准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする祈祷道場「准胝院」のブログです。リンク 准胝仏母祈願道場「准胝院」について https://ryona.hatenadiary.jp/entry/2021/11/01/0636 ※天台寺門宗教師 亮和

霊現象とラポールの話

昨日、会社の同僚女性から

「幽霊が出て困る」

という話をされた。

「は?」となりそうだが、以前にも同じような話をされているので驚きはしない。

むしろ「さて、どうしたものか?」と考えた。

しかし、同じ話を例えば顔も知らない方からメールでされたらどう思うか?むろん同じようには反応しないだろう。

ラポール

カウンセリングではそんな言葉をよく使う。

『セラピストとクライエントの相互の信頼関係のことで、フランス語で「橋を架ける」という意味から、心が通じ合い、互いに信頼しあい、相手を受け入れていることを表す』といった説明がされる。

では、カウンセリングはなんで「ラポールを構築する」という手続きが必要なのか?

先の「幽霊の話」を考えれば理解しやすい。

仕事の態度はまじめで、いたって常識的で、知能レベルも高くて……ということを既に十分知っている同僚がいう言葉と、顔も知らない相手から聞く場合とでは同じ言葉でも意味が違ってくるという話だ。

ラポールがあるのか?ないのか?という違い。

もちろん顔を知らない方も同じように真面目で信頼出来る方の可能性はある。だからバッサリ切るという態度も逆に注意する必要があるとは思う。しかし、いきなりのメールで理解してほしいという訴えは残念ながら無理な相談と言わざるを得ない。


さて先の同僚の幽霊の話をもう少し踏み込んでみる。

彼女は某神社のご眷属さまをよく信仰しており毎年祈祷札を拝受されているという。そして毎朝欠かさず神棚の給仕をし、手を合わせてから出勤するらしい。

だから彼女は「家の中はそのご眷属の霊気で清々しい」と話す。一見するとただの思い込みともとれる言動だが、本質はそこではない。

つまり「それだけの信仰があればその強いご眷属はしっかり家を護っていることは間違いない」と解釈していいだろうということ。特に私の立場であれば。

「護られているはずなのに、その部屋で幽霊が出た」

そこに危機感を覚えたらしい。

さらに……

「今この話をしていたら、また肩がずっしり重くなってきた」

と険しい顔になった。

このブログでは何度も書いているが、私は霊というものを五感で感じるということはまずない。

だから霊に向かって「そこのお前、出ていけ!」なんてことは出来ないし、むろんやりはしない。

私は心経一巻の後、九字を切った。

 

「あれ?とれた」

と一言彼女の口から洩れた。

 

「え?それだけ?」

 

と思った方は、般若心経と九字を侮っている。こんなパワフルなものは無い。私はそう思っている。

 

さて、「肩が軽くなった」とか「楽になった」ではなく「とれた」といったのが霊の存在を実感している彼女らしい表現だと思った。

「これは出来るだろうな」

と実は思っていた。

慢心ではもちろんなくて。

その根拠は、相手の私に対するラポールと、やはり術に対する絶対的な信頼。

「なんだ、自己暗示ってこと?」

と思った方もいるだろうか。実際その可能性も大いにある。でもだからこそそのような感想を持たれた方に「本質はそこ?」と問いたい。正直、私的にはどっちでもよいのだ。

この時に必要なことは「肩に感じていた嫌な感じ」が確かになくなったという「事実」だけ。

……さて、今回は一発勝負の「術」の話だが、祈祷でも「ラポールありき」だと思う。

「全て神仏に預けるから、ラポールなんて雑音でしかない」という意見もあるだろう。でも行者と信者さんの間にすでに「縁」が生じている以上、双方のラポールは祈願成就の後押しをするというのが私の現時点での感想。

行者は法に依って神仏と一体になる訳だしね。


個人的には以上のことを再確認できた貴重な体験であった。

 

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難陀・跋難陀龍王 脇侍の話

准胝仏母のお像、仏画では蓮華台を支える姿で登場する難陀・跋難陀龍王

 

准胝仏母の眷属としては、筆頭と言っても良いと思う。

 

ただ残念ながら、当院ではこの龍王のお像がなかった。

 

