准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

ハス科とスイレン科、仏典の言葉はちゃんと違いを知っていた?

 この「ハスとスイレンは似て非なる植物」という話、仏教図像学の世界では地味に重要な論点だったりします。 密教経典や儀軌には、蓮の花を指す言葉として「パドマ(padma)」「プンダリーカ(puṇḍarīka)」「ウトパラ(utpala)」といった複数のサンスクリット語が出てきます。
 日本語訳では十把一絡げに「蓮華」と訳されることが多いのですが、原語のレベルでは、実はこれらが指している植物自体が違う可能性が高いんです。  まず「パドマ」。
 これは真言「オーム・マニ・パドメー・フーム」の「パドメー」の元になっている語で、実際にNelumbo nucifera、つまり分類学上のハス科ハス属を指す語として使われます。ハスは水面から茎がすっと立ち上がり、丸みのある厚手の花びらを咲かせる、あの植物ですね。
 今回の投稿の図解でいうと、右側のハスのイメージそのものです。
 一方「ウトパラ」は「青蓮華」と訳されることが多いのですが、、実は自然界に青い花を咲かせるハス(Nelumbo)は存在しません。
 ハスは赤・ピンク・白しか咲かないんです。でも青い花を咲かせるスイレン(Nymphaea属、特にNymphaea caeruleaやNymphaea nouchaliのような熱帯性の種)は実在します。ということは、「青蓮華=ウトパラ」という言葉が指しているのは、論理的に考えて実はハスではなくスイレンなのではないか、という推測が成り立つわけです。
 実際、古い医学書(アシュタンガフリダヤなど)には「白いスイレン」と「青いウトパラ」が並記されている箇所もあり、当時の人々もこの二つを別の植物として認識していた形跡があります。
 さらに面白いのは、この植物学的な違いが図像表現にも反映されているように見える点です。ハス(パドマ)を持つ尊格の花びらは丸くふっくらとした形で表現されることが多いのに対し、青蓮華(ウトパラ)を持つ尊格の花びらは、細長く先の尖った、笹の葉状・剣状の形で描かれる伝統があります。
 「青蓮華」と言えばこのブログではおなじみの多羅菩薩。
 私も多羅菩薩の仏画を作成するための多くの多羅菩薩のタンカを参考にしましたが、スイレン(特に熱帯性の青花系)の花びらが実際に星形で尖っているという植物学的特徴を意識して描かれたものが多い(そうでもないものも多いが(笑)) 
 投稿の図解にある「ハスはよく水を弾く大きな葉っぱ、スイレンは切れ込みが入っている」という違いも、そのまま図像における花びらの形の描き分けに、間接的にではありますが繋がっている気がしています。
 仏師や絵師が実際にどちらの植物を思い浮かべながら造形していたのか、想像すると楽しいですね。
 

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神様の声は、いつも小さく、優しく届く

神仏からのシグナルを口にする人がいます。

これに関して密教行者であれば神仏との「感応同交」がマストなので否定的なスタンスはあり得ないと思うが、私はかなり慎重にこのテーマにあたります。

今日はそのヒントになる話をしたい。

ちょっと目を閉じてください。
そしてすぐに目を開けてみてください。
さて、最初に目に入ったものは何でしたか?
私の目の前には猫がいたので、私は猫が目に入りました(笑)
たまたま目の前にあるものが最初に目に入る。あたりまえのこと。
私がその猫を見たのは「たまたま猫がそこにいた」というだけ。

「いや、そうではない」と言う意見があります。

例えば音でいえばカクテルパーティー効果。これは、騒がしい場所でも自分の名前や興味のある話題だけは自然と耳に入ってくる現象をいいます。脳が音を均等に処理せず、無意識に自分にとって意味のある情報だけを選び出しているという脳の機能。情報は無限大にあるが、処理できるのはごくわずかだから。なるほど。でも今日はその先の話。

「相手がこちらに気づいてほしくてシグナルを送ったから、あなたがそれに反応して視線を送った」

人ならありそう。誰かに見られてると目が合うとか。しかし、「いやいやそうじゃなくて「物質」例えば「石」「人形」「スマホ」でも同じことが起こる」・・・・・・ここまで話すと「は?」となる人がほとんど。「物質がシグナルを送るわけないだろう?」と。

ユングを継承する尖った心理学者に「アーノルド・ミンデル」がいる。彼はこうした「モノ」から送られるわずかな信号のことを「フラート(ざわつき)」と呼び、それに気づくための訓練法まで提案してみせる。

でも、そもそもなぜモノが、他でもない「私」に向けてシグナルを送るのか?そんなことがありうるのか?

