地道に密教修行

天台寺門宗の祈祷寺院にて密教の修行しております「亮和(りょうな)」と申します。修行、信仰を通じて感じたことなどを綴っていきます。※過去(本格的な修行前)に「地道に観音信仰」というブログを運営しておりました。どうぞ気楽にコメントいただけると嬉しいです!

丹田とは?②「気を丹田に沈める」ために必要な事

 丹田シリーズを「気」という話題であらためて書こうと思ったのだが、これを書くに当たって読者との「共通了解」が必要になってきます。

 それは「気」をいうものの存在をどう捉えるか?という問題です。

 「気」という言葉ほど、便利な言葉はなく先日も話題にした武道・格闘技でも多用される言葉で、おそらく「スピリチャル」に関心のある方も結構便利にこの言葉を使っているのを見聞きします。

 ただ、この「気」というものの「存在」が、科学的に証明され、定義された概念ではないからその言葉を使う人たちの間でこの「気」について様々な解釈が存在します。

 だから私がこの記事の中で使う「気」については「私の認識はどうなのか?」をいう話を先にしておおかないと色々誤解が生じてしまう懸念があります。私が使う「気」という言葉は私が中国武術を長年鍛錬する中で獲得した「感覚」なので、私が修練で後天的に獲得した「感覚」です。故に必ずしも巷で語られる「気」という言葉と同じものを意味するとは限らないということを先にお断りしておきます。

 では始めます。

 ①気は「身体」の中を巡る物理的な感覚としてはっきりに感じることができるものである(曖昧なものではないということ)
 ②気の感覚は「身体の動き」によって体内を移動させることができるものである。
 ③気は「意識」の力でも、身体の内部を移動させることができる
 ④「気」の動きは「呼吸」よって感覚を増幅させることができる。
 ⑤「気」の感覚は身体の外でも「粘り気がある感触」として感じることができる。
 ⑥鍛錬を積むと「気」が身体の外へ白い糸のように放出しているのを(主に手)「視る」ことができる(幻覚かどうかの判断は不明)。

 私が感じることができる「気」というものの「性質」は大体こんな感じです。

 上述したように科学的に証明されていない以上、これは私の主観的な感覚でしかありません。ただ私が体験する「気」の感覚は決して「曖昧模糊」ではなくて、かなりはっきりと「物理的感覚」に近い程にはっきりと感じることができる性質のものです。

 以上の説明で「なんか怪しいな」と感じた方はこの先は読んでも、得る情報はないと思いますのでブラウザバックしてもらった方がいいと思います。

 では、ここから先はとりあえず私が上述した「気の感覚」をある程度「了解した」上で読み進めてください。

 さて、一昨日の「日本武道」という話の中では丹田は「下腹にあるもの」として話をすすめていましたが、これが中国武術になると下腹の一か所ではなく三か所になります。その三か所とは曰く「上丹田(眉間の間)」「中丹田(胸の中央)」「下丹田(下腹部)」です。それぞれの場所は以下の図を見てもらうの早いと思います。

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 このイラストには中丹田、下丹田の間に「丹田」とは別に「中院」というツボの明記もありますが、中国武術にとってはこの「中院」も他の丹田同様にとても重要な箇所なので敢えて記載しておきました。

 さて中国武術では「丹田は三か所ある」とはいったものの、それでも一番重要なのが下腹部の「下丹田」であることは日本武道と変わりありません。

 実際に中国武術でも「気」を重んじる太極拳形意拳八卦掌といった所謂「内家拳」と呼ばれる武術は「気沈丹田」といって気が「下丹田(下腹部)」に落とせなければ話になりません。

 

 だからこれらの「内家拳」が最初にならう「型」は気の鍛錬をメインに据えたものになっていて複雑な攻防技術よりはひたすら「気を練る」という意味合いの「型」に重きをおきます。ちなにみ私が習っていた八極拳も最初は太極拳のようにゆったりと動きながら気のコントロール(それも気沈丹田)を完成させることを目的とした型をひたすらやります。


 少し前置きが長くなりましたが、ここから本題です。

 ではその気を下丹田に沈める(気沈丹田)をするために必要な要素は何なのか?ということですが、実はこれに関しては前回解説した日本武道同様に「姿勢」がとても重要な要素になります。