それを見かねた?師僧からいったいの立派な龍像を賜わり「もう一体は自分で作り、難陀・跋難陀龍王として開眼なさい」となった。

 

しばらくバタバタとして気になっていたのだが、ようやく着手することが出来た。

 

石粉粘土の塑像では、本体の芯にアルミホイールを使うことが多いので私もそれに倣っている。

 

今日のところは、ラフにある程度形にするまで。

 

一応、今回作成するのは弟ぎみの跋難陀龍王

 

大事な顔と、尾は別に作ります。

 

とりあえずの進捗でした𓃠

 

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怒りから学ぶ主客一如

 昨日、ほんの些細なことで会社の上司と口論になった。

 いや、厳密には口ではなくメールでの諍(いさか)い。

 よく指摘されるのだが、私は時にメールで物言いがキツいらしい。どうやら受け取った相手の心をグサグサとやってしまうようだ。

 企業であれば、「意見の食い違い」があるならばそれはむしろどんどんやって解決すべきこと。国民性もあると思うが、米国などの会議では毎回喧嘩腰でやるが、終われば喧嘩していた相手とすぐに「じゃあ、ランチに行こうか」と何事もなかったかのようになるらしい。つまり仕事のプライベートは別物という切り替えが上手いのだろう。

 ただこれを日本でやろうとしてもなかなか難しいように思う。私が古い人間なのかもしれないが。

さて、企業の話はこのくらいにして「感情」の話にフォーカスしてみる。

 

 口論の背後には、自身の怒りがある。怒りの感情が大きい時ほどやっかいな「魔」が潜む。その魔の名前を「自我」という。

 他人を守るための怒りならまだいい。ただ残念ながらその正体は「自分を守る」ために怒る。自我を守ることに必死なのだ。

 言葉にすれば簡単だ「自分のために相手を傷つける」ということを人は簡単にしてしまう。今回の私のように。

 やっちゃいかんよね、仏教徒なら言わずもがな、人としても、と思うのだ。

人間どんなに歳を重ねても、成長しない自分にうんざりする。

だからこそ奢らず修行を積まねばと発心もするのだが。

 

 怒りのあとには、後悔がくる。

 昨日もそうだった。最後は自己嫌悪でがっくり落ち込むというのがお決まりのパターン。

 

相手に向けていた「怒り」という矛先が、実は自身にも同時に向いていて、自分も他人と同じように(もしかするとそれ以上に)傷ついてたというオチ。

 

 最近の脳科学では、これを脳にはミラーニューロンがあると説明する。その場所は「主語」を受け付けないから他人に対する暴言は自分にたいする暴言と同義と脳は受け取るとか。だから悪い言葉を使うと自分を貶める。ポジティブな言葉を繰り返そう!という自己啓発系で好まれそうな理屈。でもこれあったると思うな。

 

 仏教では「自他不二」「主客一如」と言う言葉がある。しかし、私が発した言葉で他人を「傷つける」というもネガティブな「主客一如」が起こっていることがなんとも情けない状況。

 

 私は欧米人のように仕事とプライベートをキッチリ切り離すことはどうもできない。

ただ今の私にできることとして、一日たって、上司には昨日の非礼を詫びて今日はいつもの通りの平穏を取り戻している。

 

 私も多いに修行させていただいたが、上司は上司の縁でなにがしかの「学び」があったと思いたい。都合のいい解釈かもしれないが、それであれば僅かでもプラスの「自他不二」は起こっていたに違いないのだから。

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続・荼枳尼天のもう一つのお姿(読者さまのコメントから再考察)

 当院は「先祖供養」と「当病平癒」のご依頼が多い。

 客観的に自身のブログ記事を見ても、特に先祖供養や当病平癒の話題を多くしているという認識はない。

 

 だとすると准胝仏母さまか、そのご眷属さまが引き寄せているのか?なんて想像をしてみる。

 

