有名な仏像でも「尊格(仏像の名称)が分からない」もしくは「実は尊格の名称が間違っているのではないか?」というものも多くある。
例えば密教の尊格のような多面、多臂の複雑な容姿のものは特徴がはっきりしているし、また儀軌にも詳細があれば間違えようがない。
ただ、形がシンプルなものは言い方を替えると「特徴がない」ので、区別がつかいことも多くある。
例えば、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来といった如来系。また観音菩薩も有名な六観音であれば間違えはないが、それ以外……たとえば胎蔵曼荼羅の蓮華院に並ぶお姿を見ても区別がつきにくい……等。
仏像を作る身になってみると、まず自分で拝む時に「その尊格」に見えないと話にならない。また、自分でそう思っていても仏さま側から「いやいや形違うよ」ということもあるかもしれない。また、道場である以上、お像を信者さんが拝むことにもなる。とするならばそのお像をみて「ああ、これは○○ですね」と「分かる」お像である必要もある。
さて、今作成中のお像は「多羅菩薩」だ。
チベット仏教のターラー菩薩は、とても特徴的だ。だからチベット仏教風に作成すれば(チベットの姿を知っているのならば)間違えようがない。
ただ、私が作るお像は、師僧にもご助言いただき胎蔵界曼荼羅のお姿に寄せることにした。
胎蔵曼荼羅の蓮華院に見られる多羅菩薩は結跏趺坐で合掌の姿。つまりとてもシンプルで特徴を出し難い。強いて言えば、肌の色が「緑」であることか。だから彩色をすれば他の尊格との差別化はできるかもしれない。
合掌で描かれる菩薩としてすぐに思い浮かぶのは普賢菩薩がある。ただ普賢菩薩はほぼほぼ象に乗るので多羅菩薩との区別はつきそうだ。また衣裳も多羅菩薩が中国風の「がい襠衣(がいとうい)」であるのに対し、普賢菩薩は偏袒右肩だ。
では、「多羅菩薩だ」と特徴を出すにはどんな工夫が必要なのか?
結構、悩みました。
でもやっぱり先に多羅菩薩のことを数回に分けて特集する過程で、多羅菩薩を良く知り、そのイメージを自分なりに育て上げることはできました。
(参考:多羅菩薩記事)
そこで意識したこと4つ。
①観音の救済にも漏れた衆生をも救う、「万能の救済者」であること
②理想の女性象(女性が目指す憧れの姿)であること
③「母」のイメージを持つこと
『(要約)ターラーは「慈母」であり、天も人も夜叉も、誰一人としてターラーの子でないものはない。それゆえ「世間母」であり、観音はじめ大乗菩薩たちも全てターラーの子であるから「般若母」でもあり、さらには三世の諸如来の母=仏の母である(「大方広曼殊室利経・観自在菩薩授記品」』
④青蓮華を持つこと
合掌に青蓮華を持たせた画像が存在するのは確認できています。また、同じく青蓮華を持つ文殊菩薩は時に青蓮華に坐するので、蓮華台の色を青にするという構想も考えている。
そうは言っても、これらを表現するのは自分自身なので普遍的なお姿にするのは至難のことだとは思います。
結局、「これでいいんだ!」と自分で自分を納得させるための言い訳のようになってしまいましたが……
以下、作成途中の多羅菩薩です((まだ袖などはラフ状態です)。
まだまだ作成途中なので「こうした方が……」というご意見などありましたら遠慮なく。
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