コメント紹介シリーズの③です。全部とはいきませんが今後も興味深いコメントを頂いた際には(特に長文)記事で紹介していきたいと思います。つきましてコメントされる方は記事にされる可能性があることを了承の上お願い致します。
makakaratenさんのコメント
『亮和先生
私の愚問を大きく記事にしてくださって誠にありがとうございます。
本当に無知なもので恐縮いたします。
なぜ質問したかというと一つは亮和先生が最近では珍しく、ご自分でお作りになった御仏を拝もうとなさっておられること。これに感銘を受けました。
年に数回生駒山宝山寺にお参りに行くのですが、宝山寺のお不動さん三体は湛海律師の御作と伝えられております。よほど器用な方だったようで他にも名作といってもよい仏像が数体あります。わたしは湛海さんの仏像が好きです。というのは拝む側が作った魂を感じるからです。
偶像崇拝はなぜか世間では忌避される傾向が強いようですが、真剣に御仏を愛し、その姿を祈り出さんとしたものには迫力と愛を感じます。いうまでものなく験力も高いでしょう。祈り出すということを世間の人はあまりわからないので批判が出るのでしょう。仏像は当然のごとく仏師のイメージが現出化したものです。そして縁力とでも申しましょうか、行く先である依頼人のイメージが現出化することもあります。しかし忘れてはならないのは御仏御自身が行く先を決めて御現われになるということですね。しかし理想的には祈る人自らが感得した御仏を制作申し上げるのが理想的でしょう。
私自身今までに数体作らせていただきましたが一体を除き、すべて手元に残らずもらわれていきました。憤怒の大黒天尊です。これもどこかにいくのかなあと思っていましたが手放すことを想像すると無性に寂しい思いがつのりましてそれで御相談させていただいたりしました。いま、真言を唱えつつ着色しております。これは私が拝むべきなのでしょうね。
亮和先生の尊星王菩薩は御自身の祈り出す精神があふれております。そして誰よりも尊星王菩薩ご自身が御現われになるということを望んでいるように思います。それは特に材質は関係なく、この世に物質化するという一大事でございます。
まだまだ暑いので御体調にご留意くださいませ。仏像の仕上がりを楽しみにしております。』
以下、私の返答
なんと仏像も彫られるのすね。立派な仏画と言い素晴らしい才能ですね。
また摩訶伽羅天に対する強い愛を感じます(笑)
私が仏像を自力で作ろうと思ったきっかけは、「これだ」というものが中々見つからないということが大きな理由でした(またいいお像を見つけても高価すぎて手が出ないということもあります……買えば妻に叱れる!!)。
結果的に「自作」に舵を切ったのは私的には大正解でした。
今回の尊星王の出来栄えにに関していろいろご意見があるかと思いますが、このお像の前で念誦した時……
「ああ、なんて拝みやすいんだ」
と感想が漏れたほど。
だから、つまり少なくとも私にとってあのお像は「最良の形」であることは間違いなさそうです。
makakaratenさんがおっしゃるよう「仏師のイメージが具現する+行く先の依頼人のイメージが具現する+御仏自身が行く先を決めて現れる」は確かにその通りだと思います。
ただ、どれがではなく「全て」の理由で具現しているのだと思います。また昨日の記事と併せて考えれば結局具現した理由は「どれも同じで違いはない」ということでもあると思います。
この度は、貴重なコメントありがとうございました。
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