海の匂いが、風に混じる街がある。
観光地でもなく、賑やかな港町でもない。潮の気配だけが、暮らしの端々に染み込んでいるような場所。
その街に、小さな社があった。
大きな鳥居も、立派な社殿もない。けれど、その町の人たちは好んでそこへ足を向けた。とくに用事があるわけでもないのに、手を合わせる人がいる。
町の人は敬意と親しみをこめて「オキツネさま」と呼んだ。
この街に、とある四人家族がいた。
夫婦と、まだ小さな長男と長女。この家族は、特にこの「オキツネさま」が好きでよく社へ通った。
よく行くから願うことは、いつも小さかった。
子どもが熱を出しませんように。
明日がつつがなく回りますように。
家族が、家族のままでいられますように。
その小さな願いは、少しずつ、静かに叶っていった。
この家族にとって、この社は、ただの「場所」ではなかった。
ある時、その家族は初めての家族旅行に出かけた。
出発の前、いつものように社へ寄り、旅の無事を祈る。
長男ははしゃいで、両親の手を引いた。
長女は、少し照れながらも、真似をして手を合わせた。
ただ、それだけの、あたたかい時間だった。
けれど、旅の途中で事故が起きた。
車は崖から落ち、海へ転落し、大破し、炎に包まれた。
助かったのは、末っ子の長女だけだった。崖から落ちる衝撃で車外へ投げ出され、一命をとりとめたのだ。
あれほど慕われ、あれほど頼られていた「オキツネさま」は、なぜ、この家族を救いきれなかったのか。
旅の無事を祈った、その旅で。
理由はあった。
この社に祀られていた「オキツネさま」はもともとは、人を食う狐の妖怪だった。
はるか昔、村人を食らい、恐れられ、避けられ、名を出すことさえためらわれるような存在だった。
ところが、その狐は、ある僧侶に調伏されることになる。
その僧侶は、人を害する側にいたものを、ただ叩き潰して終わりにしなかった。
長い時間をかけて、人の暮らしの側へ引き寄せ、折り合いを結び直していった。
妖怪は「一瞬で善」にはなれない。
ただ、少しずつ、人との付き合いを覚え、祀られ、名で呼ばれ、ついには「土地神」として慕われる存在にまでなった。
自分が傷つけてきた「人間の暮らし」を、今度は支える側に回ろうとした。
しかし──
しょせん元は妖怪。神のような神通広大という訳にはいかなかった。
できることには限界があり、守りたいのに、守りきれない瞬間があった。
あの家族旅行の惨事が、まさにそれだった。
その「オキツネさま」は、この家族を守れなかったことを悔いた。そして誓った。
残された幼い少女だけは絶対に護りきろうと。
神として上から覆うのではなく、人として隣に立つ。友として、日々を支える。
狐としての妖力を捨てて、人の姿になり、その人の親友になる。
さて、ここまで読んでもらって「おや?聞いたことある話だぞ?」と思った方はかなりのオタクです(笑)
これはつい先日終わったアニメ「私を喰べたい、ひとでなし」の主人公(助かった少女)八百歳 比名子の親友、社 美胡のエピソードです。
さて、もちろんアニメの紹介をしたかった訳ではなく、ここから信仰の話に繋げていきます。
この話で思い出されるのが民俗学の話です。
よく「神は拝まれなくなると妖怪になる」という方向の説明を聞きます。
これは柳田國男の文脈では、妖怪を「零落した神」と捉える枠組みが紹介されることがあります。
同じくアニメの話で恐縮ですが、夏目友人帳はこの方向の話がよく出てきますね。
けれど、この作品は逆方向です。
つまりもともと妖怪だった存在が、人と関わり、祀られ、役割を持ち、守り手へ回っていく。
このパターンは実際の信仰の場面であるのか?
これは、あると考えていいと思います。
民間信仰では、「祀る」という行為は、単に拝むだけではありません。
怖れの対象の祟りを鎮めるために祀り上げ、役割を与えていく。そういう構造は研究の側でも整理されています。
また今回のアニメのエピソードが「オキツネさま」ということもあり、必然的に荼枳尼天を連想してしまいますね。
耳にタコだと思いますが、荼枳尼天は、インド起源のḌākinīという鬼神が、密教の中で位置づけられ、日本では稲荷信仰と習合して広く信仰されてきた存在です。
つまり、最初から「清らかなだけ」の像ではなく、鬼神的な相や畏れの気配を含んだまま、信仰の中で尊格が立っていく面があります。
このアニメが荼枳尼天を意識したとは考えにくい。
ただ、日本人の多くは、稲荷信仰にはこうしたダークな雰囲気が根底にあることを、本能的に感じているのかもしれませんね。
フィクションの話ではあります。
ただ、才能ある作家さんによる無意識の表出が、私たちが言葉にしきれない信仰の感覚を、輪郭を持って立ち上げてくれることもあるのだろうと思います。
アニメだろうが漫画だろうが、その作者の方は「無意識を言語化できる稀有な才能の持ち主」であるとするなら、バカになんかできないというのが私のスタンスです。
時にそんな作品の中には、敬虔な神話のようなものが、立ち上がっていることだってあるからね。

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当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。
荼枳尼天尊祈願
荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。
商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです
人型加持
病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。
文殊菩薩祈願
「三人寄らば文殊の知恵」というように智慧を象徴する尊格です。学業増進祈祷、無明を断ち切る祈祷などでお力をいただけます。受験用のお守りもお出ししています。
先祖供養・家族の敬愛祈願
光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。祈願を叶えるには先祖供養がしっかりできているのが大前提です。
多羅菩薩(ターラー菩薩)祈願
(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)
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年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。
不動明王祈願
※不動尊華水供を修法致します。
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