昨日、「至急」というご希望もあったので、ある方と急遽リモートで面談をさせてもらった。
「最近、仕事の状況が厳しい」
というご相談。
とても熱心に信仰されているご様子だが、どうも事態が好転していかない。むしろ悪化しているように感じると。
お話を聞いて私は「ああ、験が出ているんだな」と思った。
だからこんな話をさせていただいた。
…… …… ……
祈願には「願意」がある。
だから、「願意」が「叶った、叶わなかった」という結果にこそ多くの人は関心がある。
もちろんこれは当然ですよね。
では、もし「願意が叶わなわなかった」ということは「験が貰えなかった」のか?
答は「否」ですね。
「願意」が叶うための多くの「験」を神仏はお示しされたけど、施主さまがその「験」を受け取れなかったと解釈する。
例えば……
「恋愛成就」を祈願したとする(※たとえ話で面談者とは無関係です)。
想い人と結ばれるためには、色々なハードルを越えなければならないでしょう。
「突然女神のような女性と出合って、その人から告白されました」
なんてことが起きるはずがないことは誰でも分かります。
でも、ここまで極端ではなくてもうっすらそんなことを期待して「寝て待ってしまう」人はいる。
でも現実的には……
「経済力を上げる」
「清潔感を身に付ける」
「相手の関心に関心を持つ」
「対人スキルを磨く」
「ダイエットする」
etc・・・
人によって何を重視するかは様々でしょうが、少なくとも思いつく限りの努力は必要になるでしょう。
これだけの条件を全てクリヤーするだけでも簡単ではないですよね。これを若いころの自分に問うても「そんな言うは易しだ」と文句を言われそうだ(笑)。
では恋愛がどうすれば成就するように考えてみましょう。
人によっては上述したように「何もしないで」、「奇跡」を待っている人もいるかもしれないから「そうじゃない」とまず教えてあげる必要がありそうです。
そんな時に「験」を待ちます。
例えば……
身近な人が、それを指摘してくれるかもしれない。
たまたま見つけた本にヒントが書かれているかもしれない。
まったく別の場面で自身の足りない部分を感じるエピソードに出会うことで自分の足りなさに気付かされるかもしれない。
「例えば……」の後に書いたことようなエピソードがあったなら、信仰があるならそれが「験」であると受け止める。
そして「ああ、気づかせてくれてありがとうございます」と思えるかどうか?です。これができるかできないか?で成就へのベクトルが向くか否か?が決まってくると思います。
さあ、「奇跡」を待っても何も起きないことはなんとか「験」のお陰で気づけたとします。次はいよいよ様々なハードルを克服しなければなりません。
清潔にする、相手の関心に関心を持つ、等は気付きがあればすぐにできそうです。
ダイエットも目的達成の為ならなんとかなるかも?
でも経済力や、対人スキルは時間がかかるかもしれない。
でもその努力の方向性が正しいなら、ここでも達成するための「ヒント」という名の「験」でるはずだと信じる。
会社員であるなら、新しいプロジェクトへのチャンスがあり大変で苦労したけど評価が上がった、給与が上がった。たまたま「気の合わない上司」の下へ配属になって大変苦労したが、自身の対人スキルを磨く良い機会になったetc……
結果、一年して、残念ながらその恋愛は成就しなかったとしましょう。
でも、この人、「験」は確かに受け取っています。
そこで「なんだこんなに努力したのにダメかよ」と思ってしまえば……神仏は「おいおい、そうじゃないだろ?」って突っ込まれるかもしれません(笑)。
そうじゃなくて、この一年で恋愛スキルが大幅に向上できた「験」に「感謝」ができるかどうか?です。
後者のリアクションができたなら、この先の信仰が続くであろうし、そんな人の行く先は神仏も「頑張るなら手伝ってやるよ」となってくれそうです。結果、その年はダメでも将来に期待が持てそうです。
だから私はどんな祈願にも「験」があると言います。「験がでなかった」と感じてしまうのは、それに気付けなかった、その人の問題。
神仏からのヒントをちゃんと自身で掬い取れていたのか?の問題。
また、その願いを叶えるために、時に「むしろ辛くなった」ということもある。冒頭でお話した方は、きっと「これだな」と思った。これを「験がではじめた」と解釈できるかどうか?「修行させてもらってるんだ」と思えるかどうか。
「辛い」で終わるか、「験」と気付いてチャンスに変えられるか。
そうアドヴァイスさせていただいた。
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