 ただ日本武道と大きく違うのは「姿勢」だけではそれは実現せずに「呼吸」と「動き」がこれに加わります。

 ではまず「気沈丹田」に必要な姿勢を確認してみます。事細かな注意事項がいくつも存在します。最終的にはこれがすべて実現されて初めて「気沈丹田」が行える「土壌」ができます。

 丁度、全て詳細に説明しているページがあったんでリンクを張っておきます。

www.e-funai.com

 ここで特に強調しておかなければならないのが説明にある「含胸抜背」と「尾閭中正」の二つです。なぜ強調しなければならないかというと、この姿勢を実現すると前回説明した日本武道と「まるで正反対の姿勢」になるからです。

 この二つに関してはピンとこないと思いますので図解します。

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前回の日本武道では「胸は張って」「腰は突き出して」となりますが、中国武術の「含胸抜背」は「胸を丸めて」、「尾閭中正」では「腰を引っ込める」という動作になります。

 つまり日本武道が「丹田」に対して物理的な重心を落とそうとしたのに対して、中国武術が「落とそう」としてたのは「重心」ではなく「気」という違いからくる姿勢の違いということになります。

 あまり文章で細かく話してもなかなか伝わるものではないと思いますので、ひとつだけ重要なポイントを述べると、上で少し触れたように気を身体の中で動かすとき「呼吸を使う」という話をしました。

 実はこの「含胸抜背」と「尾閭中正」の姿勢をとると横隔膜の動きがほぼ制限されず一番「腹式呼吸がやりやすい」という姿勢なんです(前回の記事で少し触れましたが日本武道の姿勢は腹式呼吸がやりにくい)。

 つまり下丹田のある下腹部に呼吸によってもっとも「腹圧」を掛けやすい姿勢であることがポイントになります。

 だから腹式呼吸を常に動作の中で意識できるので自然と意識が下腹部に集中して気も下丹田に集まりやすくなるという理屈になります。

 もちろん「気沈丹田」するためのはこれ以外の要素(例えば動作等)が複合的に絡み合ってきますが「姿勢」と「呼吸」がその中心にあることは間違いがないので「姿勢をしっかり正確にとる」ことと「腹式呼吸で常に下丹田に意識を置く」という2点を最低限キープしながら動作することが最初の一歩になってきます。


 あえw?ちょっとマニアックに話がいきすぎましたか?……

 ちょっと突っ走りすぎたので丹田シリーズ②はこのあたりでやめておきましょう(^^;

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丹田とは!?その①~日本武道と禅の関係!?~

丹田」という言葉をご存知だろうか?

ja.wikipedia.org

私の人生においてはこの「丹田」という言葉は、非常になじみのある言葉だったりする。


一つは「武道・武術」においてこの「丹田」という言葉が多用されるから。

もう一つは「禅」「瞑想」と言った行でもこの言葉がよく使われるからである。

曰く……

 武道・武術では「丹田に力を入れろ」「丹田に重心を落とせ」「丹田に気を落とせ」などよくよく説明されますが、結構抽象的過ぎてよく分かりません。

 また禅、瞑想でも「丹田に意識を集中して」「丹田で呼吸をして」「丹田に気を巡らせて」なんて説明をよく見かけます。

 私は「禅」「瞑想」は達者はないので、あまり言及できる立場ではないが、こと「武道・武術」に関しては30年ほどのキャリアもあるのである程度の発言ができるだろうと思い、少しこの武道的「丹田」について考察したいと思う。

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 私なりに「丹田」という言葉をまとめると概ね「3つの説明」に集約できると思っている。

 長くなりそうなので、今日はその一つ目を紹介して、それ以降は次回に「つづく」としたいと思います。

 ではまず一つ目。それは「重心を丹田に落とす」という説明です。

 日本武道の「姿勢」は概ねこれを実現するための動作になっています。これは上述のウィキペディアで出てきた「気が云々」という話は一切関係なく、物理的な身体の重心を丹田(下腹)に落とすような姿勢をとるということを意味します。

