准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

質問ありました。お施餓鬼、Q&A

 私がよくやるミスに「説明が足りない」ということがある。

説くん「これは当然わかってるだろうから」といって話を端折るパターン。

 前回のブログ記事でもやってしまいました。

 お施餓鬼についてもう少し詳しい説明が必要だったようです。

 確かにお施餓鬼の説明はしたにはしましたが、「お盆と何が違うの?」「回向(えこう)って何?」という基本的な説明がいろいろ不足していたようでいろいろ質問を受けました。

 ですから、いただいた質問をQ&A形式でお答えしようと思います。

では、スタート。

Q)お盆とお施餓鬼は同じものですか?

A)お盆とお施餓鬼は、どちらも故人や霊を供養する行事ですが、本来は別です。

 お盆は、インドの仏教経典「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」に由来します。目連(もくれん)というお弟子さんが、亡くなったお母さんが餓鬼道で苦しんでいるのを知り、釈迦に相談し、釈迦の教えに従い、多くの僧侶に供物を捧げると、お母さんは救われた、というエピソードです。この話が特に日本で先祖供養の行事として広まります。

 これに対しお施餓鬼は?仏教では六道(りくどう)という六つの世界があります。

曰く……

天道:神々の世界
人道:人間の世界
修羅道:戦いの世界
畜生道:動物の世界
餓鬼道:飢えた霊の世界
地獄道:苦しみの世界
 このうち、餓鬼道は、飢えと渇きに苦しむ霊たちの世界です。餓鬼は、過去の悪い行いの結果、この世界に堕ちた霊です。餓鬼は食べ物や飲み物を得ることができないことで苦しむ存在です。よってこの霊たちをに食べ物や飲み物を捧げ、読経をして、餓鬼たちが少しでも苦しみから解放されるように祈る供養が「施餓鬼」です。

お盆も「餓鬼道」という共通ワードがありますから、習合する素地はあったように思います。

Q)お盆とお施餓鬼が同じ夏の季節に行われるのはなぜですか?

上述したお盆の典拠となる盂蘭盆経では、目連が母親を救うために供養を行う話は出てきますが、その時期については特に夏とは書かれていません。施餓鬼についても、餓鬼道に落ちた霊を供養することが書かれていますが、時期の記述は特にありません。じゃあ、なんで夏?については、いくつかの「説」があります。

 ①日本では夏は農作物が豊富で、供物を用意しやすい時期であったこと。②天気が安定していて、外での行事がしやすい季節であったこと。③日本に仏教が伝わったときに、日本の夏祭りや先祖供養の風習と習合しやすかったこと。

 お盆や施餓鬼を先祖供養として夏に行うのは世界的に日本特有の行事ということから鑑みても上述のような理由は説得力があります。

Q)回向ってなんですか?

 自分が施した供養や善行の成果を亡くなった人や他の存在に捧げて、その幸せや成仏を願うことが「回向」です。つまりお盆に先祖供養を行う際に「この功徳を先祖に捧げます」と祈るのが「回向」。例えば今回の施餓鬼では、飢えた霊に供物を捧げて供養することで功徳を積み、その功徳をご先祖さまや三界万霊に振り向ける(回向)訳です。

Q)回向の先は亡くなった方だけですか?

 お施餓鬼の回向は主に亡くなった人に対して行われます。ただ前回の記事で説明した三界万霊には「生きとし生けるものすべて」も含みますから亡くなった方限定という原則はないです。厳密には生きている方への回向ということも存在しますが、ただ当院では「お施餓鬼の回向」は基本ご先祖、故人、三界万霊とさせていただいています。

※お施餓鬼申し込みはこちらから

 お施餓鬼申し込みフォーム

 

祈願のお申込みについて

 本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。

本尊准胝仏母祈願(¥5,000~)

当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。

 荼枳尼天尊祈願

荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。

商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです

人型加持(月例¥3,000) 

 病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。

先祖供養・家族の敬愛祈願

光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。

多羅菩薩(ターラー菩薩)祈願

(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)

星祈祷(普通祈祷¥3,000)

年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。

不動明王祈願 ¥7,000

不動尊華水供を修法致します。

e-mail

JYUNTEIIN@gmail.com

 

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お施餓鬼(施餓鬼万霊供養)受付開始します(先祖供養解説あり)

 当道場「准胝院」にて施餓鬼万霊供養受付開始します。

 以下リンクよりお申込みください。

 お施餓鬼申し込みフォーム

 供養はご先祖さま、亡き親族、水子さん、ペット、その他有縁の方等がご供養対象となります。

 言わずもがな、お施餓鬼は困った境遇の餓鬼たちに救いの手を述べるものでいわばあの世の福祉です。

 誰かのためにお施餓鬼の塔婆を立てればその福徳はその方に回向される。

 「回向」とは、その福徳によって、ご先祖さま、極楽途上の故人を助けること。

 ご先祖さま、故人にとってこれが何よりの助けとなります。

 ご先祖様をお助けすることが、ひいてはご自身に返ってくるという話も過去にしました。裏を返すと、それすらなければ自身の祈願は遠のくばかりです。

ryona.hatenadiary.jp

 