ミンデルの答えは、こうです。

「あなた」と「モノ」は、そもそも別々に切り離された存在ではない。もっと深いところでは、同じ「ひとつの場所を共有」している。

普段、私たちは「自分」と「外の世界」を、はっきり分かれた別のものだと思っています。私がいて、あちらに猫がいて……全部バラバラの存在だと。

でもミンデルは、もっと奥のほうでは、自分の内側で起きていることと、外の世界で起きていることは、実はひとつながりだと考えます。だから、自分の中で何かが動いているとき、それとまったく同時に、外側のモノの方にもそれに呼応するような動きが起きる。どちらかが先でどちらかが後、という話ではなく、同時に起きている、ひとつの出来事の両面のようなもの。

ここで大事なのは、フラートはまだ、ものすごく小さくて弱い段階のシグナルだということ。私とモノが同じ場所で繋がった瞬間、その繋がりは最初、ほんの小さな「ん?」くらいの違和感としてしか現れません。

モノからのシグナルではないが「いやな予感」も、おそらくはこのフラートの一種と言っていいと思います。

だからこそミンデルは、それに気づく訓練をしろと言うのです。

理由はシンプルで、この小さな繋がりは、あなたにとって「気づくべきシグナル」としてそこにあるからです。やっかいなのは「気づけない」と、そのシグナルはだんだん強く、大きくなっていくから。

最初はただの「気のせい」で済んでいたものが、無視され続けると、やがて体調に不調が出たり、人間関係のこじれとして出たり、もっとはっきりした形をとって、こちらに気づかせようとしてくる。ミンデルはそう考えます。

つまりフラートに気づく訓練とは、まだ小さくて優しいうちに、その繋がりをキャッチする練習です。小さいうちに気づけば、それだけ穏やかに、自分の力として受け取れる。大きくなってから気づくと、痛い目にあってようやく気づく、ということになりやすい。

話が見えてきたと思います。あなたはおそらく神仏を信仰しますね?だったら神仏から「フラート」が送られている可能性が高い。あなたはそれを見逃していませんか?

おそらく信仰に一つのコツとして、日々のちょっとした「ん?」を軽く流さず、意識的に立ち止まってみる。これが私の考える「神仏のシグナルを受け取る」という最初のスタート地点。それを通り越して「神様がこう言ってます!!」は「は?何言ってんの?」となるのが私の本音。

修験道的に言えば、山川草木すべてに仏性が宿るという考え方、あるいは「一切法皆是仏法(すべての現象がそのまま仏の教えである)」という視点に立てばこの話とも矛盾はない。

派手な「神託」を求めるより、日々の小さな「ん?」に耳を澄ませること。それこそが、神仏と静かに繋がり続けるための、一番地味で、一番確かな作法なんじゃないかと思っています(^^)

 

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唯識ってなに?「道ならぬ恋」で考えてみたら意外とわかりやすい

 皆さんには「心」はありますよね?

 あたりまえですね(笑)

 もしかすると我々が最も関心があるのが「自分の心」なのかもしれないですね。

 だからその帰結として古代から「心」について様々な思索が世界中で綴られてきた。

 現代では「心理学」がその役目を果たそうとしているのだろうか。

 そしてむろん「仏教」にも「心」を徹底的に説明しようとした人たちがいた。

 彼らはそれを「唯識(ゆいしき)」と呼んでやってみせた。

 その心の分析の緻密さにはただただ圧倒される。

 ただその内容は素人を拒絶するかのように「難解」ゆえに手が出し難い。

 私も薄学者に過ぎないが、仏教教師の端くれとしてその難解なテーマ「一般信者さんに少しでも理解いただくために」という名分のため頑張ってみようと思う。

 皆さんの興味と理解を深めるための方便として、今回は「下世話なテーマ」を題材にしてみる。

 そのテーマとは「道ならぬ恋」。

 犯罪ではないが、倫理的に、特に仏教徒であれば厳しく善悪を問われる話だ。

 唯識を知る取っ掛かりとしてはいい題材かもしれない。

 なぜなら「道ならぬ恋」では避けられない「心の葛藤」の中にこそ、唯識が解き明かそうとした「輪廻の業(ごう)がどうやって現在に現れているか」という、仏教が最も重視する心の仕組みが、鋭く立ち現れるからです。

 さて、そもそも唯識ってどんな教えなのか?