 具体的には胸を広げて、おしりをやや後方に突き出すような姿勢です。この姿勢をとると下腹に「グッ」と力が入るのがはっきりと意識できます。

 ただこの姿勢は横隔膜の動きが制限されるので慣れないと腹式呼吸がやりにくく、武道家が使う「逆式呼吸」がむく姿勢になります(ある程度の呼吸のトレーニングが必要)。

 これを誰よりも声高に唱えたのが肥田式強健術肥田春充氏でしょうか。

ja.wikipedia.org


 氏の晩年の図書は高度な哲学的な論説についていくのが難しくなりますが、前半生の「体育論」は、極めて日本武道的な優れた身体論だと思います。特に「丹田を物理的な重心とする」という明快は説明は日本武道家にとって目に鱗だったはずです。

 ただ肥田春充氏ほどに腰をそる姿勢は所謂「弓腰」といって腰に負担のかかるよくない姿勢と言われることもあります。これは私の経験則でも腰を反りすぎると確かに腰への負担が大きいので「反り加減」が難しいかもしれません。慣れると肥田氏ほど反らなくても重心が丹田に落とせるようになります。

 またここからは慎重に語りますが、日本の「禅」ではインドの「瞑想」では使わない「坐蒲」を使います。その理由は、日本武道と共通の「重心を丹田に落とすため」という目的が実はあるのでは?と思っています。つまり坐蒲をお尻に引くと身体がやや前傾し、その前傾した姿勢で床に対して垂直に背骨を持ってくると腰が後ろに突き出た状態になります。この姿勢はまさに重心が丹田にまさに落ちる姿勢と同じです。

 「日本武道」と「禅」との繋がりあることは言わずもがなですが、どちらが先と言えば「禅」の影響を日本武道が受けたような気がします(想像です)。

 何冊か図書が出てるようなのでこの姿勢に興味がある人は、やはり上述した肥田式強健術を実践するのが一番手っ取り早いかもしれません。動画もあったのでリンクしておきます。

youtu.be

 なんたってそれ(丹田に重心を落とす)ことを目的にした体操ですからね。特に肥田式強健術の「外腹斜筋の型」を一つやるだけ(数秒で終わります)でもいいかもしれません!?

 以上、次回は「気を丹田に落とす」という話をしたいと思います。

 

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井上靖『補陀落渡海記』読んだ!(ネタバレあり)

先の記事で宣言した通り?井上靖の小説『補陀落渡海記』読みました。

 とても短い短編でしたが、とても考えさせられる奥の深い作品でした。

 この作品のポイントはスバリ!「自己認識」と「他者認識」との乖離だと思いました。

 そう言っても「はあ?」という感じだと思うので(笑)、少しだけこの小説のレビューをしてみようと思います。

 きっと皆さんの身近でも起こりうる話だと思います。

 この小説の主人公は戦国時代の「金光坊」という実在の僧侶の話です。

 この金光坊は若くしてこの物語の舞台、補陀落渡海の総本山である「補陀落山寺」に入ります。

 金光坊は若い修業時代に「補陀落渡海」に出る上人を何人も見送ることを経験します。そこで彼は、その捨身行である「渡海」に挑む上人の考え、立ち振る舞いを見ては「僧としてすごい境地に達した方」として尊敬の念を抱きます。

