地道に密教修行

天台寺門宗の祈祷寺院にて密教の修行しております「亮和(りょうな)」と申します。修行、信仰を通じて感じたことなどを綴っていきます。※過去(本格的な修行前)に「地道に観音信仰」というブログを運営しておりました。どうぞ気楽にコメントいただけると嬉しいです!

大観音から信仰の意味を問う

news.yahoo.co.jp

「家どのへん?」

と聞かれれば

「観音さまの近所」

と説明していたほどに仙台在住時代の私はこの記事にある仙台大観音のすぐ近所だった。

 上の記事にあるロケーションは有名で、まるで観音さまが住宅地を歩いているようで、またそれが夜だと余計に「現実離れした」雰囲気を醸し出す。

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 以前にもこのブログで取り上げました。

ryona.hatenadiary.jp

 これだけ大きな(100m)お像だと、仙台市のどこにいても見えてしまうほどなので日本でも最も多くの人の目に入っている観音さまの一つだと思う。

 このお像作成を発願したのは、宗教家ではなく実業家でその意図の中心は「観光」にあったかもしれない(そして地域住民の反対は多くあった)。しかし今となっては世界から仏教徒がここを訪れるというから……この実業家の方がおこなったことはとても広い仏法繁栄に貢献したとんでもない功徳を積んだともいえる。

 そんなことを思うと、最初は「どういう意図があったか」と「結果」はかならずしも一致しないんだな、ということ。逆に高尚な意図ではじめても衆生に対して全くの影響力もないなら「無いのと同じ」ということになってしまう。

 難しいですね。これは自身ではコントロールできることでもないから。

 だからこの仙台観音のことを考えるときにいつも思うことは「最初は間違っていてもまずはアクションを起こすことの重要性」だ。高尚なアイデアがでなくていつもまでも何もアクションを起こさなければ衆生への影響力はゼロだ、という「事実」だ。

 正しい修行が根っこにあるなら、最初その行動がたとえ間違っていても必ず軌道修正という神仏のお導きが入るはず。

 そう信じることができるのが信仰の力だと思ってアクションし続けることよう自分を鼓舞する。

 そこで二の足を踏むという事は、ある意味信仰が足りないのだとも思うから。

 

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仏像配置の話 その2

 昨日の記事で「焔摩天を別の壇に配置した」ことについていくつかコメント頂いたので、もう少し深堀してみようと思います。

 仙台宅の配置では下記の通り准胝仏母→四臂観音→焔摩天が段の高さを替えながら行者に近づいてくるという配置でした。

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 仏部である「准胝仏母」が一番「高く」「遠く」にいて、ついで観音部の「四臂観音」が少し近づき、そして一番行者に近くに「焔摩天」という配置「より人間に近い天部」から「観音部」「仏部」と少しづつ曼荼羅の中央に向かって「離れていく」という構図になっているのは理にかなっていると感じていた。

 しかし私が考慮したのが実際に行を行う私との距離感と仏像の大きさだ。大きなお寺の本堂ならいざ知らず、狭い自宅の壇ではおのずとお像との距離はかなり近くなる。

 一番大きな准胝仏母(1m20cm)が一番遠くにあるのは全く問題ないのだが、一番近い配置になる焔摩天の75cmは自分との距離を考えるとかなり大きい。つまりどの行をやっていても一番のインパクトで視界に入るのが全て焔摩天というのはどうなのだ?と常々感じていた。

 確かに延命の力を発揮する准胝仏母の主要眷属ではるが、本尊を押しのけて前面に出ているのは、「焔摩天供」の本尊で……なら分かるがあくまで准胝仏母の「眷属で」というお立場で動いていただくので、言い方が適当でないかもしれないが「眷属的配置」をすべきでは?と色々悩んだ結果、本尊の准胝仏母とは少し距離を開けるという選択をしました。

 ただ、実は75cmの焔摩天像の他に、後期密教様式の「焔摩天」の金銅佛を焔摩天開眼の際に拝受したものがあるんです。

 この像は10cm位の小さなお像なので四臂観音の前に置くことで准胝仏母→四臂観音→焔摩天という縦の配置を継承しています。

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 また、焔摩天の壇にはタンカの准胝仏母を正面に掛けているので「本尊から離れた」という意識は起こりにくい工夫もしています。このタンカは実は私が信者時代に初めて開眼していただいた准胝仏母のタンカです。信者時代はもっぱらこのタンカを本尊にしていたので個人的にはかなり思い入れのあるタンカでもあります。

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では、今日はここまで。

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仏像配置も修行?

