登山と修験道は何が違う?
よく聞かれる質問だと思うが、それは「山に入る目的が違う」で答えは出ていだろう?と今までは深く考えることから逃げていた。でも最近思うことがある。
例えばこんな意見があったらどう思うだろうか?
「修験道は修行だから、レジャーの登山と一緒にしないでくれ」
個人的に、この意見は「いかんな」と思う。
理由は、この言動の根本に「どっちが偉い」という議論があるから。
「修験道は修行だから」
という言動の裏には、「だから我々は偉いのだ」という本音が見え隠れする。
登山より「我々のやってることが上」って……どっちが偉いじゃないよね(笑)
この意見が出る背景には、もしかすると登山家への「劣等感」もあるのかもしれない。詳しいことは私も分からないが、プロの登山家の方がもしかするとより山の知識があるかもしれないし、より多くの困難な山を踏破し、より山にいる時間が長いかもしれない。そんな想像をしてしまうから「対抗意識」が出てしまう。
私の好きな番組に「グレートトラバース」という「登山」の番組がある。車、電車、飛行機、船などのすべての交通機関を使わず「人力」だけで三百名山を踏破する「田中陽希さん」を追ったドキュメンタリーだ。
陽希さんがやっているのは「登山」だ。
ただ、彼はその中で多くの山岳信仰に触れ、例えば山頂の祠に恭しく手を合わせる場面も多く紹介される。
これを見て、山に登って、山の驚異に触れ自然と手を合わせる瞬間が確かにあるのだと思った。
「ああ、もう陽希さんの登山は、山岳信仰だな」
ふとそんな言葉が口をついた。
この姿を見て……
「いや、あれは登山だ!俺たち(修験者)と一緒にすな!」
なんて言い張るのはなんとも野暮と思った。
「同じ山を愛する同士」「山の偉大さに敬意を表する者同士」
あえて「違う」ところを探すことに意味があるのか?
山に入って自然と手を合わせる瞬間があるなら、それはもう山岳信仰じゃないのか?と。
それぐらいに山は懐が深いのではないか?と。
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