 ざっくりいうと「心のしくみを、めちゃくちゃ細かく分析した心理学」のようなものです。

 西暦4〜5世紀ごろにインドで体系化されました。

 私たちが「現実」だと思っているものは、実は「心というフィルターを通して作り出された世界だ」という主張を唯識はします。

「すべては心(=識)の働きから生まれているんだ」と言っている訳です。

 さて、ここでイメージしましょう。

 まず、心には「深い倉庫」があると想像します。

 割とここが核心部です。

 でも非常にシンプルです。

 私たちの心には、この人生の記憶だけでなく、輪廻の果てしない時間のなかで積み重ねてきた過去のエネルギー――「業(ごう)」の種とも呼ぶべきもの――が、すべて記録されている「深い倉庫」があると考えます。

 これを仏教では「阿頼耶識(あらやしき)」と呼びます。

 おっと重要な用語が出てきましたね。

 きっとこの阿頼耶識という言葉自体は聞いたことがあるのではないでしょうか?

 ただ割とこの言葉の意味を適当に使っている人を見かけますので会話がかみ合わないのは仏教徒あるあるです(笑)閑話休題。

 さて、この倉庫の中身は、いわば「種」のようなもので、ふとした条件が揃うと芽を出します。

 種と芽という例えが分かりやすいです。

 そしてこの吹き出た「芽」こそが「今、自分が感じている感情や思考」として姿を現している様(さま)です。

「芽=感情」であり「芽=思考」であるということ。

 さて、「道ならぬ恋」でこれを考えてみます。

 あなたが(!?)ではなく、「ある人が」道ならぬ人に恋心を抱いて心が揺れ動いてしまったとします。

 唯識的にはそれは「あなたが悪い」と簡単に裁くわけではなく、倉庫の中にすでにあった過去の「種」が、たまたま目の前の相手という水を得て「芽吹いた」……と見る。

 これが唯識のドライでありながらも慈悲深い見方ということです。

 では、その湧き上がってしまった感情を抑え込めば解決するのでしょうか?

 唯識はそんな簡単な解決を語りません。

 唯識は「行動しなければ(口にしなければ)それでセーフ」とは考えません。

 この場合は感情を無理やり押し殺そうとも、一つの経験として、その「抑圧した記録」を倉庫=阿頼耶識へ新しく保存することになります。

 これを仏教用語で「薫習(くんじゅう)」と呼びます。

 香を焚くと服に香りが移るように、一つひとつの行いや思いが倉庫に染み込んでいくという仕組みです。

 つまり、ただ蓋をして我慢しているだけでは、我慢したという「新しい香り」が倉庫に定着して、倉庫の中身が増えるだけです。

 ここでよくある誤解を解いておきます。

 唯識を学ぶと、「今の自分の苦しみはすべて過去の業(種)のせいだ」と、過去に責任を転嫁して納得してしまう人がいます。

 しかし、唯識はそのような「責任逃れ」を許す教えではありません。

過去から持ち越した種が芽吹いたのは事実ですが、その芽がどう育ち、どんな結果を結ぶのか。

 それは、今まさに種が芽吹いた瞬間、あなたがどう反応し、どう向き合うかという「現在の選択」に委ねられているからです。

 過去の種を言い訳にして、芽吹いた欲望をそのまま増幅させていくのか。

 あるいは、その芽吹きを自覚して、それ以上種を広げないように立ち止まるのか。

 唯識が教えるのは、過去の決定論ではなく、今この瞬間から「自分が自分の心の主導権を握る」という覚悟の提示なのです。

 さて、ここでおそらくはこんな邪魔をしてくるであろう「やっかいもの」を紹介しましょう。

 自分を欺く心の働き=末那識(まなしき)です。

 こいつは何者かというと、私たちの心には、自分に都合よく物事を解釈してしまう強力なフィルターが備わっています。

 乱暴に言えばこのフィルターの働きが末那識です。

 例えば「これは運命の恋だからいいんだ」「自分は愛は特別なケースなのだから問題ない」と判断するとき、実はその判断自体が、末那識によって都合よく編集された「自己正当化」の表れである可能性がある、ということ。

