調子に乗ると、ろくなことはない。
そんなことは、理屈では誰でも知ってる話。
野良猫時代、人間から虐待されていた保護猫が、我が家にいる。3匹の末っ子「しゃみぃ」だ。
この子は、時間は掛かったが、最近では手で頭を撫でられるようにまでになっていた。
「ほら、私にかかれはどんな凶暴な猫だって慣れさせることが出来るんだ」
言葉にこそしないが、そんな慢心があったのかもしれない。
今朝、調子に乗っていつもより強引に「しゃみぃ」の身体をワサワサと撫でていたら……
ずっとゴロゴロ、甘えていたしゃみぃの態度が突如豹変し、激怒しながら私の右親指を「がぶり!」と噛んだ。噛んだだけではない。そのまま首を左右に激しくふり、その様子はトラが噛み付いた獲物を食いちぎる様を彷彿させた。
ナウシカがキツネリスのテトに噛まれた時のように「怖くない」と冷静でいられれるはずもなく、私はあまりの痛さに意識が遠のきそうになった(少しホワイトアウトした)。
しゃみぃが、何が「おきにめさなかった」のか?、はよくわからない。ただ私が「慢心」して「調子に乗った」ことが、今回の失敗の原因であったことは間違いない。
(↓部分が数ミリめり込んだ。まだ、疼きがとれない)
日常は修行である。
いつも私が強調するフレーズ。
これを今回のエピソードに当てはめるならば、「今回だけの失敗」とは思わない。
つまり「これからはしゃみぃをあまりしつこく撫でないようにしよう」という「一つの教訓」では終わらせない。
私の行動する「全てのことにおいて」、今後も慢心せずに調子に乗った行動を控える……というところまで学びの範囲を広げる必要があるということ。
視界がホワイトアウトするほどの痛みだ。ただの痛みで終わらせてたまるか!である。「猫に噛まれた痛み」と表面的に捉えずに「神佛から頂いた学び」とするのだ。
そんな「態度一つ」で、自身の修行のゆくえは変わってくる。
私はこんな学びのこの繰り返しが重要と思う。
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