准胝院のブログ

八王子市で准胝仏母を本尊とする天台寺門宗祈願寺院「准胝院」のブログです。准胝仏母祈願、不動明王祈願、人型加持(当病平癒)、先祖供養(光明供)、願いを叶える祈願(多羅菩薩)、荼枳尼天尊(稲荷)の増益祈願等

粘土が仏に変わる時

昔、本山主催の葛城修験に参加した時に、ある教区から参加されていた先達に「元彫刻家」という方ごおり、お話しさせていただいたことがある。この方は「彫刻家」だが「仏師」という訳ではない。

その時に仰っていたことで印象的なことがある。

「(彫刻の)作成中、ある一彫りの刹那、いままで「木」や「石膏」といった「材料」だったものに突如生命が宿る瞬間がある」

さらに、この逆もあるという。つまり

「ある誤った一彫りで一気にただの石膏に戻ってしまう瞬間がある」

仏像の場合には「開眼作法」をすることで、ただの「彫り物」だったものが「ほとけ」に変わる。

おそらくこのような密教の作法とは別の次元で、「生命が宿る」ということが起こるらしい。当時の私には正直、全くピンとこなかった。

※もちろん勝手に開眼されるという話をしている訳ではありません。上述したように「別の次元」の話で、平たく言えば「仏」になるためには「開眼作用」だけではなく最低限の「形」が必要、という感じだろうか。


さて、つい先日のこと。

 そろそろ多羅菩薩も完成に近づき、細かい微調整をしている時。「ざわざわざわ」と心にさざ波が立つ瞬間があった。

「あれ?これはなんだ?」という感想が自身の口から洩れた。

この「ざわざわ」としたのは、自分がまさに作っている仏像が、急に「違ったもの」になった気がしたから起こったものだった。

自分で「なんだこれは?」というのはおかしな話だが、確かにお像の印象がざわざわと心が動揺するほどに急に変化した瞬間が確かにあった。

 

翌日……

「あ、お像完成したんだ」

妻の蓮奈がさらりと言った。

「え?何でそう思った?」

「いや昨日と随分違うから」

蓮奈は、時に異様に鋭いことをいうが、この時もそうだった。

プロの彫刻家や仏師のレベルとは比べくもないが、「ただの粘土」が「仏像」に変わる瞬間は確かに起こった。それも一瞬で、突如に。きっと、このエピソードの延長線上に冒頭で書いた彫刻家の話があるのかと思ったりもした。

……彫刻はどこまでやってもキリがないが、この感覚が起きてからそろそろ彩色に入ろうとようやく踏ん切りがついた。

実は作成中の多羅菩薩、割と大きいお像です。隣の焔摩天は70cmありますからね。

 

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