 また、三界万霊の供養というものがあります。

 三界とは色界・無色界・欲界のこと。

 ですから三界万霊供養とは、世界のすべての霊を供養することになります。

 これは自分の名前で直に供養すれば自分の福積みになります。

 月例の祈願をされている方には必ずやっていただく供養です。上述したようにこれすらせずにご自身の祈願だけ叶えようとは筋が通らないので。

 信仰の在り方としては、まずは三界万霊の供養と当院では考えます。

 

 さて、当院での施餓鬼万霊供養は光明真言による供養法を行います。

 光明真言は古来より念仏と並び親しまれ、亡者の救済にはとりわけありがたい真言とされこの真言はいかなる人のいかなる業をも滅する功徳があると言います。

 ゆえに密教ではこれを珍重し光明真言供をして施餓鬼を併修することが古来よく行われます。

 ご本尊は大日如来ですが、当院では四面大日如来(一切智大日如来)を本尊として修法致します。一見チベット密教(後期密教)風の容姿ですが、日本の大日如来と同じく中期密教のお姿です。参考ページ→当院の大日如来

 施主様へは、回向証として、住職オリジナルの大日如来の御影をご送付致します(写真は去年のもの)。

以下リンクよりお申込みください。

 お施餓鬼申し込みフォーム

 

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自己肯定感を仏教的に向きわば

「自己肯定感」という言葉をよく見かけるようになりました。

この言葉は、『読んで字のごとく、自分が自分自身を肯定的に評価する感情、態度のこと』です。

 平たく言えば「俺スゲー」と、どれぐらい思えているか、ということです。

 自己肯定感が高い(俺スゲーの)人は前向きに困難に対処しやすいが、低い人は自己否定的になりやすく、うつや不安のリスクも高いと説明されます。

 教育や自己啓発というジャンルでも、自己肯定感は重要なテーマとして取り上げられ、自己肯定感を高めることで目標に向かって前向きに努力し、成長を実感し、幸福度が上がるとしています。

 また、この分野の心理学研究もずいぶん進んでいるようで、試しに昨日も紹介したChatGPTさんに聞くと、いろんな研究があると教えてくれました。最後に(参考)として乗せた研究の原典(一次資料)を参考にしてみてください。

  さて、上述したように教育や自己啓発、時には心理学では「自己肯定感が低いこと」が問題視され、それを改善するために「自己肯定感を高めよう」とすること目指す様々な方法をよく見かけます。

 しかしながら、自己肯定感に関して仏教的な解決法はちょっと違うかな?と私的には考えています。

 つまり、仏教であれば、自分を評価するかどうかはただその人の頭の中で勝手に作り出したもの(マーヤー:幻想)だから捨ておけ、という解釈がど真ん中に来るだろうな、と私は思っています。

 そのことを意識して再度「自己肯定感」の文字をよく見てみると、この言葉が「感」の文字で終わっていることがポイントだと思うのです。どうしてかわかりますか?

 つまり、この言葉はその人の「能力が」優れているとか劣っていることなんて、まってく問題にしていなくて、本人が「そう感じている」というだけの超個人的な主観の話で、その「感覚」が正しいなんて全く頓着していません。いや、おそらく自分のことを100%客観視できる人なんているわけないので、多くは間違っていると考えて問題ないと思います。ただ、肯定感が高い人はあえて「その間違い」を否定してあげる必要はないと思いますが、肯定感が低いことはいろいろと生きにくくなってくるので、何らかの対策は必要になります。

 さて、自己肯定感が低い、つまりその人がやってしまう自己否定という間違いをマーヤーとして「捨ておけ」と言っても簡単にできるものではありません。「頭でわかっていても」というやつです。

 ということで、私がいつも提唱している「短時間瞑想」でなんとかこれを克服するためのヒントを記していきたいと思います。

 自己肯定感で間違いをでっちあげる張本人は「感情」「思考」です。仏教的には「こいつら無視していいから」なんですが、やっぱり手ごわい相手です。ネガティブな感情、ネガティブな思考は簡単に自己肯定感を揺さぶってきます。だからなんとかこいつらを対処しないといけません。

 実はこれはとてもシンプルなやり方があります。『感情や思考を客観的に観察することです。以上。』……言ってしまえば簡単です。

 もう少し補足していきます。言い方を変えれば観察する自分を登場させるという意味になります。客観的に観察する自分のことを「メタ認知」なんて言い方を心理学ではいいますが、せっかくですからこの言葉も覚えておきましょう。

 瞑想という場面でこれを行おうとするならば、まずは自分の感情や思考に「気づく」ことが第一ステップになります。今、不安を感じているなら「あ、不安感じてる自分がいるぞ」と客観的に「気づく」こと。そしてこれを新たな感情が発生するたびにモグラたたき的に「気づき」まくること。禅や瞑想では本来これらの感情、思考は「雑念」ととらえて、追い払うという解説をされることもありますが、それを短時間の瞑想で達成するのは簡単ではないので「気づく」ことで、ここは良しとします。