 そして、歳を重ねいざ自分がいよいよ「渡海」に挑むことになった時、過去自分が見送った上人のような境地にはとても達していないことに金光坊は悩みます。

 それから過去「渡海」に挑んだ上人たちの顔が頭から離れなくなり、それを追い払おうと毎日読経に逃げ、日に日に追い込まれた金光坊はどんどん精神的に衰弱していきます。

 そんな「渡海」に挑む金光坊には身の回りのサポートをする若い弟子が付き従っています。

 「金光坊」は過去の渡海上人のようになれないまま、いよいよ渡海に出ます。しかし「金光坊」は途中で屋形から脱出して付近の島に逃れます。

 ただ結局捕らえられて、すでに衰弱していた「金光坊」は抗うこともできずまた海に戻されてしまいます。

 この話は実話で、これ以降「生きたまま海に出る」ということがなくなり住職などの遺体を渡海船に載せて水葬するという形に変化したようです。

 そして前回のブログでも紹介したこの言葉。

 これは付近の島でとらえられた時、すでに衰弱して声も出せない中で付き従っていた弟子に筆談で送った言葉です。

蓬莱身(宮)裡十二樓 唯心浄土己心弥陀
求観音者 不心補陀 求補陀者 不心海

 この言葉が補陀落渡海に対して「前向きの言葉」なのか「否定の言葉」なのかかみさんに聞かれてネットで調べたという話を先の記事で書きました。

 その時に調べた「訳」は以下のようで明らかに「金光坊」は否定的な意見をしていることが伺えます。

『蓬莱宮には十二の楼閣(熊野十二社)があり,〔ここでは〕唯心(ゆいしん)の浄土,己心(こしん)の弥陀こそ第一としている。〔ここにおればよいものを,それにも関わらず〕観音様の浄土である補陀落山を求める者には,その心に補陀がなく(浄土もない),補陀を求める者には,その心に海がない(弥陀もない,航海の途中で死んでしまうことを考えようともしない)。〔そのような者が海を渡って補陀落山に行く意味も資格もない〕』

 小説を読んでみても、この解釈は「金光坊」の本音だったと思います。しかし、弟子はきっと違う解釈つまり、肯定的にこの言葉を解釈してように感じました。

 この物語は「先に渡海した上人―金光坊」「金光坊―弟子」という関係性が意図的に「対比」できるように書かれています。

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 「金光坊」は船から脱出して「助けてくれ」とまで言う失態までおかし、それが原因で「もう生きたままの渡海はやめにしよう」というきっかけにもなった訳です。しかし、「金光坊」に付き従っていた弟子がこの後、最後の「渡会上人」になった、ところで物語が終わります。

「なんで金光坊の失態を見て、なおかつネガティブな言葉まで書き取ったこの弟子は渡海を選んだのか?」という疑問を誰もが持つようなエンディングになっています。

 これはおそらく金光坊が上人たちを敬ったように、実は思い悩む金光坊の本心を知らない弟子は、あくまで傍で金光坊の立ち振る舞いを見て、金光坊が以前上人たちに感じた「尊敬の念」を同じように感じていたということを暗示しているだと思いました。

 そうなると「金光坊」が先に渡海した上人に感じていた尊敬の念も「金光坊」が感じていただけで渡海した上人たちはも実は金光坊のように動揺し、心ここにあらずだったかもしれないということも著者は暗示させたのだろうと思います。

 だから冒頭で書いたこの小説に出てくる僧侶たちは「自己認識」と「他者認識」とに乖離があったということろがこの小説のポイントなんだと私は感じました。

 だから「私はダメだ」「全然修業が足りてない」と「自己認識」していても、それを周りで見ている人が必ずしも同じ見方をしているとは限らないということなんだろうなということを思いました。

 まあ心理学を勉強すればこういった話はよく出てくるのですが、小説でリアルに描写れているものを読むと、より現実味を帯びていろいろと感じることがありました。

 ぜひ、皆さんも読んでみてください。いろいろ考えさせらますよ(^^)

 

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石塔の梵字

 昨日に記事にした石神山精神社の境内にあった石塔です。

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 昔は石仏に興味を示しても「梵字」で書かれた石塔に目が行くことはなかったのですが、さすがに密教の修行をするようになってこうした石塔にも目が留まるようになった。

 向かって右上に「太陽」左上に「月」とあるので「庚申塔」だろうとあたりをつけて梵字を確認してみる。

 

 中央上の種字から下のご文字は金剛界五仏の「バン・ウーン・タラーク・キリーク・アク」と読める。享保二十年との文字もあります。江戸中期ですね。

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 では肝心の中央上の「種字」は?というところで悩んでしまった。

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 意味合い的にも大日如来のバーンクでしょうか。「バン」にいろいろ装飾がついて「バーンク」になる……というまでは理解しましたが、形が少し違う気が!?

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 ちなみにネットで「オーンク」なる特殊な文字を見つけたが、さすがに違うでしょう。

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引用ページ↓

nansatz.wp.xdomain.jp

 

庚申塔なら青面金剛の「ウン」だろうなんて予想したが、関係なかったですね。

 

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万年も祀られる聖地

 本山の修験修行に参加すると、毎回サポートに入ってくれるAさんという不思議な方がいる。「不思議な」と形容するのは大変失礼だとも思うのだが、私にとっては「いろいろ凄すぎて不思議だ」という極めてポジティブな意味です。

