエピソードを聞き、以来この荼枳尼天さまを拝む際には法華経を多くあげるようにしていた。
(参考記事)
もちろん日蓮宗の祈祷僧と信心深いご先祖を同等に考えるのは違うと思うが、それでも過去のご先祖様の信仰を無視していいものか?と思う部分もある。
ここからは、あくまで「私が思うに」という話になるが……
結局は今信仰される方の信仰心が全てかなと思う。真摯に神仏に向き合っているなら「宗派違う」ということよりも、その信仰心が正しいものなら「その信仰心そのもの」をご先祖さまもプラスに捉えてくれると思うのだ。
信仰心の強かったご先祖さまならなおのこと。
この世を去って、仏の導きで修行されているご先祖様は「〇〇宗がー」なんて小さいことはきっと言わない気がするのだ。
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