 当病平癒といって真っ先に思い浮かぶのは「薬師如来」だろうと思う。

 准胝仏母はどちらかと言うと「延命」のイメージが強い。

 その延命のお力は眷属の「焔摩天」による、と言う話はこのブログでも何度も触れているのでご存知の方は多いでしょう。

(参考引用)
『焔羅王供行法次第』などの儀軌による、除病、息災、出産、延命、死者の冥福を祈願する焔摩天供という修法が平安時代後期頃から行われる。これに伴ってヤマ(焔摩天)を中尊として眷族を配する焔摩天曼荼羅などが作成される様になった(ブログ:徒然草子より引用)』

 

  さて、昨日の記事のコメントで「なるほど」と思ったことがあったので紹介したい。

 昨日の記事では「もう一つの荼枳尼天のお姿」を紹介した。

 このお姿は、胎蔵曼荼羅焔摩天曼荼羅のお姿という話をし、この荼枳尼天焔摩天の眷属であるという話もした。

 だからその荼枳尼天は准胝仏母から見れば「眷属」の「眷属」という関係性になる。

 准胝仏母のファミリーと言えばファミリーだ。

 

 さて、話を「当病平癒」に戻す。

 焔摩天が延命に強いのは、「死を支配する」という焔摩天の属性からくる、というのはおそらく間違いない。

 そして眷属というのは、その親分の「ある力に特化した力」を象徴することが多い。

 例えば准胝仏母であれば、「延命」は焔摩天、子宝は「訶梨帝母(鬼子母神)」という具合だ。

 では焔摩天曼荼羅にいる「荼枳尼天」は何に特化しているのか?

 

参考引用をしてみる

『ダキニ天法が焔摩天供の別供から独立したもので、これにともなってダキニ天も独立した信仰対象となった(名波弘彰)』

 最初は焔摩天供を補完する「延命」に関わりある供養だっりするのだろうか?

 

さあ、ここで答え合わせ。

 

昨日の記事のコメントです。

『人体を解剖する(医学的知識の神)という見方もしていますよ。色々な解釈ができて深みがありますね。』

あり得るかも?と思いました。手足を食べていると言えば、おどろおどろしいが、解剖していると見れば見えなくもない!?(少し強引)

 むろん確証はありません。ただ可能性があるなら、考察すること自体は悪くない。

だから、その是非をここで追及するなんて野暮なことはむろんしない。

 日本で稲荷神となった荼枳尼天とはまた違った、曼荼羅に見る荼枳尼天

 ただこうしてみると、准胝仏母と関係が深いのは、曼荼羅にある焔摩天の眷属としての荼枳尼天

 そのことを改めて考えさせられる。

 冒頭では「当院は当病平癒の祈願が多い」と書いた。

 だったら、荼枳尼天がもしかすると「医学的知識の神」なんて考察が期待できるなら朗報でしかない。

 やはり尊格とういのは、人間の浅はかな頭では計り知れない「深い存在」ですね。

 

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荼枳尼天のもう一つの御姿

荼枳尼天といえば、大白狐に乗る美しい女神。

 

ただ「荼枳尼天は怖い」という印象が付きまとう。

 

それは、本来の荼枳尼天は夜叉で日本に伝来した中期密教では「大日如来の化身である摩訶迦羅天(大黒天)によって調伏されて仏教の護法神となった尊格とする。

だから、胎蔵曼荼羅は無論、焔摩曼荼羅でも先述の白狐に乗った美しい女神では描かれていない。

 

どんな姿かといえば……(以下リンク参照)

胎蔵曼荼羅の荼枳尼天

このお姿が、何故に美しい女神に変化したのか?については諸説あってはっきりしない。

 

ただ我々が荼枳尼天さまを拝むときは、背後に「怖い」という一面があることは忘れないようにしたい。

 

ちなみに皆が唱える荼枳尼天のご真言も上記、魔訶迦羅天との逸話からきている。

 

それでも、お姿がお姿だけに荼枳尼天信者の方も、曼荼羅にあるお姿は見て見ぬふりをする人が多いと思う。

 

ただ荼枳尼天を守護神とし、なおかつ准胝仏母の眷属である焔摩天信者でもある私が嫌悪感を顕に無視するのは違うと思うのだ。

だから胎蔵曼荼羅焔摩天曼荼羅にあるお姿をむしろ積極的に「自分の中に取り込んで」具体的なイメージに落とし込んでおきたかった。

 