 例えば自転車だけで世界一周をしてみたり、サンダルでお遍路を歩ききったり、大峯奥駈道は数日で毎年何度も走破しるようですし、はたまた素晴らしいお像を作る仏師だったり……得度はしていないのだが、修験のことを一次資料(古文書)をあたって調べるほどの本格的な研究もされていたり……とにかく不思議なくらい凄い人です。

 ある時、そのAさんが調べている修験についていろいろ教えてもらう機会がありました。その時に伺った内容は日本の山岳宗教の歴史について。普通我々の認識では修験道は開祖「役行者」によってはじまった宗教だと認識しています。しかしAさんが言うにはもちろん「修験道」という形を整えたのは「役行者」だが、役行者が現れるはるか以前から山岳を神として信仰する習慣が日本にはあったといいます。

 役行者は600~700年くらいの方ですから修験道の歴史は千数百年前からと考えれば十分に長い歴史と感じます。しかしAさんに言わせれば信仰の歴史は「桁が違う」とおっしゃっていたことに驚いた記憶があります。桁が違うということはつまり1万年以上もまえという話となりますから縄文時代でしょうか。

 古代人は「巨石」だったり「巨木」を聖なるものとして恐れ敬った。役行者は新たな場所を聖地として選んだのではなく、古代から、それこそ「万年」も人々に敬われていた「そのような場所」を修験の聖地としたはずだと言います。

 Aさんは修験が起こった「関西」だけに限ったことではなく日本全国で山岳信仰はされていたはずで特に「東北」にはとても興味があると仰っていました。

 そして私はほどなくしてAさんの話が「たしかにその通りだ」ということを目の当たりにします。

 宮城の地で、その痕跡に偶然出会ったのです。

 

 前に「七薬師掛け」という修行が残る里山があると紹介したことがありました。

ryona.hatenadiary.jp

 その山を訪れたときに、この山々の「里宮」になっている神社がまさに「その痕跡」であることを知りました。

 石神山精神社(いわがみやまずみじんじゃ)といいます。

www.town.taiwa.miyagi.jp

 その名前からすでに「石」がご神体であることがうかがえます。

 この神社、確かに社はありますが、ご神体が境内の最奥にある巨岩であったととは間違いありません。

 この巨岩はいつから礼拝の対象になっていたのか?

 この地域のことを知らべてみると、縄文時代の集落が点在していたことがうかがえます。

 であるとするならばすでにその当時にこの巨岩を見て、恐れ敬う人がいたに違いありません。

 私のような現代社会に毒された凡人ですら、この巨岩の前に立てば理屈抜きに「聖なるもの」を感じます。いわんや古代人をや。

 今日は、小雨が降っていましたが「ふと」この神社に行きたくてかみさんとふらりと参詣に行きました。自宅から車で30分程度かかるのでそこそこ距離はあります。

 車を降りると、降っていた雨がやみ少し日が差してきました。

「ああ、タイミングがいい」

そう思いながら鳥居をくぐり細い石段をのぼります。

 

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毎度思うのだが、ここの「空気感」は特別です。

少し大げさかもしれないが「玉置神社」に近い空気感がそこに漂っています。

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そして本殿の裏手に回ると樹齢千年を越えるご神木と巨岩が目に入ればその聖なる雰囲気に誰もが圧倒されるはずです。

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 もともとそれだけのパワーがある場所であるはずだし、万年も祀られている歴史の力もあるのだと思う。

 聞けば「岩を神として祀られている神社の中では一番古いとされている」そうです。社としても宮城で最も古いといわれているとか。しかし、仙台の隣町にあるこの小さな神社をを知る宮城県人はあまり多くないと思います。まさに知る人ぞ知る。

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 私はこの神社とのご縁をいただけたことにただただ感謝しています。だったこんなにも神聖な空気感を味わえる訳ですから。本人曰く「玉置神社なみ」ですし(笑)

 

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補陀落渡海と即身仏

 先に「熊野へ参詣した」という記事を書きました。

ryona.hatenadiary.jp

 この時に、かみさんが「どうしても立ち寄りたい」と主張したところに「補陀落山寺」がありました。

ja.wikipedia.org

 少し前の記事「鑑真和上」の中で、かみさんは井上靖の「天平の甍」を読んでいたために鑑真の話に詳しかったという行(くだり)を記した。それと同じように実は「補陀落山寺」に行きたいと主張した理由も「井上靖」の「補陀落渡海記」の影響のようでした。