 次のステップとして、その感情もしくは思考は「気づいたら」その瞬間に「マーヤーだから捨ておけ」と自分に言い聞かせて、後は無視します。ちなみに有名な諸々の瞑想によっては再評価してリフレームして云々と難しい段階に入っていきますが、独学でやるならそこまではなかなか厳しいので「捨ておけ!」と言い聞かせて無視するレベルが私の経験的には一番やりやすく継続もしやすいと思います。

 さて、重要なことを改めて書きますが、この「瞑想」は一定の時間を確保して静かなところでやらねばならないものではありません。日常の生活でちょっとした隙間時間に1分でもやるのが私が言う「瞑想」です。多くの読者様はもうご存知かもしれませんが。

 短時間に、しかもやり方も端折ってポイントだけやりやすくしているので誰でも実践可能だと思います。

 しかし、どんな瞑想でも一番の障壁は「継続できない」ことです。
 だからせっかく短時間で平易にしているのですから、「継続」という最大の障壁をクリアして日常に瞑想を取り入れてください。

 とても簡単な瞑想ですが、仏教の本質に迫れる修行になりうると私は思っています。

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(参考)

自己肯定感に関する心理学的研究の論文紹介

1. 精神的健康への影響

  • 研究例:Baumeister et al. (2003)のメタ分析

    • 内容:自己肯定感と精神的健康の関係を調査し、自己肯定感が高い人は低い人に比べてうつ病や不安障害の発症率が低いことを示した。

    • 引用:Baumeister, R. F., Campbell, J. D., Krueger, J. I., & Vohs, K. D. (2003). Does high self-esteem cause better performance, interpersonal success, happiness, or healthier lifestyles?. Psychological Science in the Public Interest, 4(1), 1-44.

2. 人間関係の質

  • 研究例:Murray et al. (2000)の研究

    • 内容:自己肯定感が高いパートナーは関係満足度が高く、他者に対しても肯定的な評価を持ちやすいことを示した。

    • 引用:Murray, S. L., Holmes, J. G., & Griffin, D. W. (2000). Self-esteem and the quest for felt security: How perceived regard regulates attachment processes. Journal of Personality and Social Psychology, 78(3), 478-498.

3. 学業や職業パフォーマンス

  • 研究例:Judge et al. (2001)のメタ分析

    • 内容:自己肯定感と職業パフォーマンスの関係を調査し、自己肯定感が高い従業員は仕事の満足度や生産性が高いことを示した。

    • 引用:Judge, T. A., & Bono, J. E. (2001). Relationship of core self-evaluations traits—self-esteem, generalized self-efficacy, locus of control, and emotional stability—with job satisfaction and job performance: A meta-analysis. Journal of Applied Psychology, 86(1), 80-92.

4. 身体的健康

  • 研究例:Taylor et al. (2003)の研究

    • 内容:自己肯定感が高い人は健康的な行動を取る傾向があり、身体的健康状態が良好であることを示した。

    • 引用:Taylor, S. E., Lerner, J. S., Sherman, D. K., Sage, R. M., & McDowell, N. K. (2003). Are self-enhancing cognitions associated with healthy or unhealthy biological profiles?. Journal of Personality and Social Psychology, 85(4), 605-615.

5. レジリエンス(回復力)

  • 研究例:Kamen & Seligman (1987)の研究

    • 内容:自己肯定感が高い人は困難や逆境に対して強いレジリエンスを持ち、失敗から迅速に回復することを示した。

    • 引用:Kamen, D. E., & Seligman, M. E. P. (1987). Explanatory style and health. In C. R. Snyder & C. E. Ford (Eds.), Coping with Negative Life Events: Clinical and Social Psychological Perspectives (pp. 173-192). Springer.

宗論を挑む vs ChatGPT4o

 得意不得意がある現在のAI技術。

 少し前の記事で『仏教はまだ「不得意」のジャンルかな?』と考察した。

 前にも話題にしましたが、最近の調べ者はインターネットの「検索」ではなくもっぱらChatGPTを使っています。つまり全体的にはかなり優秀ということです。

 また前回AIにとってまだまだ苦手と書いた仏教にしても一般的な学術レベルの話であれば、仏教の学術的なテキストをほとんど網羅しているであろうChatGPTは、マニアックな話でなければ相当レベルの高い仏教理論は教えてくれる気がします。特に分厚くて難解な仏教書がなかなか読めない人は(そしてそれは多くの人がそうだと思います)活用する意味はあるかもしません。

と、いうことで!!

 今回の企画は(youtube風に)

『ChatGPTの実力やいかに?を分かってもらうために私がChatGPTと「宗論」(というほどではないが)をしてみた!!』

を試みてみました。

 今日のお題は「仏教の三身について。

 私も知らないふりしていろいろ質問を投げかけます。

ChatGPTはどんな答えをするのか?

以下その様子をお楽しみください。(青字が私の質問

 

応身は悟っていますか?