仏像を作ると、心的インパクトが強すぎるので(グサグサ来過ぎる)、まずは仏画を描いてみる。

 

まだまだラフのラフで、完成にはほど遠いが随分とイメージは進んだ様に思う。

 

私の中ではこれも立派な修行なんですよ?(^^)

 

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祈りと言う瞑想

 最近、瞑想の話をしていないので少ししてみたいと思う。

 まずは「耳たこ」の何度も記してきたことから。

 大切なことは何度でも書く(ネタがない訳ではないのだ!汗)

 ネットでいくらでも情報がとれる、この情報過多の時代、「瞑想」と名のつくものが溢れる。

 曰く……

 禅、ヴィパッサナー、マインドフルネス、気功法、クンダリニー瞑想、TM瞑想、仙道の周天法、自律訓練法、大地の瞑想法、エトセトラ、エトセトラ。

 ナニがホンモノでナニがニセモノで、なんて野暮な話はしない。

 まずはご自身で「これ」と思ったものを選んでみるといい。

 そして、頭でっかちにならず「すぐに実践」してみること(独学がヤバそうなのはやめてね(笑))

 さらに、それを「継続」すること。

 こんなことを書けば「なんだ当たり前すぎる話だが」と言われそうだが、後半の「継続する」は瞑想を実践したことのある人ほど「そう簡単にはいかないから」ということは身にしみて知っているはずだ。

 

 瞑想を日常の一部に組み入れて毎日欠かさずに行うことが出来るか?

 何か月という話はしていない。

 もっと言えば何年という話でもない。

 何十年、一生という話だ。

 だから「どんな方法がいいのか?」という問いよりも、まず先にその瞑想は「あなたが」続けられる方法なのか?ということこそ大事だということ。

 

 過去の記事では「三分間」もっと言えば「一分間」でも続けましょうと話しました。

 この時間は「忙しいから」という言い訳が全く通用しない短時間。

 この記事を読んで「やってみた」と言う方に問いたい。

「まだ続けてますか?」

 

ということで、今日はもっとやりやすい「瞑想」を紹介してみたい。

 皆さまがもっとも入りやすい瞑想といえば、やっぱり信仰に基づいたものだと私は思う。

 もちろん仏教徒ゆえの「えこひいき」もあるが。

 だから、皆さまが一番やりやすいのは「祈り」という名の瞑想だ。

 お経を読む。真言を唱える。

「それって瞑想?」

 これは十分瞑想になり得て、しかも継続しやすいというメリットがある。信仰があるここの読者様であれば。

 「それは禅定ではないでしょ?」とか「止観ではないでしょ」なんて、言葉の定義に拘泥するよりは「祈り」と「禅」が別物と考えずに、それらは最後は一つに収束するという考えが私は気に入っています。

 神仏に近づくための所作はとりあえず瞑想と考えていい、が私のスタンス。

 

 先日信者さまからの報告で「勤行中どうしても睡魔に襲われて」という質問を受けた。

 その意味することは、二つ。

 眠気が起こる程疲れていても勤行だけは毎日欠かさないで継続できているということ。

 また継続して「拝む」ということを続けると色々なコンディションでやらざるを得なくなる。その中でも「眠気」は誰もが通る「魔」でもある(睡魔というからね)。

 つまりこの「睡魔」という「魔」が出てきたといことは「ほら超えてごらん」と言う神仏のメッセージであろうということ。そう考えてみる。進歩の証だと。

 

 複雑な方法を求める人は多く見かけるが、それを継続している人となると一気にその人数は減る。

 だからよく瞑想の方法を詳しく教えて欲しいと言われることもあるが、「じゃあ、とりあえず毎日の勤行を継続してみてください」という。

 さすれば「何か」掴むことが必ずある。それができている人はおいそれと「どんな瞑想が効きますか?」なんて質問はしてこない。

 

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仏師におまかせ?!

帰宅すると、玄関に置いてあった。

妻、蓮奈がガチャガチャでとってきたらしい。本人曰く、みいこと同じ白猫が良かったらしいが出たのは黒猫。

目からビームも出ます。

ここは仏師(自称)の私の出番ですね。数日後には白猫にして見せましょうぞ!

 

みいこ「ふ〜ん……」