准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

高尾山と御岳山の分岐点?~丹木御嶽神社~

 地元の「お宮」を巡ることの重要性を、このブログでなんどか話題にしました。「土地に守ってもらう」ということを意識して、「土地」に感謝の意を伝える機会が増えればそこに住まう「日常」に必ずやプラスの影響力をもたらしてくれる……私はそう思っています。師僧からも「近くに”まほろば”となるお宮を見つけるように」と指導もされています。それはお宮は、「力ある土地」に鎮座するために、「行くこと」に意義があるから、と言われます。

 私は地元の低山修行からスタートして、その流れで「御嶽神社」への参拝に意識が向いているのも、「地元の山」と「地元のお宮」とで自分にとっての「まほろば」を慎重に見つける作業(修行)も兼ねているのです。

 ということで、昨日の記事で宣言した通り、先日の「下柚木御嶽神社」に続き、八王子市内の蔵王権現霊場御嶽神社である「丹木御嶽神社」に参拝に行ってきた。

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 この神社は、滝山城という北条氏の名城に隣接してあります。北条氏政とともに秀吉の小田原攻めで切腹させられた北条氏照が居城を八王子城に移す前の城が滝山城です。八王子城は「八王子権現」ゆかりの霊山として以前記事にしました。

ryona.hatenadiary.jp

この滝山城は、東京で唯一の「道の駅」があり、そこに立ち寄った時に、こんな本を買ってきた。

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この本を買ったのは、なにも私が戦国史好きだから、というだけの理由ではない。この土地の「修験者」の話がかなり記述されていたからだ。

滝山街道に沿った加住地区には、山岳信仰に関わる寺や神社が大変多いことに気付きます。たとえば、梅坪の威徳天神社、子守神社、勝手神社、丹木町の子の権現社、金蔵寺、宝印寺、滝の不動院、高槻の円通寺(修験喜見坊の旧跡)など、まるで滝山城を取り囲むように点在しています。中でも子守、勝手、天神の三社は奈良県吉野山に祀られいている吉野蔵王権現や八神を移して祀られているそうです。滝山城跡にある御岳神社には康永2年(1343年)と記した権現立像があり、また、加住の勝手神社には「金峯山の御正体」と記された貞和5年(1349)銘の懸仏(銅で作られた丸い鏡で、中央に薬師如来がある)があります。

「よみがえる滝山城滝山城跡群・自然と歴史を守る会)」より引用

こんな解説もありました。この地域は本山派だったんですね。近隣の高尾山は当山派だが、その辺の関係性はどうだったんだろう……今度調べてみます。

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「よみがえる滝山城滝山城跡群・自然と歴史を守る会)」より引用

さて、「丹木御岳神社」に話をうつします。

いつも通り、「山の上」ですね……割ときつい階段です。

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見えてきました。

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境内には雪が残っていました。

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パワフルなご神木

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 境内にある由緒は以下の通りです。

『祭 神:日本武尊
  
創 立:天文十三年(1544)辰年六月六日
  
由 緒:当御嶽神社は創立天文十三年とあるが、その歴史は古く文献に当社は、往古蔵王権現と称し高月村にあり、今の滝山城趾山頂に蔵王堂が鎮座。社の立は推古天皇代(595年)滝山城築城以前の開山とある。
  
歳移り藤原時代康平二年(1059)源義家公社を再興し社殿社殿悉く新築した。その後北条陸奥守氏照城郭造営の際現地に移したとある。
 
この時天文十三年六月六日である。後に御嶽蔵王権現社は近郷九ヶ村の鎮守として信仰を集めた。
 
江戸時代慶安二年(一六四九年)八月二十四日将軍徳川家光公より御嶽権現領として二十五領の御朱印を賜り徳川代々先祖の例により当社へ下賜。
 
明治九年三月二十八日、御維新後朱印地社領の縁故を以って御嶽大神に並代価附与せられた。
 
明治維新神仏分離の際現在の社号に改む。昭和二十九年宗教法人となる。
  
社 宝:木造蔵王権現立像、十一面観世音立像、菩薩形立像、藤原時代末期の造りにして昭和二十三年重要美術品に認定される。
  
合祀社:神明神社 祭神 大日需貴命
  
邸内社:明神神社 祭神 田心姫命、瑞津姫命、市杵島姫命

ご多分に漏れず「蔵王権現日本武尊」となっていますが、幾つか興味深いことが書いています。「社の立は推古天皇代(595年)」というは役行者が金峯山で蔵王権現を感得したのは天智2(663)年なので、それより古いはおかしい(笑)

 他の方のブログでもそれを指摘して「嘘っぱち」と評していましたが、私は「修験の聖地」は、太古からあった聖地に「後付け」で持ってきたという話に信憑性を感じるので、確かにこの年に蔵王権現は祀られていなかったでしょうが、それ以前に「祈りの場所」であった可能性はあると思いました。まあ、これは確かめようがないですがね。

 またこの由緒で興味をそそられるのが「造蔵王権現立像、十一面観世音立像、菩薩形立像、藤原時代末期の造りにして昭和二十三年重要美術品に認定される」ですね。特に蔵王権現像……とても見てみたい。今どこに安置されているのか?開帳はしているのか?少し調べてみます。

 さて、最後にこの記事を書くにあたって、ネットで記事を収集したのですが面白い「説」をみつけましたのでご紹介したいと思います。

note.com

気になった箇所を引用すると……

『古甲州道は、奥多摩山塊の修験道聖地、高尾山と御岳山への参道だったのです。で、ここ滝山は、武蔵野台地扇状地の扇の要の位置にあり、つまり、ここから奥多摩山塊が始まる位置にあり、よって、奥多摩山塊修験道聖地への一の鳥居的位置付けのエリアだったということが分かりました』

 この方の仮説は、立地的に「丹木御嶽神社」が高尾山と御岳山の分岐点という立地だったのでこの「丹木御嶽神社」が奥多摩山塊修験道聖地への一の鳥居」だったと。

 上述したように本山派と当山派の交流なども興味は尽きませんが、話がマニアックになりすぎるので……今日のところはここまで。

 

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