ChatGPT

 応身(おうしん)は、仏教における三身(さんしん)の概念の一つで、特定の状況に応じて現れる仏陀の体を指します。応身は、仏陀が特定の時代や場所に生まれ、教えを説くために現れた姿です。以下に、三身の詳細と応身の役割を説明します。

三身の仏(さんしんのぶつ)

  1. 法身(ほっしん):
    • 仏陀の真理そのものの体を指します。これは、永遠不滅の普遍的な真理であり、時間や空間を超越した存在です。
  2. 報身(ほうしん):
    • 仏陀が修行の結果として得た体を指します。これは、仏陀が悟りを開いた結果として得る栄光の体であり、仏果を象徴します。
  3. 応身(おうしん):

応身の役割

応身は、仏陀が人間の形を取って現れ、衆生を救うために教えを説くための姿です。応身は以下のような役割を果たします。

  1. 教えを説く:
    • 応身は、特定の時代や場所で教えを説き、人々に悟りへの道を示します。釈迦牟尼仏がこの応身の例として知られています。
  2. 衆生の救済:
    • 応身は、特定の状況や衆生のニーズに応じて現れ、苦しみから解放するための指導を行います。これは、仏陀の慈悲と智慧を現実の形で表現するものです。

応身と悟りの関係

応身は、仏陀が悟りを開いた後の姿を指します。つまり、応身は悟りを得た仏陀が、衆生を救うために人間の形を取って現れた存在です。したがって、応身が現れるのは悟りを開いた後であり、悟る前ではありません。

 

報身は普遍的なものですか?

ChatGPT

 報身(ほうしん)は、三身の一つで、仏陀が修行の結果として得た栄光の体を指します。報身は、法身(ほっしん)の真理を体現し、応身(おうしん)の形で現れることができます。報身の性質とその役割について詳しく説明します。

報身(ほうしん)の性質

  1. 栄光の体:
    • 報身は、仏陀が悟りを開いた結果として得る栄光の体です。この体は、仏陀智慧と慈悲が完全に具現化された姿であり、超越的で輝かしい存在です。
  2. 普遍的な真理の体現:
    • 報身は、法身の真理を具現化した存在であり、仏陀の究極の悟りと完全な智慧を象徴します。この意味で、報身は普遍的なものといえます。
  3. 現れ方:
    • 報身は、仏陀の教えを広めるために特定の形で現れることがあり、これは応身として現れる場合があります。つまり、報身は法身の真理を体現しながらも、具体的な形を取って現れることができます。

報身と応身の関係

  1. 報身としての仏陀:
    • 報身は、仏陀が悟りを開いた後に得る栄光の体であり、これは特定の個人や時代に限定されない普遍的な存在です。報身は、仏陀の完全な悟りと智慧を象徴します。
  2. 応身としての現れ:
    • 報身は、応身として特定の形を取って現れることがあります。応身は、衆生を救うために特定の時代や場所で現れる仏陀の姿です。歴史的には釈迦牟尼仏がこの応身の例として知られています。

 

仏陀は人間の時に悟ったのではなく、報身が応身化して出現したという意味ですか?

ChatGPT

 仏陀に関する「報身」と「応身」の概念は、大乗仏教の特定の経典や解釈によるものです。法華経やその他の大乗仏教の文献では、仏陀の悟りや存在について複雑な哲学的説明がされています。ここでの説明は、その文脈に沿ったものです。

法華経大乗仏教の視点では、報身は仏陀が完全な悟りを体現する存在であり、応身はその報身が特定の時代や場所で衆生を救うために現れた形です。この視点では、以下のように説明されます。

  1. 歴史的仏陀釈迦牟尼仏:
    • 釈迦牟尼仏は、インドで生まれた歴史的な人物であり、悟りを開いた存在として知られています。大乗仏教では、この釈迦牟尼仏が応身として現れたとされます。
    • つまり、釈迦牟尼仏は、報身の仏陀が特定の時代と場所において人間の形を取って現れた姿と解釈されます。
  2. 悟りの体現:
    • 報身としての仏陀は、永遠の真理と智慧を象徴する存在であり、その報身が応身として現れたとき、歴史的な仏陀としての姿を取ります。この視点では、仏陀の悟りはそのまま報身の体現であり、応身として現れたときにその悟りが具体化されたと理解されます。

大乗仏教の視点からの解釈

大乗仏教では、仏陀の存在を多面的に捉え、以下のような解釈をします。

  1. 永遠の仏陀:
    • 仏陀は、ただの歴史的な人物ではなく、永遠に存在する普遍的な真理そのものであるとされます。法華経では、仏陀が遥か昔から存在し続けていることを強調します。
  2. 方便と真実の教え:
    • 仏陀衆生の能力や状況に応じて様々な形で現れ、教えを説きます。これを方便(仮の教え)とし、最終的な真実の教えが法華経にあると説きます。

 

法身が人間を導くためにまず普遍的な存在としての報身を作り、報身が応身となることで、人間界にチューニングされたという解釈であっていますか?

