「信仰」を「心理学」で解釈することは「野暮」だと思うが……
それでもより現代人の理解を深めるための「方便」として今日も話をしてみたい。
タイトルにある通り「山岳信仰」と「星の信仰」の共通点
まずは皆さんでもこの二つの信仰に共通する部分を考えてみてください。
……ちなみに「考えてみてください」と問いかける手法は、講習会のよくあるテクニック。その意図はただ聞くだけの「受け身」になってほしくないことと「考えて」そしてそのあとに「答えを得る」ことが、脳にとって「報酬」になるので記憶の定着がいいとされるから。
さて、では答え。
「山」も「星」も、人工物(人間が考えてもので)ではない「自然」であること。だから「自然崇拝」という共通のテーマでくくることができる。
ちなみに「自然崇拝」という言葉もちゃんとウィキペディアで解説されてました。
『自然崇拝:自然物・自然現象を対象とする崇拝、もしくはそれらを人格化、神格化する信仰の総称』
ウィキペディアを「ソース」とすることを馬鹿にする人は多いですが、この説明は簡潔で分かりやすいですよね。少なくとも「ここ」で引用するには十分な説明です。
好む好まざる関係なく常に「視界」にあるのが「自然」というもの。例えば「山」であれば視界を圧倒する存在として、気象に影響を与える存在として、水を貯える存在として、山に入れば、あらゆる危険が潜む牙をむく存在として。また星であれば、暗闇を照らす存在として、ときに圧倒する光り輝くきらめく存在として、天の川や大小の星雲、星団の美しさ、星の運行などの不思議を感じさせる存在として。これらは現代のような「科学」の知識がなければどれも人間の手の届かない、畏敬すべき存在として「信仰」の対象となるのは、むしろ当たり前の話だと思われる。
そして……人類は長い歴史の中でこれらの「畏怖すべき」自然の力を「深層心理」に、気の遠くなるほどの時間をかけて刻み込んできたに違いないと仮定する。とするなら、その刻み込まれた「イメージ」にアクセスするために「信仰」が生まれたとの解釈もなくはない(むろんそれだけではないと思うが)。
このブログでは何度も話しているが、深層心理学であつかう「無意識」は皆が考えるより遥かに「大きく」「力がある」存在と認識しましょう。そのことを端的に表現するなら「無意識は宇宙とイコールだ」とでもなろうか。「大げさな!」と思うであろうか?でもここでは「そういうもんだ」と強引に理解してください(笑)
少なくとも無意識という存在は、我々が「すべて」と思い込んでいるとても小さな「私=自我」が及びもしない情報をもっていて、とてもパワフルで、そしてまた「恐ろしい」という存在だと考えてみましょう。
先に星の運行の記事を書いたことがあった。
この記事も「太古から人類が長い時間がけて無意識に刻み込んできたイメージを利用しようとしている」との枠組みで書いているのが分かる。くどいようだが、そんな気の遠くなるほど長い年月(なにせ人類史の歴史の長さだ)刻み込まれたイメージ。……力がないわけがないのだ。
そんなパワフルなものにアクセスしようとする「信仰」というものが、ある意味とても凄いことだと今更ながら思う。だから「山」「星」を始めとする「自然」の「機能」にアクセスをしようとした先人の天才ぶりに、いまさらながらただただ唖然としてしまうのだ。
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