 仏教では、これを「自分という枠」への執着だと見抜きます。

「自分は大丈夫」と思う瞬間こそ、実は一番「末那識」を疑ったほうがいい。

 自分の心が、いかに自分を納得させるために世界を歪めて見せているか。

 それを「末那識」に邪魔されず「冷徹に観察すること」こそが、唯識が教える人間観の真骨頂です。

 まとめましょう。

唯識をひとことでまとめると、「感情や思考は、過去の蓄積が作り出した『結果』にすぎない。だから、その善悪を裁く前に、まずは構造を観察せよ」という教えです。

 行動の善悪だけで一喜一憂するのではなく、「なぜ今、自分の心というシステムがこの感情を起動させたのか?」を眺める視点を持つこと。

 今風に言えば「メタ認知」ですね。

 それをしやすい心の持ちようが禅定であることは言うまでもありません。

 そうやって自分を第三者の立場から「客観的に観察すること」ができれば、私たちは輪廻に翻弄されるだけの存在から、少しずつ、心という種を管理する主体へと変わっていける、ということを学んでいくということです。

 これが、唯識を学ぶ一番の実用的な意義ではないかと、私は考えています。

さ て、読者の皆さんの中に、もし今、誰にも言えない葛藤を抱えている方がいるとしたら、その心は過去のどのような「種」を芽吹かせているのでしょうか。

 一度、善悪を脇に置いて、自分の心の奥底を覗いてみてはどうでしょうか。

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対機説法としての占い

 最近出会ったある女性のことで、考えさせられる出来事があった。

 その方はきわめて常識的で、傍から見れば徹底したリアリスト、合理主義者に映る。理路整然と物事を捉え、無駄を嫌う人でもある。ところがそんな彼女が、「手相占い」のことだけは、今も変わらず、熱を帯びたまなざしで信じ続けている姿に面食らう。

 私も「宿曜術」で彼女を占ったことがある。密教僧として、歴史や術の洗練度合いにおいて「宿曜術」に対する自負が私にはあった。しかしその方にとっては、どちらが優れているかという議論そのものが意味を持たなかった。

 彼女にとっては昔から信じてきた手相占いこそが、唯一無二の、かけがえのないものだった。だから私がどれほど言葉を尽くして宿曜術の緻密さを説いても、その手相占いへの信頼が揺らぐことはなかった。

 いったい何が彼女をそこまで駆り立てるのか。合理的な思考と、一つの占いへの強い愛着。一見矛盾するその姿を前に、私が思ったこと。

 例えば仏教の「対機説法」。言わずもがな、これは相手の性質や心境、理解力に応じて、説く教えを柔軟に変えるということ。占いにもまた、これに似た「縁」があるのではないか。宿曜術がどれほど緻密で壮大な歴史を持っていようとも、彼女という「器」にぴったり収まる水は、たまたま最初に出会った手相占いだった——それは、ただそれだけの、純粋な縁の問題なのだ、という考え。

 別の観点では、手相は自分の身体に刻まれた線を読むものだ。それに比して宿曜は、日々変化しながら常に自分自身とともにあるもの。極限のリアリストである彼女にとって、象徴的な「星」という宇宙の法則よりも、今ここにある「自分の手のひら」という最も身近な現実のほうが、感覚的に腑に落ちやすかったのではないか。そう考えると、手相を信じることそのものが、確かに実に彼女らしい、合理的な選択のようにも思えてくる。

 もっと簡単に考えれば、結局理屈を超えた「愛着の聖域」というだけかもしれない。どれほど冷徹な合理主義者であっても、心の中に一つくらいは、論理では測れない大切な場所を持っている。彼女にとってその手相占いは、人生の迷いの中にいた若い頃、最初にそっと心を開いてくれた「鍵」だったという経験があればこそ、そこに強い愛着として固着する。たとえ後から、より精巧で立派なマスターキー——例えば宿曜術のような——を差し出されたとしても、最初に自分を救い、歩むべき道を照らしてくれた鍵への愛着は、そう簡単には色褪せない。