ChatGPT

 あなたの解釈は、大乗仏教三身の概念に基づいた理解として非常に近いです。以下に、法身、報身、応身の関係を再度整理して説明します。

三身の仏の関係

  1. 法身(ほっしん):
    • 法身は、仏陀の真理そのものを体現する存在です。これは永遠で普遍的な真理であり、時間や空間を超越した存在です。
  2. 報身(ほうしん):
    • 報身は、法身の真理を具体化した存在であり、仏陀が修行の結果として得た栄光の体です。報身は、完全な悟りと智慧の象徴です。
    • 報身は普遍的な存在であり、具体的な形を持つことなく、仏陀の究極の智慧と慈悲を表します。
  3. 応身(おうしん):
    • 応身は、仏陀が特定の時代や場所において人間の形を取って現れ、教えを説くための姿です。これは、報身が特定の状況に応じて現れた形です。
    • 応身は、釈迦牟尼仏のように歴史的な人物として現れ、人々に仏教の教えを直接伝える役割を果たします。

あなたの解釈の確認

あなたの解釈では、次のように説明されています:

  1. 法身の真理:
    • 法身は、仏陀の真理そのものとして存在し、永遠で普遍的な存在です。
  2. 報身の形成:
    • 法身が、人間に教えを伝えるために、まず報身として具体化されます。報身は、仏陀の究極の悟りと智慧を象徴する存在です。
  3. 応身の現れ:
    • 報身が、特定の時代や場所において応身として現れ、人間界にチューニングされた形で仏教の教えを伝えるための姿になります。釈迦牟尼仏はその具体例です。

この解釈は、大乗仏教三身の概念に非常に合致しています。法身がまず普遍的な存在として報身を形成し、そこから応身として人間界に現れることで、仏教の教えが具体的かつ理解しやすい形で伝えられるという流れは、大乗仏教の教義を反映しています。

では報身の仏陀はいつ修行して報身になったのですか?

ChatGPT

 報身の仏陀が「いつ修行して報身になったのか」という問いは、大乗仏教における時間や歴史の概念に基づいて答えるのが難しいところです。大乗仏教の教義では、報身の仏陀は時間や空間を超越した存在であり、永遠に存在する真理そのものを体現しています。したがって、報身の仏陀に関する「いつ修行したか」という問いは、一般的な時間の枠組みを超えた概念で捉える必要があります。

報身の仏陀に関する大乗仏教の視点

  1. 永遠の存在:
    • 報身の仏陀は、法身の真理を体現する存在であり、時間や歴史に依存しない普遍的で永遠の存在です。したがって、報身の仏陀が修行した時期を特定の歴史的な時間に限定することは、大乗仏教の教義においては意味を持ちません。
  2. 超越的な悟り:
    • 大乗仏教の文献では、仏陀の悟りは無限の過去から続いているとされ、無限の未来にも続くとされています。このため、報身の仏陀は永遠に存在し、常に悟りの状態にあると考えられます。
  3. 方便の教え:
    • 大乗仏教では、仏陀衆生を救うために様々な方便(仮の教え)を用いて現れ、教えを説くとされています。報身の仏陀は、必要に応じて応身として現れ、特定の歴史的な時代や場所で教えを説くことができます。これは仏陀の慈悲と智慧の現れであり、報身の仏陀が特定の修行を経たというよりも、永遠の悟りを体現する存在が衆生に応じて現れるという理解です。

大乗仏教の文献の解釈

  1. 法華経:
    • 法華経では、仏陀の悟りは無限の過去から続いているとされ、仏陀が無数の過去世で修行を積み重ねてきたことが強調されます。これは、報身の仏陀が特定の時間に修行したわけではなく、永遠の存在として常に悟りの状態にあることを示しています。
  2. 大乗仏教の他の経典:
    • 大乗仏教の他の経典でも、仏陀の悟りが時間や空間を超えたものであることが述べられています。仏陀は無限の過去から衆生を救うために現れ続けているとされ、その存在は永遠であるとされています。

永遠だとしても報身が「悟った姿」ということであれば、「悟る前」の状態が存在するわけで、永遠として時間が存在しないとすると、それらが同時に存在することになりますが?

ChatGPT

あなたの指摘は非常に興味深いものです。大乗仏教の教義において、報身(ほうしん)とその「悟り」に関する理解は、一般的な時間や因果の概念を超えたものであるため、私たちの通常の時間の枠組みでは捉えにくい部分があります。

仏教における時間と存在

  1. 非二元的な時間観:
    • 大乗仏教の一部の教義では、時間は線形で一方向に進むものではなく、すべての時間が同時に存在するという非二元的な観点が強調されます。これにより、過去・現在・未来の区別が相対化されます。
  2. 永遠の仏陀:
    • 報身の仏陀は永遠の存在であり、その悟りもまた永遠です。このため、「悟る前」と「悟った後」の区別が時間の中で直線的に並んでいるわけではありません。