本堂の「尊格配置」について。

すでに長い歴史を持つお寺なら、その仏像の配置を勝手に替えるなんてことはないとだろうと思いますが、これも実際のお話を伺ったことがないので何とも言えません。

ただ自分で道場、教会を開くとなるとその本堂の仏像配置はその行者に委ねられることになるので皆なんらかの「ルール」「想い」があって配置していることと想像しています。

これを「自力で」やろうと思うはやはり最低限の「知識」は必要になると思います。

例えば「○○寺形式(様式)」と言った三尊像の配置などの情報は多く知っておくべきでしょう。

時に「感性」のみを頼って配置する方々もいるようですが、例え感性でそう感じたとしてもその背後にある儀軌であるとか経典でその配置を答え合わせする努力は必要だと思います。

よほどの行者が感得した、という話と、まだまだ行が足りない自分と同列に語ってしまうという「自我肥大」は要注意だと思いっています(自戒の意味を込めて言っています)

ということで、まだまだ博学とはいえそれなりに尊格のことを勉強してきたと言う僅かばかりの自負を引っさげて?「私はこうして尊格の配置を決めた」という話をしてみようと思います。

無論、間違いなどもあるかもしれませんので「それは明らかにおかしいぞ!」というご指摘があればコメント欄で頂けると幸いです。

ではまず我が家の本堂の写真から。

 

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見ての通り中央には本尊の「准胝仏母」です。脇侍は置いていません。しかし儀軌的には蓮華台の下に難陀・跋難陀龍王がいるべきです。今後の課題としてはこの両龍王を自分で作る必要があると思っています。

准胝仏母の真ん前中央に坐すのは「四臂観音」、厳密には「六字大明」です。准胝仏母と四臂観音との関係は過去に詳しく書いているので参考にしてください。

ryona.hatenadiary.jp


四臂観音自体は後期密教形式なので日本的容姿ではありませんが、意味合い的には「聖観音」なので、四臂観音の両脇は馬頭観音如意輪観音という変化観音で固めています。

毎日のお勤めの際には「本尊」→「四臂観音(聖観音)」→「馬頭・如意輪観音」と言う意識の流れはとても感応しやすいので個人的にはとても「拝みやすい」という配置と思っています。今後は「十一面観音」「千手観音」「不空羂索観音」を配置して六観音を全てカバーすることも視野に入れていますが、現状まだそのキャパはありません。

前の住まいではこの観音ファミリーの下に「焔摩天」を配置していました。そしてその焔摩天の配下という意味で焔摩天の下に「荼枳尼天」「歓喜童子(香合仏)」を配置して両尊な焔摩天の眷属として視線と意識を移していくやり方がしっくりきていました。しかしながら新居では観音の前に(稲荷明神系の)「荼枳尼天」「歓喜童子(香合仏)」を置いて焔摩天は別に壇を持ちました。「荼枳尼天」「歓喜童子(香合仏)」は荼枳尼天=稲荷伸としては如意輪観音本地、歓喜童子(香合仏)十一面観音本地という具合に観音とかかわりの深い天部という意味で「意識」を合わせられように現在修行中です。

これだと焔摩天が、親分である准胝仏母との関係性を意識しにくい配置なので、もう少し工夫が必要かもしれません。ちなみに先日記事にした「守護神」として自作した密教系の荼枳尼天はまだ開眼していませんがこの焔摩天の脇侍に配置しています。

ryona.hatenadiary.jp

この焔摩天荼枳尼天だけ独立して配置しているので、ここだけでは少し「死」の色が強いので確かに他の尊と分けて配置する方がいいとも考えています。まあ「死」といってもそれは「生」との裏返しなんでネガティブなものでは決してないのですが。

最後に上述尊格とは別系統?で不動明王は壇の中央に倶利伽羅龍王と共に祀っています。現時点では准胝尊と不動明王を交互に本尊に行しているので、例えば不動尊華水供をするときはより近い場所に配置したお不動さまとより密に行ができるのでこの配置も私にとっては拝みやすい配置と思っています。

経験的には最初は「違和感」を感じてもおいおい「分かってくる」とこともあるかもしれないので「違和感」を感じつつもある一定期間はこれで継続していくつもりでいます。

最終的には儀軌や経典などをさらに研究しつつ独りよがりにならないよう注意ながら、最後は自分の感覚を尊重することも大事する……なんてバランス感覚を養うのも修行かな?なんて考えています。

尊像の配置だけでも「ぼ~っ」と決めずに色々意識的に配置してみるとそれが修行にもなると思うこの頃です。

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母猫のお姿

 先日話題にしました、悲しくも虐待されていた母猫さん。保護主さまに写真掲載の許可を頂いたので、まだ家には来てませんがフライングでお披露目します。
子を護りきった母の顔です。
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素敵なシャムミックスさん。

ですが母とはいえ、一歳故にまだまだ幼さの残る、美猫さんです。
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既に避妊手術は終えているようで、我が家の白猫みいこ同様に耳をカットした「さくら猫」ですね。

ちなみにこの子は石鎚山に守られた「松山市」出身です(=^・^=)

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その土地を知れ

最寄りの駅からの富士山
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東北には素晴らしい霊山はあまたあれど富士山を拝むことは叶わなかったが、やはり関東ですね。