 おそらく私の言葉が彼女の心を動かせなかったのは、彼女が頑ななせいではない。その占いを否定することは、それを信じて懸命に人生を切り拓いてきた、過去の自分自身の歩みを否定することになってしまうからではなかろうか。

 他者から見れば、それは数ある占いの一つに過ぎないかもしれない。しかし彼女にとっては、自分の人生を並走してくれた、かけがえのない「伴走者」ということなんだろう。

 人間が抱える、この一筋縄ではいかない割り切れなさ。論理を超えたところにある、人生への健気な愛着。論破できない彼女の頑なさが、むしろ私にはなんだか、とても人間らしく思えてならなかった

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タイの仏教事情

 日本に伝わっている仏教は、いわゆる「大乗仏教」という種類のものです。
 私たちがよく知る禅宗も、浄土宗も、密教も、すべてこの大乗仏教という大きなグループに属しています。
 最近でこそ、東南アジアの「上座部仏教」という別グループの仏教も日本に入ってくるようになりましたが、歴史的に日本の文化として根付いているのは、あくまで大乗仏教の方です。
 そのため、日本の専門のお坊さんであっても、他国の上座部仏教のリアルな事情はほとんど知らない、ということが普通に起こります。
 恥ずかしながら、私はまさに今、そのことを身をもって痛感している真っ最中です。
その「痛感」のきっかけになったのは、今年の冬から私が始めた、タイの国技である  「ムエタイ」という格闘技でした。
 このムエタイジムでのご縁から、ジムのために試合の勝利を祈る「戦勝祈願」のご祈祷を私が行った話は、以前のブログにも書きました。

ryona.hatenadiary.jp ただ、仏教の歴史に詳しい人が見れば、
「タイのジムなのだから、タイの仏教(上座部仏教)のやり方で祈祷すべきでは?」
というツッコミが飛んできそうなところです。
 しかし、そもそも上座部仏教と大乗仏教の違いなんて、一般的な日本では明確に分かる人の方が圧倒的少数派でしょう。
 ありがたいことにジムの方からも
「里見さんにお任せします」
と言っていただいたこともあり、私のやり方(日本でおなじみの大乗仏教・密教スタイル)で堂々と祈願を行いました。
 ただ、そうはいっても、ご祈祷を引き受けた身として一応の責任というものがあります。
「そもそも、タイの仏教ってどういうものなんだろう?」
という素朴な疑問が湧き、自分なりに詳しく調べてみることにしました。
この記事は、その時に知った事柄を、「タイの仏教も格闘技もよく知らない、一般的な 日本人」に向けて、私なりに分かりやすく噛み砕いてまとめたものです。
 まず、ムエタイの試合の動画や中継を見ていると、試合が始まる前に必ず目にする、不思議で印象的な光景があります。
 激しい戦いを控えた選手たちがリングの上で、独特の民族音楽に合わせて、ゆっくりとした独特のステップを踏みながら、まるでお祈りをするような踊りを踊っているのです。

https://gonkaku.jp/system/images/attachments/000/121/439/medium/image-1689011771.jpg?1689011771

(写真:ゴング格闘技(GONKAKU)より引用)

ゴング格闘技 - GONKAKU あの美しい舞を「ワイクルー」と呼びます。
タイ語の単語に分けると、「ワイ」が敬意を表すお辞儀のことで、「クルー」が師匠や神様、ご先祖様を意味します。
 要するに「先生や大いなる存在への敬意」を表す儀式です。
 実はタイ語の「クルー」という言葉は、サンスクリット語で「師」を意味する「グル」と語源が同じです。
 試合が始まる前に、自分の師匠や神様、先祖に感謝を捧げて守ってもらうための舞なのだと考えると、私たち日本人にもがぜんイメージが湧きやすくなるのではないでしょうか。
 また、戦う選手たちの頭には、テニスラケットのグリップを輪にしたような、不思議な形をした頭飾り「モンコン」が着けられています。
さらに、腕にはお守りの布を巻きつけた「パープラチアット」という紐が巻かれています。

https://muaythai-japan.com/wp-content/uploads/2019/09/pexels-glebkrs-11045334-1024x682.jpg

