ブログの読者でもあり、准胝院の信者さんでもある方から、荼枳尼天に関する詳細なレポートをいただきました。
その方は、荼枳尼天でも豊川稲荷について、信仰、造詣がとても深く、巷では聞くことができない程の詳細な荼枳尼天に関する知識をお持ちでした。
私が守護神を荼枳尼天とし、私が作った荼枳尼天像の「独特な容姿」にも興味を持っていただき、それについても色々な可能性を教えていただきました。
その荼枳尼天に関するレポート内容は、このブログでも紹介して構わないと了承を得ていますので、おいおい自身の考察も交えながらご紹介していこうと思います。
この方のレポートは研究者とも言える程に詳細なもので、その内容は海外の文献にまで及んでいます。ただ、この方のレポートが研究者の文献と決定的に違うのは「信仰」がベースにあるということ。
例えば密教系荼枳尼天が「剣」を持つのに豊川稲荷は「稲穂」を持つのか?という考察では、豊川稲荷を感得した寒巌義尹が南宋に2年間留学していることから、寒巌義尹がインドネシアの豊神で稲穂とナイフを手に持つ「デウィ・スリ」に接触していた可能性を見出したりとか、発想がとても柔軟です。
さらに「狐」についても吉野裕子博士は荼枳尼天の狐は彗星又は北斗説をヒントに、尊星王が乗る「龍」との共通点を見出し、「狐」「龍」「蛇」の底に流れる同じ属性に目をつけています。
すると、その背後には豊穣の神が「稲妻」と関係深いところから発想を広げて、海で光る稲光となると、見た目は金翅鳥が近く、又は金狐と銀狐のイメージもありさらに黄金の龍である青龍権現や倶利伽羅龍王との共通点にも気づかれています。
ちなみに、この説を総合すると私に関係の深い尊格が見事に結びついていきます。曰く青龍権現から准胝尊、守護神の荼枳尼天、加行で出現した倶利伽羅龍王……そんなことまで指摘いただけるのが嬉しい限りです。
このように長い信仰で培った感性がベースにあるため、その発想はあまりにフレキシブルでお堅い学者さんとは一味違いますよね。普通は気付けないような「鋭い」考察が多いんです。
信仰のない方が、このようなフレキシブルすぎる解釈を擦れば「ただの妄想」「こじつけ」となっていまいますが、長くそして深い信仰の末にたどり着いた上述のような「考察」は、長い修行の先に得られた優れた行者の「感得」までいかなくとも、それに近しい「感性」が働いているようにも感じます。
すくなくとも強い信仰ベースに長年かけて調べあげてたどり着いた結論は、おそらくそれを信仰する本人のイメージには多大な影響を与えることになると思うので、すくなくともその結論は「その人にとっての信仰」では真実に違いないと思う。
だから私は「信仰」「修行」をベースに自分にせっかくご縁のあった「准胝尊」「荼枳尼天」「焔摩天」「倶利伽羅龍王」などは、出来る限り調べつくして、その情報を自分の信仰に力を与えるものとして昇華させようと改めて思いました。
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