いま、これから仕事ですが、朝一からこうして晴天の空に富士山が拝めてテンションが上がる。こんな素晴らしい環境に感謝ですね。

今月越してきた八王子の新居は、さっき富士山を撮影した京王線の駅から徒歩3分。

だから高尾山口駅まではすこぶるアクセスは良い。

八王子に来て高尾山が日本では富士山に継ぐ人気の山と知った。

意識したわけではないが、高尾山といえは師僧のお寺の本尊の一尊でもある飯縄権現霊場。縁を感じないわけにはいきませんね。

もう少しおちついたら「この土地」を掘りさげながら「この土地」が自分の信仰とどんな縁で繋がっているのか知るのが今から楽しみです。

自分が腰を据える「土地」と言うのは、本人にとって強い「縁」がそこに働いていると感じるべきと思います。

皆さんも「灯台下暗し」とならないよう今一度自分の住む土地の事をよくよく知るという実践をして見て下さい。きっと色んな発見があるに違いありません。

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虐待されていた猫

「虐待されていた子猫を必死に守っていた優しいお母さん猫です」

 「保護猫の里親募集」で見つけたその文章に釘付けになった。

まだ一歳の幼い母猫は草村で我が子を虐待する人間から必死に守り本人も足に怪我を負っていたそうだ。

 保護猫のボランティア団体が、必死の努力でこの親子をレスキューした。
その母猫が子猫とゲージで一緒にいる写真が掲載されていたのだが、その写真に映った子供を守り切った偉大な母親の姿を見て涙が出た。

 「猫への虐待」が横行してる悲しい事実について、猫を飼い始めてから里親募集サイトを見ることで「酷い状況」を知るに至った。

 確かに注意深く里親募集サイト見ると、一人で何十匹もの猫の応募をしている「怪しい」人に割と高頻度で出くわす。

 このような応募の仕方をしているのは「転売目的」か「虐待目的」であるという。

 保護活動をしている団体、募集サイトはこのような悪質な里親詐欺が横行していることは把握しており、故に里親希望者への条件が非常に厳しいものになっています。

 もちろんこれは条件を厳しくすることで上述したような里親詐欺を排除するのが真の目的です。

 この子猫を護っていた母猫は里親募集に出されていたが、このような虐待経験のある成猫は人間に懐くのは非常に難しいとされる。下手をすれば一生懐叶い猫もいると聞く。

 このような猫は里親募集されても簡単には里親は見つからない。猫を飼うなら抱っこが出来てすり寄ってくる愛想のいい猫、出来れば子猫がいいに決まっている。

 だから、私は敢えてこの猫の里親を申し出た。妻はこれ以上のペットが増えることは大反対で大げんかになったが、今回ばかりは私も引かなかった。

 既にうちにいる猫のうち三毛猫の「檸檬」も実は懐きにくい猫で何度もトライアルに失敗した出戻り猫だった。所謂「いきおくれ」の猫だった檸檬。うちに来た当初、まったく慣れずにようやく心は開いたのは1年も過ぎてからという話は以前に記事にしたこともあった。

うちに来た当初の檸檬

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 おそらくこの母猫は檸檬以上だと予想できる。

 今まで辛い思いをしてきた猫だ。この先も「いきおくれ」て保護団体のシェルターに居続けるのは可哀そうだ。なんどもトライアルを失敗してストレスを抱えるのも辛すぎる。

 必死に虐待という困難を潜り抜けた強い母。誰よりも幸せになる権利がこの猫にはある。私はそう思った。

 里親募集は「近県」であることが通常だが、私は募集地域外(飛行機で行かないといけない場所)。しかし里親団体様が私の想いを汲んでくれてOKをいただいた。

 近々、このブログでもその母猫のお姿をお見せすることができると思います。

 かつての記事で「偽善」「自己満足」という話題をしたことがあったが、この件も大いに自己満足であり、偽善かもしれない。

 でも「この子を救いたい」、心からそう思った気持ちをわざわざ「偽善」だとか「自己満足」なんてネガティブな言葉で言いかえる必要は全くない。

 そう思ったから行動した。それだけだ。議論の余地はない。

 

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突然ですが仙台市から八王子市に引っ越しました

 随分とブログが滞ってしましました。

 実はタイトルにあるように仙台から八王子に引っ越しをしておりました。理由は会社の異動ですが、
 予てより私の天台寺門宗の在席支所は師僧が在籍する東京支所でしたので修行者としても東京へ引っ越す事を切望しておりました。
 故に師僧に「異動成就」の月例祈禱をおねがいしておりましたが晴れて成就の相成った訳です。

 さて、私の勤務する会社の「欠点」の一つが異動辞令から転属先へ出社するまでの期限がとても短いこと。だから皆、辞令が出ると大慌てで引越し先の物件を探し、平日は仕事をしながら引っ越しの準備をし、あれよあれよと引越し当日を迎え、週末の土日を使って仙台→八王子の引越しを完了しなければならない。
 仙台の仕事の引き継ぎで仙台⇔八王子を何度も往復しそれでなくとも平日引越しの片付けで時間がないので久々に具合が悪くなる程にクタクタになりました。
……て、ようやくそんな「ドタバタ劇」も今日になってようやく落ち着き、新居の本堂もなんとか形になりました。
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 とまあ、これはブログをサボってしまった言い訳でもあるのですがね(汗)

 これからまたブログのペースは戻していきますのでこれに懲りず今後もご愛読のほどよろしくお願いします🙇

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