(写真引用:ムエタイジャパンサイト)

【解説】ムエタイ選手が着用率100%の『3種類のお守り』とは? - ムエタイジャパン | ムエタイの教科書

 そして試合が始まる本当に直前、セコンド(セコンドとは、試合中に選手の身の回りの世話やアドバイスをするセコンドのことです)がこれらを頭から丁寧に外して、リングを去っていきます。
 これだけの特別な道具や儀礼を見るだけでも、殴り合う格闘技の試合の中に、とても濃い「宗教の空気」が溶け込んでいることが分かると思います。
では、その背景にあるタイの「宗教」とは、一体どのようなものなのでしょうか。
 多くの日本人がタイの仏教に抱くイメージは、おそらく
「日本の禅や密教のように複雑な教えになっていない、とてもシンプルで清らかな仏教」
というものではないでしょうか。
 ところが、実際に調べてみると、その実態はイメージとかなり違っていました。
私が通うジムにもタイ人のトレーナーが何人もいますが、みな日常の挨拶のときに、胸の前で綺麗に「合掌」をします。
 それもそのはずで、タイは国民の約9割が仏教を熱心に信仰していて、国内に約3万8000か所ものお寺(現地ではワットと呼びます)を抱える、大仏教国です。
 しかし、彼らのリアルな宗教生活を覗いてみると、ベースにあるのは確かに上座部仏教なのですが、それだけではありませんでした。
 古代インドのバラモン教やヒンドゥー教、さらには仏教が生まれるよりも大昔から現地にある「精霊(自然の神々)への信仰」が幾重にも重なった、非常にカラフルで複雑な世界が広がっていたのです。
 分かりやすく表現するなら、日本でいう「神仏習合」に近い状態をイメージするとぴったりです。
 明治時代より前の昔の日本一昔前までは、神社とお寺が同じ境内に並んで建っていて、神様も仏様もごちゃ混ぜになって人々を支えていました。
 タイの宗教世界は、まさにあの頃の日本のような「何でも混ぜ合わせて大切にする構造」を、いまも現役で、当たり前の日常として生きているのです。
 特に、先ほど触れた精霊信仰のことでいうと、タイには「ピー」と呼ばれる存在への信仰が深く息づいています。
 ピーとは、土地の守り神、家の神様、村の守護霊、ご先祖様の霊、山や川や木に宿る精霊から、時には幽霊や悪霊までをも含む、あらゆる「目に見えない超自然的な存在」の総称です。
 これは、日本の「八百万の神」に非常に近い概念だと言えます。
 仏教がタイに伝わってくるはるか昔から現地にあった土着の信仰が、後からやってきた仏教と見事に混ざり合い、現代でも毎日の生活の中に完全に溶け込んでいます。
 現地の研究者も、
「お互いが複雑に混ざりすぎていて、どれが仏教でどれが精霊信仰か、切り離すことなんて不可能だ」
と語るほどです。
 実際、タイの首都バンコクの街を歩けば、ヒンドゥー教の神様である「ブラフマー」を祀った祠(有名なエラワン祠など)に、大勢のタイ人が熱心に手を合わせている姿を普通に見かけます。
 あの光景こそが、タイの信仰が「純粋な仏教」だけでできているわけではないことを、何よりもよく物語っています。
 さらに、ムエタイの選手たちが首からじゃらじゃらとたくさんぶら下げている、ネックレスのようなものがあります。
 あれが「プラクルアン」です。
 小さな仏像や、昔の偉い高僧の姿をかたどった小さなミニチュアのお守りで、格闘家だけでなく、タイの人なら誰もが持っているほど広く普及しています。
 バンコクの街を行き交う人々を観察すると、驚くほどたくさんの人が、このプラクルアンを洋服の中や外に身につけていることに気づきます。