報身の仏陀と悟りの概念

  1. 報身の仏陀の超越性:
    • 報身の仏陀は、法身の真理を具体化した存在であり、時間や空間を超越した存在です。このため、「悟る前」と「悟った後」という二元的な時間の概念は、報身の仏陀には適用されません。
  2. 永遠の悟り:
    • 大乗仏教の教義では、仏陀の悟りは永遠に存在するものであり、仏陀が特定の時期に悟りを開いたというよりも、常に悟りの状態にあると理解されます。これは、報身の仏陀が無限の過去から無限の未来にわたって悟りの状態にあることを示しています。

同時存在のパラドックス

  1. 非線形の時間観:
    • 大乗仏教の視点では、過去・現在・未来は相互に依存しており、線形の時間ではなく、非線形の時間観が強調されます。これにより、「悟る前」と「悟った後」が同時に存在するというパラドックスが解消されます。
  2. 仏陀の超越的存在:
    • 仏陀の存在は、時間や空間の制約を超えたものであり、私たちの通常の理解を超えています。このため、報身の仏陀は常に悟りの状態にあり、その存在自体が永遠であるとされます。

まとめ

 報身の仏陀は、法身の真理を具体化した永遠の存在であり、時間や空間の制約を超越しています。このため、「悟る前」と「悟った後」という線形の時間の概念は、報身の仏陀には適用されません。大乗仏教では、仏陀の悟りは永遠であり、常に悟りの状態にあると理解されます。したがって、報身の仏陀が「悟る前」と「悟った後」が同時に存在するというパラドックスは、非線形の時間観や仏陀の超越的存在により解消されます。

よく分かりました。有意義な議論をありがとう。

ChatGPT

 どういたしまして!こちらこそ、有意義な議論ができて嬉しいです。仏教の教えや哲学的な概念についての深い理解を追求する姿勢に感銘を受けました。また何か疑問や興味があるトピックがあれば、いつでもお知らせください。お手伝いできることがあれば幸いです。

 

……さてさて、どうでした?ちょっとテーマが難しかったですね。

でも個人的にはなかなか楽しい議論でした。

また機会があれば別のテーマでの議論を紹介していこうと思います。

(シリーズ化するかも!?)

祈願のお申込みについて

 本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。

本尊准胝仏母祈願(¥5,000~)

当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。

 荼枳尼天尊祈願

荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。

商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです

人型加持(月例¥3,000) 

 病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。

先祖供養・家族の敬愛祈願

光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。

多羅菩薩(ターラー菩薩)祈願

(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)

星祈祷(普通祈祷¥3,000)

年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。

不動明王祈願 ¥7,000

不動尊華水供を修法致します。

e-mail

JYUNTEIIN@gmail.com

 

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「拝みやすい、拝みにくい」ってなんのこっちゃ?

「そのお像(時にはお札)拝みやすいですか?」なんて会話が行者同士、時には信者様でも話されることがある。

 

お像やお札に「拝みやすい、拝みにくいがあるか!」とこんな話にはピンとこない人も多くいるかもしれない

 

ただ、長く信仰をしていて、また真面目に神仏に向き合っている人にはそんな感覚が芽生えるという話には私は肯定的だ。

 

こんな話にピンとこない人のために少し色々考えてみる。

例えば、お像の話でいえば極端な話、大きさが大仏ほどにあるお像と、懐中仏では同じ尊格でも拝んだ時の印象は当然違うし、もと東北在住の私にはなじみのある作者不明の質素なみちのくの民間仏と京都、奈良でみられる有名仏師が作った歴史的な国宝級のお像では同じ尊格でも受ける印象は全く違う。

 

ただこれらは「印象が違う」というだけで「拝みやすい、拝みにくい」ということはあるにはあるが、恐らくそういった「大きさ、容姿」のことを言っているのではないと思う。

 

では、何をもって「拝みやすい、拝みにくい」という話になるのだろうか?

 

これは仏像なら木や石や粘土等を削ってできた「工作物」、お札であれば「文字の書かれた紙、木」である以上の「何か」を感じているということになる。

 

きっと人間には「仏」を感じるための「何か」がある。むろん私はそれを肯定する。密教を学ぶものなら否定する謂れがあろうはずはないからね。

 

ただ、それを「感じる」という話にもレベルがあると思っている。

 

その人の個人的な、「好み」に関するところからその仏の前に座って落ち着く、集中できるという「ぼんやりした」レベルはきっとあるだろう。

 

もしくはもう少し進んで無意識レベルで、その尊格との縁を感じていることもあるかもしれない。

 

でも難しく考えずとも、多くの場合は長く信仰を続けて、真摯にお勤めを続けていた方の中にもこういった「感覚」がある程度、経験的に養われているのではないか?そんな気がする。

 

そんな長く信仰を続けている方が、当院の荼枳尼天札と御影をお迎えして以下のような感想をくださった。豊川稲荷を長く篤く信仰される方の感想なので信用できると私は思っています。

(当院の)御影と祈願札、恐ろしいほどに拝みやすいですね。ご神体は天部の怖さを持っておられるので、お札と言えどもビビっておりましたが安心しました。(中略)心配していた豊川との掛け持ち信仰も上手く役割分担して機能している印象を受けます。


