敬愛の祈祷というのはある「難しさ」がある聞く。
それは「相手がいる」ということ。
祈願のご依頼をされる方は、敬愛を希望する双方であることよりも、一方であることがほとんど。
だとすれば「一方聞いて、沙汰するな」じゃないのか?という批判があったとする。
ただ、この意見には大きな「間違い」が潜んでいると思うのだ。
つまり、「沙汰するのは私ではなくご本尊だ」ということ。
正しい敬愛の願いならご本尊が「そう」と判断するはずだ。
…… …… ……
少し前、「敬愛」のご祈願を希望される方がいた。
むろん施主様「一方から」のお願いだったが、施主様の正しい信仰もあり、またそのお願いも至極正当な願いだったのでその祈願をお受けした。(例えば道ならぬ恋を叶えようというようなメチャクチャな願いではないということ)
昨晩、その施主様から「ご報告」としてメールを頂戴した。
『お世話になっております。
先月ご祈祷いただいた『敬愛』についての祈願なのですが、喜ばしい事にほぼ99パーセント成就できそうな兆しがありました!
関係者からは『難しい 』と念を押されておりましたが、まさかの大逆転と展開の速さに、もしかしたら…やはりこれは…ご神仏の見えないお働きのお陰かもしれない!とじわりじわりと身の内側が震えるような感覚になって参りました。
里見先生が熱心にご祈祷下さったお陰と御札に宿るご神仏のお取り計らいだと心から感謝申し上げます!
お授け下さった御札は毎日肌身離さず手元に抱き、合掌しています。
(中略)
本当に人間は気持ち一つでこんなにも毎日見る景色の印象が変わってゆくのですね。
小さき人間は浅ましいけれども、それさえも良しとして、ご神仏の御心は母のように深く慈愛に満ちておられるのですね。
もしかしたら准胝様は御仏様のお母様ですか?
お地蔵様に似ていますが、また少し違って更にずっとずっと高貴な(優しい教頭先生のような?)雰囲気を抱きました。
お母さんであるならば、私をまるで泣いている迷子の童子のように手を差しのべて慈しんで温かな膝に守るように抱き締めて下さった、お助け下さったのでしょうか?
『お母さん』……肉体を超越した魂のお母さんが救ってくれました。ありがとうございます、ありがとうございます。どうかご本尊様にお伝え願えれば幸せです。(プライベートな内容を含むので、ご本人了解いただき内容は少し改変しています)』
なぜ願いが通じたのか?ご本尊の「沙汰」に適う願いであったこと。ご本人の信仰がベースにあったこと。そしてこのメールの手紙からも皆さまも感じたであろう「感謝の気持ち」を強く持たれていること。
それが整えば、祈願はこのように強く速く叶うと、私も改めて知ることができた貴重なご縁となりました。
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