 日本のお守りと比較してみると、その仕組みは実によく似ています。
 お寺で作られて、お寺から授けられるものであること。
 仏様や神様のパワーが宿っているとされること。
 身につけることで事故や災難から守ってもらえること。
 このあたりの発想は日本とほぼ同じです。
  さらにプラクルアンを手に入れるとき、現地では「買う・売る」という言葉を絶対に使いません。正式には「借りる・貸す」という言葉を使います。
 日本のお守りも、売店で「買う」のではなく、社務所で「授与していただく(お分けいただく)」と言いますが、それと全く同じ感覚です。
 つまり、「仏様の偉大なパワーを、一時的に持ち歩くためにお借りしている」という、おそれ多い敬意の表れなのでしょう。
 そして、この持ち歩くお守り(プラクルアン)よりも、さらに歴史が古く、体そのものに刻み込む護符文化があります。
 それが「サックヤン」と呼ばれる、伝統的な「お守りの刺青」です。
 まだ持ち歩けるお守りを作る技術がなかった大昔、戦場へ赴く兵士たちは、矢や刀が当たらないようにと、お守りの呪文や図形を自分の体に直接彫り込んでいました。
 1200年代(日本の鎌倉時代くらい)まで遡る非常に古い文化で、現在はタイの仏教の一部として扱われていますが、もともとはカンボジアの古い呪術から来ていると言われています。
 日本でいえば、戦国武将が自分の兜に神様仏様の名前を書いてお祈りを込めたり、刀の刃に神聖な文字(梵字)を刻み込んだりした感覚に極めて近いです。
 ムエタイをはじめとする格闘家にこの刺青を入れている人が多いのは、単なる見た目のファッションではなく、実はこの「命がけの戦いに赴くための、正真正銘のお守りの伝統」から来ているのです。
(現代の本心としては、ファッション感覚で入れている選手も多いかもしれませんが)
 こうしてタイ仏教の実態を知れば知るほど、私が身を置く大乗・密教の「加持祈祷」の発想との強烈な類似性を感じずにはいられません。
「護符そのものが霊力を持つ」
「儀礼によって仏の加護を現実世界に引き寄せる」
「戦いに向かう者を宗教的な力で守護する」
 これらはどう見ても、私たちがよく知る密教のロジックそのものです。
 上座部仏教といえば、教科書的には
「個人の修行と悟りを重視し、現世利益的な祈祷は行わない」
というスマートなイメージが先行しがちです。
 しかし、少なくともタイの一般的な信仰実践の現場においては、その固定観念は大きな修正が必要だと痛感しました。
 そもそも、ただ一つの「純粋な一宗教」だけが生活のすべてを支配するという世界観は、私たち日本人にとってはむしろ異質なものです。
私たちは神社で初詣をし、お寺で葬式を営み、七五三で氏神に参ります。
 宗教の重層性を、矛盾なく当たり前のこととして生きてきた民族です。
その目で見つめ直すと、タイの宗教世界は驚くほど自然で、親しみやすいものに映ります。
 お釈迦様への純粋な帰依を核に持ちながら、精霊への畏れも、ヒンドゥーの神々への感謝も、身体に刻んだ護符への信頼も、すべてが同じ地平で美しく折り重なっているのです。
 そこにある信仰が「正統」か「混合」かを厳密に問うことに、さほど意味はないのかもしれません。
 人が何かに向かって掌を合わせるとき、その祈りはいつだって複雑で、重層的で、その土地の長い記憶を引き連れているものだからです。
 ムエタイを通じてタイの人々と尊いご縁ができた一人の僧侶として、選手たちがリングに上がる前に額ずく、あの「ワイクルー」の深い意味を、これからも大切に理解し続けていたいと思います。