 

 「天平の甍」にしても「補陀落渡海記」にしても「悲劇」を扱うストーリーが好きすぎるかみさんに一抹の不安を感じつつも(^^;、今日はそれは深追いしません(笑)

 

 さて仏教徒の方はご存知の方が多いと思いますが、念のため「補陀落渡海」について教科書(という名のウィキペディア)で確認してみましょう。

 『補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、自発的な捨身を行って民衆を先導する捨身行の形態である。

(中略)

 この行為の基本的な形態は、南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、そのまま沖に出るというものである。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。ただし江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体(補陀洛山寺の住職の事例が知られている)を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化する。

 最も有名なものは紀伊和歌山県)の那智勝浦における補陀落渡海で、『熊野年代記』によると、868年から1722年の間に20回実施されたという。この他、足摺岬室戸岬那珂湊などでも補陀落渡海が行われたとの記録がある。

(中略)

 仏教では西方の阿弥陀浄土と同様、南方にも浄土があるとされ、補陀落(補陀洛、普陀落、普陀洛とも書く)と呼ばれた。その原語は、チベット・ラサのポタラ宮の名の由来に共通する、古代サンスクリット語の「ポータラカ」である。補陀落華厳経によれば、観自在菩薩(観音菩薩)の浄土である。

 浄土信仰が民間でも盛んとなった平安後期から、民衆を浄土へ先導するためとして渡海が多く行われるようになった。渡海は概ね黒潮が洗う本州の南岸地域で行われた。特に南紀・熊野一帯は、それより以前から密教の聖地、さらに遡って記紀の神話も伝わる重層的な信仰の場である。『日本書紀』神代巻上で「少彦名命、行きて熊野の御碕に至りて、遂に常世郷に適(いでま)しぬ」という他界との繋がりがみえる。黒潮は地球規模でも強い海流の1つであり、この流れに漂流するとかなりの確率でそのまま日本列島の東側の太平洋に流されていき、戻ってくることがない』

ja.wikipedia.org


 現代に生きる私にはなかなか理解が及ばないというのが正直な感想です。

「捨身行」ということについては、個人的には仙台に住んでいるということから、全国的に見ても山形の庄内地方に圧倒的に多く残っている「即身仏」を思い出します。私は仙台に赴任して以来、山形の多くの寺院に足を運びましたがその中でこの「即身仏」を礼拝する機会も何度かありました。

ja.wikipedia.org

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 江戸時代の飢饉、疫病の流行……特に東北という土地は「飢饉」により被害は甚大だったはずです。そのような抜き差しならない状況において「民衆を救うために」という僧侶の強い想いで「捨身行」を選択したという事実。現代人がとても真似のできることではなくとも補陀落渡海のように「理解が及ばない」ということはなく、そんな上人の心の内を思えば胸に去来するものは多くある。

 さて、井上靖の「補陀落渡海記」には金光坊(実在の人物)の最後の言葉が「漢文」で出てくるそうなのだがかみさんから「仏教徒なら読めるでしょ?」と言われて見せられた。

 ご存知の方も多いと思いますが!?私は漢文が苦手で加行で「補習」がついた人間です。

 それでも「苦手だから」と言えずその「漢文」を見てみる。

 するとこう書いてあります。

蓬莱身(宮)裡十二樓 唯心浄土己心弥陀
求観音者 不心補陀 求補陀者 不心海

 この言葉が補陀落渡海に対して「前向きの言葉」なのか「否定の言葉」なのかは読者に任されているようで、かみさんも「どちらか」は悩ましい部分だったようです。

 ということで「漢文」よりも「ネット」の得意は私は(汗)ネットを駆使してこれについて解説しているページを見つけましたのでそれを記したいと思います。

『蓬莱宮には十二の楼閣(熊野十二社)があり,〔ここでは〕唯心(ゆいしん)の浄土,己心(こしん)の弥陀こそ第一としている。〔ここにおればよいものを,それにも関わらず〕観音様の浄土である補陀落山を求める者には,その心に補陀がなく(浄土もない),補陀を求める者には,その心に海がない(弥陀もない,航海の途中で死んでしまうことを考えようともしない)。〔そのような者が海を渡って補陀落山に行く意味も資格もない〕』