 

 こればかりを期待するのも違うとは思いますが、せっかく熱心にその尊と向かい合うならこういった感覚がわかってくるもの一つの励みになるかな?と思い記事にさせていただきました。

荼枳尼天香合仏予約フォーム

(残り僅かです)

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荼枳尼天の香合仏(香合仏Q&A)

荼枳尼天の香合仏が完成しました。下絵は自身で描いたオリジナルなので、他所では見られない独特のお姿です。ご覧の通り、かなり細かい下絵を描いたのですが小さい香合仏なのに細かく彫っていただき再現度高く作っていただきました。

 

※ご用命の方は、下記フォームより申し込みください。

荼枳尼天予約フォーム

※ご予約いただいている方は、開眼供養、厳修の後、ご送付申し上げます。

また「オリジナル」といっても適当に想像で作った訳ではなく、以前にも記事にしたと思いますが「刀自女経」という荼枳尼天のお経の記述を再現したお姿です。参考に過去に自作した荼枳尼天像の写真をご覧ください。写真にある説明文は全て刀自女経からの引用です。

f:id:spincast:20210915214035j:plain

 ただ、実際には「お経」の表現を守りつつも、お経だけでは表現されない部分を自身で補完もしました。

 例えば、白狐のサイズは通常見かける白狐より相当大きくしています。その心は上図にあるように「大白狐」と言う表記であることと、金翅鳥のように疾走するというイメージから。またこの荼枳尼天弁才天の影響を強く受けているはずなので、手足に巻き付く白蛇もより大きく躍動感があるように描写しました。

 このように個人的な「イメージ」を多々盛り込んでしまっていますが、理由があってのことです。「儀軌」に忠実に作るのは最低ラインとしつつ、それ以外の部分では「拝む人」のイメージを乗せる自由度が残されていると思っている。

 その方が「拝む側」としては、そのお像を本尊とするなら「感応」しやすいと思うから。

 

また、先の記事でも書きましたが、以前に香合仏についてご質問がありましたので改めて記載しておきます。

※色々なご意見があると思いますが、以下の回答は当院のスタンスです。

Q1.香合仏は御守り、お札、仏像と何が違うのか?

 香合仏は仏像とお守り(お札)の中間的なものとお考え下さい。お札とお守りはその神仏の「お力」を「願意」によって選択的に頂いているイメージです。そしてそのお力の期間は概ね1年間です。

 香合仏の場合は、願意によって選択的にお力をいただくのではなく、そのご尊格が「ご本人(施主さま)一代」の守護をして頂ける存在になります。だから仏像に近い存在になりますが、通常の仏像との違いは、より多くの衆生を救うという発願により開眼される仏像とは役割が違い、あくまで「施主さま一代の御守り」としての役割になります。

Q2.香合仏は携帯するものなのか?祭壇にお祀りするものなのか?

 本来の目的は「懐中仏」なので、携帯するものです。以下写真参照。

写真のように香合仏は「むき出し」で持ち歩くのではなく袋にいれて、大切に携帯します。

 ただ、可能であれば例えばバックに入れっぱなしではなく、家にいるときは特定の清浄な場所(祭壇があれば特にいいですね)にお祀りしておくのがいいと思います。

 また、携帯せずに祭壇に「仏像」のようにお祀りしても構いません。

 ちなみに私は、師僧のお寺から授与頂いたい歓喜童子さまの香合仏は、以下の写真のように、携帯することなく仏像のように祭壇にお祀りしています。

Q3.香合仏を携帯したまま、公衆トイレ等に入ってもいいのですか?

 例えば不浄を嫌う天部尊の香合仏では本来的に避けたいところですが、現実的には常に携帯している場合にはそれはできないので、入っていただいていいと思います。ただその際には「お詫び」を心の中で申し上げるか、金剛輪印明をご存知の方はそれをお唱えするのがいいと思います。

Q4.お像のように祭壇にお祀りした場合は、お供え、お勤めなどはした方がいいでしょうか?

 この手の質問は実はよく来ます(笑)

 「~した方がいいでしょうか?」と言う場合の答えは内容の如何に関わらず「した方がいい」に決まっています。

 この手の質問の真意は「した方がいい」を確認したいのではなく「できれば面倒だからしたくないんでその了解をいただきたい」に近いニュアンスだと思います。

 そんな疑問が浮かんだら「やった方がいいよな」とご自身で思えるようになってくだださい(^^)

 

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先祖供養・家族の敬愛祈願

光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。

多羅菩薩(ターラー菩薩)祈願

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『きっかけは何でもいい。仏縁とはそういうものだ』

『きっかけは何でもいい。仏縁とはそういうものだ』

と言う話をしましょう。

 私がもっともご縁のあるご尊格と言えば、むろんご本尊の准胝仏母だ。

 ではこの「ご縁」がもっとも強かった本尊の准胝仏母との出会いはどうだったのか?