 

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摩利支天と大威徳明王

さて皆さまは、下の左側画像の尊格。

なんだと思われますか?

全く見当もつかない方も多いとは思いますし。少し詳しい方なら「摩利支天では?」と思われたのではと思います。

しかし、この投稿された方も「修正」されているように、このご尊格は「摩利支天」ではなく「大威徳明王」です。

https://x.com/yfa258134/status/2068920296925782504?s=20

 ここの読者の方には、どちらも人気のご尊格だと思いますので!?その話を少し深く探ってみます。

 さて、繰り返しになりますが、このお像は「猪の背に片足立ち(丁字立ち)で疾走し、弓矢を構える姿」という特徴を有する、「摩利支天(男尊形)」に見えます。   

 でも、よ~く見ると!!乗っている動物はイノシシではなく「水牛」。

 水牛に乗る有名なお像はいくつかありますが、このお像は「大威徳明王」です。  

 ただ、我々がよく知る通常の大威徳明王といえば、6本足(六足)で水牛の背にまたがって座る「坐像」です。

 しかし、なぜか、この欄間彫刻はまるで摩利支天のようなアグレッシブな片足立ちステップを踏んでいる。

 しらべるとほぼこの姿をした「仏画」を見つけることができます。

 三重県の津観音(大宝院)が所蔵する重要文化財『絹本著色 大威徳明王像(室町時代)』です。

online.bunka.go.jp

 この絵画には、まさに欄間彫刻と全く同じ「疾駆する水牛の背の法輪(金剛輪)の上に立ち、右足を激しく跳ね上げて弓矢を引く大威徳明王」の姿が描かれています。  

 図像を細かく観察すると、水牛(法輪)を踏みつけている軸足は、摩利支天のように1本脚ではなく、明確に「左側の足3本(左3足)」がすべて描かれ、がっしりと踏みしめています。つまり、6本足のルールを崩さず、左3足で立ち、右3足で虚空を蹴り上げるという異形でしっかりと表現されてるといいうこと。  

 では、この姿の本来の根拠はどこか?を探ってみる。

 すると平安〜鎌倉時代の代表的な密教図像集である『阿娑縛抄(あさばしょう)』や、北宋訳の経典(八字文殊儀軌など)の記述を紐解くと、怨敵調伏・国家防衛の最高秘法とされる「転法輪法(てんぼうりんほう)」の本尊として、まさにこの「水牛の背の法輪上に左の3足で立ち、二手で弓矢を引く」姿が正統なバリエーションとして明確に規定されていました。

 さらに面白いのは、仏教図像学における摩利支天との「つながり」です。

 学習院大学の美術史研究(西岡作太郎氏の論文「摩利支天をめぐる言説と美術」)では以下のように指摘されています。  

 「図像集にみる三面八臂の摩利支天像は、動物の背の半月上に左足で立ち、持物として弓・矢・鉾を持つ点で、水牛の背の法輪上に左足で立つ転法輪法の大威徳明王像と共通する。」  

 つまり、密教の内部において「摩利支天」と「転法輪法の大威徳明王」は、最強の戦闘モード(調伏・勝利)の機能を持たせるために、あえて図像の構造(弓矢・片足立ちの構え)を意図的にシンクロさせていたという、明確な歴史的背景があったわけです。

 お寺の欄間という限られた横長のスペースに、あえてポピュラーな坐像ではなく、この『阿娑縛抄』由来の「転法輪法」の激しい立像スタイルを落とし込み、3本の足が重なる凄まじい躍動感を木彫りで表現しようとした江戸時代の仏師のこだわりと技術。

職人のこだわり恐るべし!!ですね。

 

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祈願の、恐ろしい一面

 あるプロジェクトに関わるチームの方々が、揃って当院にお越しになりました。大きな商談を前にしたご祈願でした。

 皆の前で修法をするうちに「どうもおかしいな」という違和感があった。なぜそう感じたのか、私の所作を通じて「いつも通りではない」を告げる何かがあった。

 結果は——こう言ってしまっては祈祷僧としては恥ずかしい限りだが——その商談は上手くまとまらなかった。施主の方々には「申し訳ない」という気持ちがありつつも、どこかこの結果が分かっていた自分もいた。

 自分なりの責任として、この方々に宗教的な視点から僭越ながら申し上げました。「今回の験は、軌道修正を促すものとしてお受け取りください。今の方向性を見直す機会と捉えていただければ」と。

しかし——

 それから間もなく起きたことを目にした時、私はその読みの浅さを恥じました。

 商談が失敗したどころではなかった。プロジェクト自体が崩れ、関わっていた方々の状況が根底からひっくり返っていきました。まるで祈願という行為が、そのプロジェクトの内側に潜んでいた「負」を白日のもとに引きずり出し、むしろ加速させてしまったかのように。

 仏の前では、隠れているものは隠れていられない。

 験とは、祈った者に都合よく働くものではありません。時に、こちらの想定をはるかに超えた形で、何かを動かしていく。祈願の恐ろしい一面を、強烈に目の当たりにした出来事でした。

※プライベートに関わることなので、話の外枠を変えてお伝えしています。

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