 なるほど、これが正しいとすると明らかに「補陀落渡海」に対しては「批判的」な意見ですね。

 ただこの「漢文」は井上靖の創作のようなので、つまりこれは「井上靖」の意見という事になるのでしょうか……

 

 先に私は「理解が及ばない」と書きましたが、これを機会に「補陀落渡海記」を読んで少し理解を深めて改めてこの問題を考えてみようと思いました。

 

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動画による発信力を考える

 TVを「干された」人がYoutubeで活躍しているという認識が一時期はあった気がしたが、今ではその逆転現象が起きているんですね。

 Youtubeの登録者数、再生数を増やすためにTVを使う。つまりTVに出ることは単なる「宣伝」であってそこが主戦場ではないということ。

 常に時代の最先端をいくキングコングの西野は番組の中でいずれノーギャラでTV出演をOKするタレントYoutuberが出てくると予想している。

www.excite.co.jp

 このようなことが現実になれば、人気タレントほどギャラが高いから、まっさきに駆逐されていくのは「人気タレントから」という可能性が高いと西野は言ってます。昨今コロナショックで宣伝広告費を削減することを余儀なくされているTV局事情を鑑みれば出演者のギャラを少しでも押さえられることは渡りに船。

 また早々にYoutubeに参入した多くのタレント達は現在を俯瞰してみると……

 曰く、中田敦彦、カジサック梶原は当初、相当TV芸人からバッシングを受けたらしい。しかし今では誰が見ても彼らが「勝ち組」なのは明白。

 また女性タレントに目をむければ、本田翼さんが最近若手女優より頭一つ抜きんでて「無双状態」になっている。これについても周りの反対を押し切ってまではじめたYoutubeが功を奏してるのは明らか。あの人気はTVとyoutubeの相乗効果の産物でしょう。

 また「TVを干された」と噂のあったとんねるず石橋貴明Youtubeに参入して人気を盛り返してTVに返り咲くなんてことも起きている。

 特にコロナ渦で出演に制限がかかった時期に、Youtubeに参入したタレントが急増した。

 そしてこの波は私の好きな「格闘技界」にも及んでいる。青木真也は先のキングコング西野と全く同じことを言っていました。「これからはYoutubeのプロモーションのために試合に出る選手が出てくる」と。

number.bunshun.jp

 「格闘家ユーチューバーのはしり」である総合格闘技の朝倉兄弟は言わずもがな、那須川天心安保瑠輝也、木村フィリップミノル、久保優太、山崎 秀晃、etc……ぞくぞくとYoutubeに参入しています。

 彼らは「試合」とは別のステージで存在感を発揮し始めている。

 また「試合」では常にネックになる「団体の壁」。分かりやすい例では那須川天心武尊の試合が「団体」という「大人の事情」で実現しないのはあまりにも有名な話です。

 しかし上記の格闘技Youtuberは「お互い」に団体の「垣根」を超えて、コラボを実現し、積極的に交流しながら「オフィシャル」ではありえない夢の対戦を「スパーリング」という場で実現している。彼らの行動力は個人的にすばらしいと思っています。

 先にK-1の王者安保瑠輝也が山崎 秀晃に1RKO負けしたときに魔裟斗が「Youtubeなんかやってるから練習できてないんじゃないか」と批判した。しかし安保瑠輝也はちゃんと「魔裟斗さんの時と時代が違うんです。今は自分でプロモートしなければならない時代なんです」とはっきり反論していたのは偉いと思いました。結果、その試合に勝った山崎秀晃もつい最近Youtubeデビューしましたからね(笑)若者は危機感もって先に進もうとしている。

 

 ブログ、facebookTwitterといった「文字」に頼るSNSの発信は未だ力を持っていますが、今後の発信力の中心はToutubeであることは疑いようがないと思います。

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 本を読まない(読めない)人たちがこぞって中田敦彦のYoube大学勉強しているのを見ればそれは確かだと思います。

 そういえば、中田あっちゃんがYoube大学で仏教の話をした時も学者さんたちから「正確でない」と大いに批判をされていましたが、私が思うに例え間違いがあっても多くの人に話が届く方が価値があると思います。

 この中田敦彦のYoube大学の例を見ても、今後の仏教界にも「動画」を見据えた発信力を避けては通れなくなると改めて感じています。

 

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