 という話をしたいと思います。実はこの話、しているようでこのブログではしていなかったと思います。

 さて、少年時代。美術品としての仏像が好きだったのは過去の記事でも何度か触れました。その頃には「准胝観音」という名前は認知していたと思うが、特別に「准胝」という名を意識していた訳ではない。

 ではいつから准胝尊を意識したのか?

きっかけは美術品としての仏像ではなく、仏教を信仰しはじめた頃の話。

詳細は割愛するが、「もっと観音信仰をしたい」と思うタイミングがあった。そしてこの時にこの「観音信仰をより深めるため」に選んだのが「准胝観音」だったのだ。

天台では准胝は観音ではなく仏母であることはこのブログでも何度も記している通りだが、最初は「准胝観音」として信仰はスタートした。

 では数ある観音菩薩の中からなぜあまり名を聞かない「准胝」を選んだのか?

 当時の私は独学、我流の仏教初心者な訳です。ただこの頃から調べものをするのは割と好きでした。

 だから右も左も分からないまま、中途半端に調べては(今となって思えば)随分と「ミーハーな」理由で准胝観音を選んだのを思い出す。

曰く

准胝観音は「観音」だが実は仏母で如来格だから「観音」より格上だ(←そういうことではないよね💦)

・あまり人に知られていないから価値があるように思いこんだ(←ミーハーの極み)

・観音が男尊であるというイメージがどうも受け入れがたかった(七観音中、明確な女尊は准胝のみ)(←観音=女尊の思い込みを消せない煩悩)

 今の私からすると「おいおい、そんな理由でいいのか?」と言うほどにいまいちな内容ばかりだ。

 でも思うのだ。

 最初は尊格の詳しい話は誰もが分からない。

 まず「好き」ありきで理由なんて案外「後付け」ってことがほとんどではないですか?

 だから最初のきっかけはどうであれ、肝心なのは「その後」に「どれだけ」信仰したかだ、と思うのだ。

 好きになったきっかけがミーハーでもその信仰が何年、何十年と続けばそれはその尊の立派な篤信者に違いない。

 信仰し続けた時間は嘘をつかない。これは経験的に私は確信することでもある。そこまで信仰すれば常に心にその尊がいるようになるのだ。

 ミーハーなきっかけを話したついでに、さらにカミングアウトするならば、私が最初の最初に手に入れた准胝さまの仏画(というよりはイラスト?)はこれでです。

 イラストとしてはとても素敵なのでこのイラストの作者さまを否定するつもりは毛頭ないのですが、今の私の感覚でこのワンピース姿の女性を「仏の姿か」と問われると「違うかな」と答えざるをえない(くどい様ですがイラスト自体はとても素敵なものだと思います。あくまで信仰対象としての「仏画」になり得るか?という話)。

 ただ梵字は正しいし、延命十句観音経が書かれているので、全体としては仏画の呈をなしているともいえる。

 さて繰り返しになりますが、最初は皆知識はないんですから間違ってもいいと思うんですよ。「拝みたい」と思ったのなら、当時の私がそうであったようにこのようなイラストでも、仏画としてしっかりお祀りして仏として拝み続けること。ただ飾っておけばただのイラストでも毎日拝めばあるところで自分の中では違うものに変化するかもしれない。

 事実、このイラストから始まった准胝尊への祈りは、今では1m20cmもある立派なご本尊の前で密教の修法をしているのです。このイラストで最初の一歩を踏み出していなければ今の私の准胝信仰もなかった可能性だって有ります。

 

 とういうことで……そして最後はいつもと同じ結論を語りたいと思います。

きっかけはなんでもいいんです。

重要なのは、その祈りを「どれだけ継続してきたのか」です。

 

祈願のお申込みについて

 本院で承っている祈願につきまして、以下解説ページから。

本尊准胝仏母祈願(¥5,000~)

当院のご本尊である准胝仏母さまの祈願です。滅罪、延命、求子に強いご尊格です。

 荼枳尼天尊祈願(¥2,000~)

荼枳尼天とはお稲荷さまの仏教でも呼び名です。

商売繁盛、学業増進、立身出世など増益につよいご神さまです

人型加持(月例¥3,000) 

 病気平癒、健康維持にとてもよく効く祈祷で、お加持をした「お札」を毎日枕の下に入れてその札に「悪いもの」を吸い取ってもらうように機能させます。人によっては患部に当てるよう袋を作ってお守りのようにしている方もいます。不動明王による祈祷を行いますが、当院では延命に強い准胝仏母の力もお借りして祈祷致します。

先祖供養・家族の敬愛祈願

光明真言にによる供養(光明供)にて、ご先祖供養を致します。光明真言には強い滅罪の功徳がございます。

多羅菩薩(ターラー菩薩)祈願

(「どんな衆生でも救う」という使命を持って誕生した慈悲深い菩薩さまです。皆様の願いを菩薩さまにお伝えするお手伝いをします)

星祈祷(普通祈祷¥3,000)

年始(旧正月)に「星祭」を行い、祈祷札をお出ししておりますが、随時「星祈祷」をお受けしています。

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